スミレの少女と銀の幼竜

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 シロツメクサを丁寧に編み込みながら柔らかな風の匂いを感じる。できあがった花冠に綺麗に咲いたスミレを差していく。 「できた」 ビオラは出来上がった花冠を陽に照らし満足げに微笑んだ。  今日はあの日からちょうど3年が経つ。一人で生活することに慣れるには十分な時間だった。野菜や花を育てるのも、料理を作るのも、洗濯をするのも、そして魔法を扱うのも。でも未だに一人で食事をする寂しさには慣れない。 (今日はあそこでご飯を食べよう) ビオラは朝食の残りのポトフ、昼食用に作っていたサンドイッチ、そして先ほど完成した花冠と小さな花束を籠に入れ玄関の扉を開けた。 ビオラは今までの事を振り返りながら足を進めた。 「ママ、見て! 今日は上手に花冠ができたよ!」 シルバーブロンドに淡い紫の瞳を持つアメリットという美しい女性がビオラの母親だった。美しく、優しく、そして何でもできるアメリットはビオラの自慢だった。 二人は森の奥の大きな裏庭がある小さな小屋で生活していた。たまに服や食べ物を買ったり逆に魔法薬を売ったりするために町に行くこともあったが、そのたびにビオラは町の人達にアメリットのことを自慢して回った。アメリットはそんなビオラを少し窘めながらも優しく見守り、町の人達もそんな二人を微笑ましく見ていた。  家にいるときはアメリットが野菜を育てそれを使った料理を作るのを手伝ったり、魔法の使い方を教えてもらったりした。  アメリットは魔法が使えたし、その娘であるビオラも当然使えた。しかし、それは普通のことではなかった。町の人で魔法を使える人はおらず、だからこそアメリットの作る魔法薬は重宝され、町の人たちもアメリット親子を大切にした。今思うと魔法を使える異端なビオラたちは町の人達から疎外にされてもおかしくはなかった。しかし、そうならなかったのはアメリットの魅力だけでなく、町の人達が心優しい人ばかりだったからだろう。  現に、アメリットが亡くなってしまった今でもビオラは町の人達にとても可愛がられている。  アメリットの体調が悪くなり始めたのはビオラが10歳の頃からだった。初めは体調不良が長引いているだけだと思っていた。しかし、1ヶ月を過ぎても一向に治らない様子を見てビオラは何かが違うと分かった。アメリットが調合した完璧なはずの薬を飲ませても、ビオラがアメリットに教えてもらいながら丁寧に調合した薬も、何もかも効かなかった。  始めは少し頭痛がする、眩暈がするときがある、というくらいだったが、病状は少しずつ、でも確実に悪くなっていった。  その頃からだった、アメリットが今まで教えなかったような難しい魔法や薬の作り方、魔法書の知識を与え始めたのは。その様子はアメリットがまるで自分の死期を悟っているかのようだった。  ビオラも流石に何かを感じ取り、アメリットは何か知っているのか、何か隠していることはないか――今まで一度も聞いたことがなかった父親についても――尋ねた。  ビオラはそれまで父親の存在について聞いたことがなかった。それはアメリットとの二人での生活に何ら不満がなかったからであり、アメリットが自分から話さないならわざわざ聞く必要はないし、特段知りたいとも思わなかったからである。  しかし、どの質問にもアメリットは困ったような笑顔で首を横に振るだけだった。 次第にアメリットはベッドから起き上がることすらままならない状態になり、家事や薬の調合、町への買い出し全てをビオラが行うようになった。町の人達もアメリットを心配して、町に行くたびに果物や煮物、毛布などを分けてくれた。町の人達も決して裕福なわけではないのに分け与えてくれたそれらに、ビオラは優しい温もりを感じると同時に、アメリットがどれほど親しまれてきたのかということを感じさせた。 だが、ビオラや町の人達の思いとは裏腹にアメリットの病状は悪化していき救うことはできなかった。ビオラが12歳の時だった。  その日から3年。今アメリットは森の中の光の降りそそぐ一本の大樹の前に眠っている。  そこはアメリットのお気に入りの場所で、ビオラも何度も連れて来てもらった場所だ。町の人達が入れない場所ということだけが懸念点だったが、心優しい町の人達はアメリットとビオラの思い出を尊重してくれ、その代わりに町の片隅の花畑にも小さな霊園を作らせてほしいと懇願された。もちろんビオラはそれを受け入れ、ビオラ自身も時折そこに訪れている。訪れるたび美しい花や艶やかな果物が供えられており、それは3年が経つ今でも変わらない。 「母様。今日は母様の好きなスミレを使った花冠を作ってきました」  そう言って母の墓石へ近づこうとしたとき、墓石の前に見慣れない物体が落ちていることに気が付いた。  恐る恐る近づいてみると、それはビオラが両手で抱えられるほどの小さな竜であった。よく見ると足を怪我しており、そこから赤い血が出ている。 (竜の血も赤色なのね) ビオラは奇妙なこの状況に混乱して、逆に少しずれたことを考えながら竜が怪我していない部分にそっと触れる。  竜は一瞬警戒したようにこちらに目を向けたが、ビオラに敵意がないと感じたのか、それとも動く力すら残っていないのか、再び目を閉じた。  頭を優しくなで、ゆっくりと治癒の魔力を流し込む。種族の違う竜に治癒魔法が効くのか分からなかったが、とりあえずそうするしか方法が思いつかなかった。  数分が経っただろうか。治癒魔法が効いてきたのか、竜はゆっくりと頭をあげた。まだ立つほどの力はないようである。  ビオラはしばらく思案し、地面に置いていた籠からポトフの入った保温魔法をかけた瓶を取り出した。 「これ、本当は母様と食べようと思って持ってきたものなのだけど、食べる? そもそも竜って人間と同じものを食べられるのかしら……」 竜はスプーンにのせられたポトフの匂いを嗅いでから、パカッと口を開けた。ビオラは口にゆっくりと流し込む。  竜はポトフの味を気に入ったのか、飲み込むと再び口を開けた。竜が口を開け、ビオラがそこにポトフを流し込むという工程を何度か繰り返し、とうとうポトフがなくなった。 「ごめんね。今ポトフはこれだけしかないの。サンドイッチは今の身体には重いだろうし……。よかったら家に来ない? ポトフの残りもあるし、足の怪我も治してあげられるかもしれないわ」 竜はビオラの言うことを理解できたのかできていないのか分からないが、小さく「ガウ」と鳴いた。  とりあえずビオラへの警戒心はなくなったようだ。  すぐにでも竜を家に連れていき手当てをした方がいいのだろうが、今日はアメリットの命日でもある。  手早く花束と花冠を供え、サンドイッチも今までで一番早いスピードで平らげた。 「母様、ゆっくりできなくてごめんなさい。でも、この竜が心配だから、今日はもう帰るね。またゆっくりできるときに来るわ」 静かにビオラを見守っていた竜を抱きかかえ、ビオラは母のお墓を後にした。  家に着くとビオラは母か使っていた部屋のベッドに竜を置き、傷薬や包帯などを持ってきて怪我の処置をした。  いくらビオラの調合した薬が高性能でも、どれだけ竜の治癒力が高くても、この足の怪我が完治するには時間がかかるだろう。なによりこの竜の側には親がいなかった。  ビオラが文献で知る限り、竜は人間と同じように一人前になるまで親の元で育つということだ。つまり、この竜は親とはぐれてしまった可能性が高い。  考え込むビオラを見て、竜が不思議そうにビオラの顔を覗き込む。 「……ねえ。竜さん。少しだけあなたの記録を覗いてもいいかしら。あなたが怪我をした理由や親と離れた原因が分かれば何か力になれるかもしれないわ」 竜はビオラの真剣な表情を受けとめ、「ガウ」と鳴いた。 (この子、本当に私の言葉を理解しているのかもしれないわ) ビオラは竜の頭に手をかざし、目を閉じて竜の記憶に潜り込む。  この竜が母親と空を飛んでいるときにワイバーンの群れに襲われたこと、その時に怪我をして上手く飛べなくなったこと、そのまま母親とはぐれてあの木の元へ落ちてきたこと。  竜の記憶を見たビオラは再び考え込み、そして竜の目を見て言葉を発した。 「あなたの母親はきっとあなたのことを探しているわ。一刻も早くあなたを母親の元に返してあげたいけど、まずその怪我を治さないことにはあなたの母親を探すことも難しいと思うの。だから、怪我が完全に治ってから一緒にあなたの母親を探しに行きましょう?」 竜はビオラの目を見つめ返し、静かに「ガウ」と鳴いた。やっぱりビオラの話していることが通じるのだろう。  ビオラはその返事を聞いて、今までの重い空気を払拭するように明るい声で話した。 「じゃあそのためにはまず栄養のある食事をとって、いい治癒薬を毎日塗り直さないとね! あとは足が動くようになってきたら適度に運動もしなくちゃ」 竜はそのビオラの声色に応えるように「ガウ!」と元気に鳴いた。  そしてビオラはあることに気づく。 「まだ自己紹介をしていなかったわね。私はビオラ。あなたは?」 竜は不思議そうに首を傾げた。 「もしかして竜は名前を決めないのかしら? じゃあ……アルジェント、略してアル、というのはどう? あなたの銀の身体にピッタリだと思わない?」 「ガウ!」 アルは嬉しそうに鳴いた。  かくして、黒髪に深い紫の瞳を持つ少女と銀の身体に淡い紫の瞳を持つ幼竜の生活は始まったのである。 (ねえ、母様。母様が亡くなってからちょうど3年が経ったこの日に母様と同じ色合いの竜と出会った。これは偶然かしら? それとも運命? どちらにしても、私は決めたわ。必ずアルの母親を見つけて再会させてあげるって。母様、どうか見守っていてください) アメリットの眠る方角を向いて祈るビオラをアルは不思議そうに見つめていた。
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