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 突如、何者かに肩を揺さぶられ、墓守は目を覚ました。  辺りは真っ暗で、目の前に立つ男の顔が初めは分からなかった。  だがしばらくして暗闇に目が慣れると、それがダグボルトだと気付いた。 「へ、陛下?」 「お前に質問したい事がある」  ダグボルトは冷たい口調で言った。  この墓守は、『黒獅子姫』を埋葬した四人の墓守の代表だった男だ。  墓穴を埋め直した後、ダグボルトはすぐにこの男に会いに、街の共同墓地にある管理小屋までやって来たのだ。 「今すぐでございますか?」 「ああ、今すぐだ」  墓守は粗末なベッドから身を起こした。  ダグボルトは両腕を組んで仁王立ちしていた。肩に背負い袋を担いでいる。 「明かりをつけてよろしいでしょうか?」 「いや、駄目だ。余計な時間を使いたくない。俺の質問に答えさえすればいい」  『黒獅子姫』の埋葬の時とは打って変わって、殺気立った冷たい目をしている。  それを見て抵抗するような勇気は墓守にはなかった。 「わ、分かりました。答えられる事でしたら何でもお話しいたします」 「じゃあミルダを墓から掘り出してどこに運んだか教えろ」  沈黙――。 「おっしゃる意味が分かりませんが?」  次の瞬間、ダグボルトの大きな手の平が墓守の頬に叩きつけられる。  その衝撃で墓守の身体は壁際まで吹き飛ばされた。 「ど、どうしてこんな事を……するんですか……?」  墓守はべそをかきながら言った。するとダグボルトは、彼の目の前にメモ帳を突きだした。 「何か手がかりはないかと、先にお前の仕事場を漁ってた時にこれを見つけた。ここにはお前の仕事の日程が書かれている。お前はミルダの埋葬のすぐ後にリンドに会ってるな」  ダグボルトは語気を強める。  追及に耐えきれず墓守は目線を反らした。 「それは仕事の報酬を貰いに……」 「ここには『後天十一の刻(二十三時)、『白銀皇女』殿下に面会』とある。だが後天八の刻(二十時)以降は外出禁止のはずだぞ。これはどういう事だ?」  はっと息を飲む墓守。 「この街の規則では、緊急事態が発生した時のみ、リンドの許可が降りれば外出禁止時刻以降も出歩けるらしいな。だが仕事の報酬を貰いに行くのが緊急事態か? 他にもっと大事な用事があったと考えるのが普通だ。たとえばミルダを掘り返しに行く用事とかな」 「…………」  とうとう墓守は黙り込んでしまった。 「俺はリンドと共にこの国を支配する人間だぞ。その俺にも真実を話せないのか?」  だが墓守はなにも答えようとしない。  ダグボルトはため息をつくと、担いでいた背負い袋の中身をベッドの上にぶちまけた。 「『黒の災禍』が起きる前、俺は審問騎士をやってたんだ。だから尋問には慣れている。たとえ相手が、魔女に忠誠を尽くす『異端』であっても、口を割らせるのは簡単な事だ」  手斧、ハンマー、釘、ノコギリ、やっとこ……。  ベッドの上の拷問器具を見て、墓守の顔色がみるみる青ざめる。 「しかも『竜の異端』の特性として、主人のリンド以外には殺せない不死身の身体を持ってるらしいな。つまりいくら肉体を損壊しても大丈夫という事だ。おかげで仕事がやりやすくなった」 「こ、こんなの尋問じゃなくて拷問じゃないですか!!」 「いや、これはあくまでも尋問だ。少しばかり痛みを感じるかもしれんが、それは肉体的な痛みではなく、罪を犯したお前の心の痛みだ」  審問騎士時代、尋問相手に何度となく語りかけてきた言葉であった。  ダグボルトはベッドの上の手斧に手を伸ばす。 「止めろおお!! 私に近づくなあああッ!!」  墓守は咄嗟に手斧を奪い取って振り回した。さけ損ねたダグボルトの左腕に手斧が食い込む。  墓守の力では、ダグボルトの鋼のような筋肉を断つ事は出来ないが、それでも肉が裂け、傷口からだらだらと血が溢れ出す。 「やってくれたな。俺を傷つけたと知ったら、リンドは必ずお前を消すだろう」 「そ、そんな……」  自分がしでかした事の重大さを理解して、墓守は泣きそうな顔になる。  勿論、ダグボルトはわざと自分を傷つけるように仕向けたのだが、墓守は全く気付いていないようだ。 「何とも悩ましい所だな。俺を傷つけたのがリンドにばれたら殺されるし、かといってリンドに口止めされている事を俺に話しても殺される。正直、八方塞がりだな」 「わ、私が口止めされてたって初めから知ってたんですか!?」  墓守は驚いて言った。  だがダグボルトは軽く肩をすくめてみせる。 「いや、全然。今のはちょっとカマを掛けたんだ。だがこれでお前が、リンドの命令で墓を掘り返したとはっきりしたな」  墓守はがっくりとうなだれてしまった。  ダグボルトは横に腰を下ろし、慰めるように肩を叩く。 「大丈夫だ。お前から話を聞いたとは絶対に誰にも言わん。この怪我も、お前にやられたとは言わないでおく。だから教えてくれ。ミルダをどこに運んだ?」  しばらく躊躇った後、墓守は重い口を開く 「掘りだした遺体は、殿下が城の中に運んで行ってしまいました。しかし城のどこに運んだかまでは、私にも分かりません」 「城の中か……。もう少し手がかりが欲しいな。他に何か覚えてないか?」 「ええと、実は殿下が遺体を運ぼうとした時に、私も手伝おうとしたんです。そうしたら殿下はこうおっしゃいました。『私しか入れない場所に安置するから手助けはいらないわ』って」 「リンドしか入れない場所……」 「あのう、もうこれでよろしいでしょうか? どうか殿下にだけは、私がしゃべったとは絶対に言わないでください。お願いします」 「分かった。約束しよう。それとさっきは脅かして済まなかった。俺にはどうしても真実を知る必要があったんだ」  ダグボルトはシーツの端を引き裂いて腕の傷を止血し、ベッドの上の器具を背負い袋にしまうと立ち上がる。一見、冷静なように見ても、ダグボルトの心中は熱く燃えたぎっていた。 (『城の中』で『私しか入れない場所』か。手がかりとしては余りにも漠然としている。だが必ずお前を見つけてやるからな、ミルダ)  翌朝、『白銀皇女』が目を覚ますと、ダグボルトはすでに身支度を整えていた。  しかし執務用の王服ではなく外出用の軽装だったため、『白銀皇女』は怪訝な顔をする。 『どこかに出掛けるの?』 「昨日の夜、ちょっと外の風に当たりに下に行った時に、足を滑らせて噴水の縁にここをぶつけてな。ちょっと手当てして貰いに行ってくる」  そう嘘をついて、ダグボルトは昨日墓守に傷つけられた腕を見せた。  ざっくりと裂けた傷口を見て『白銀皇女』は顔を曇らせる。 『酷い傷ね……。これなら私が治すわ』 「いや、勘弁してくれ。お前の治療は受けたくないって前に言ったろ。このぐらいの傷ならこの城の医務室でも手当て出来るはずだ。だが治るまでは安静にしていたいから、執務をしばらく休ませてくれないか?」  ダグボルトは済まなそうに言った。 『いいわよ。あなたが来る前は、それが当たり前だったから別に問題はないわ。でも私の力なら、そんなの一瞬で治せるのに……』  不満げな『白銀皇女』を宥めるようにダグボルトは話を続ける。 「――実は執務を休む間、お前の提案をもう一度吟味するために、城内や市内で生活する『異端』達を見て回ろうって考えてるんだ。それもこの国の王としてではなく、人間の代表としてな。そうすれば今度はきっと答えが出せると思う」  それを聞いて『白銀皇女』は顔を輝かせる。 『それはいい考えね。それならガーネットブレイズも同行させるわ。いろんな場所の地理や情報を知ってるから役に立つわよ』 「いや、今回は俺一人で行かせてくれ。そいつがいると余計な先入観を与えられかねないからな」  無論、これも嘘である。  『黒獅子姫』の捜索に、ガーネットブレイズを連れて行く訳には行かなかった。 『そう……。あなたがそう考えるなら仕方ないわね。でもご飯の時間にはちゃんと戻って来てね。ひとりで食べるのって味気なくて嫌なの。だから絶対よ』 「分かった、分かった。約束するよ」  召使達が着替えを持って寝室に入ってきたのと入れ違いに、ダグボルトは外に出た。  嘘を見抜かれるのでないかとひやひやしていたが、どうやら無事乗り切ったようだ。 (『白銀皇女』しか入れない場所っていうのは、おそらくあいつしか知らない隠し部屋だろう。そこへの入口さえ探し出せれば、ミルダは必ず助け出せるはずだ)  事前に守備兵に貰っていた城の見取り図を取り出す。  『黒獅子姫』を探す方法についてはすでに考案済みであった。  以前、膏血城で『翠樹の女王(イグドラシル)』と戦った時、城を動かす指令樹を探すために『黒獅子姫』の蟻を利用した事があった。彼女の生み出す蟻には魔力を探知する能力があるのだ。  だがあの時は、狭い部屋の中で蟻の一群に捜索させたのですぐに見つけられたが、今回は捜索範囲が広い上に蟻も一匹しかいない。だから今度は、自ら城の中を探索して蟻が反応する場所を見つけようと考えたのだ。  医務室で手当てを受けた後、真っ先に向かったのは調理室であった。  朝食の準備をしていたコックに頼んで、砂糖を小袋に詰めて貰う。  調理室を出て、人気の少ない場所に来ると、さっそく小袋を開いて砂糖を一つまみ取り出した。  甘い香りに誘われて、上着から『黒獅子姫』の蟻が這い出てくる。  この蟻は、主である『黒獅子姫』からある程度離れていても、摂取した糖分を魔力に変換して身体を維持する事が出来るのだ。  だが芳醇な香りに負けて、ついダグボルトは指先の砂糖をぺろりと舐めてしまった。 「うん、うまい。蕩けるような甘さが、まだ半分眠ってる脳を活性化させ――痛ッ!!」  左手の甲に蟻が思い切り噛みついていた。 「そんなに怒るな。他のは全部お前にやるからしっかり働けよ」  ダグボルトは軽くため息をつくと、小袋の中に蟻を入れて腰のベルトに吊るした。  廊下を歩くと、使用人達は昨日の式典の後片付けに追われていた。  昨晩はみんな我を忘れて浮かれ騒いでいたが、今日は一変して真面目に仕事に取り組んでいる。  幸いな事に、『黒獅子姫』が囚われている場所を探し回っていても、視察と勘違いしてくれているようだ。 (こうして徒手空拳で城の中を捜索していると、前に北の城でレンドルの父親を探した時の事を思い出すな。あの頃の俺には何の希望も無く、ただ魔女に怯えて暮らしてた。だがミルダとの出会いは、俺に大きな希望をもたらした。右腕一本じゃ釣り合わないぐらいの大きな希望をな。早くあいつと再会したいもんだ。この先、どれ程過酷な運命が待ち受けていたとしても、あいつならきっと先に進む勇気をくれるだろう……)  ダグボルトは城の中を一部屋ずつ見て回り、蟻の反応する場所が無いか探す。  大広間、食堂、書斎、武器庫……。  地下の酒蔵庫に辿り着いた時、蟻がカリカリと小袋を引っ掻いた。  周囲に人がいないのを確認してから袋から出してやると、蟻は酒蔵庫の西の石壁を這い回りだした。 「この向こう側か!」  だが壁を隅々まで調べても、隠し扉やそれを作動させるスイッチ等は見つからなかった。 「位置としてはこの壁の向こう側なんだろうが、入口は別の場所にあるのかもしれないな……」  見取り図で地下の間取りを確認したところ、北西部分に不自然な空白があるのに気付いた。  ちょうど酒蔵庫の西にあたる箇所だ。  ダグボルトは空白部分に面した場所を回って隠し扉を探した。  しかし何の成果も得られないまま、正午を知らせる鐘が鳴ってしまった。 (もうこんな時間か。そろそろ戻らないとリンドにどやされるな。残りは午後にしよう)  食堂では『白銀皇女』がすでに席について彼を待っていた。  少し遅れたせいか不機嫌な顔をしている。 『遅いわよ、ダグ! こっちはお腹が空きすぎて、もう死にそうなんだから!』  お前は殺したって死なないだろ、と言いたい気持ちをダグボルトはぐっとこらえ、代わりにこう言った。 「先に食べてても良かったのに」 『そんなのやだ。一人で食べても美味しくないもの。さあ早く食べましょう』  すぐに給仕が食事を運んできた。  ダグボルトは『黒獅子姫』の捜索活動を悟られないよう、適当に話題を振って『白銀皇女』に質問する隙を出来るだけ与えないようにした。  食事の途中、執事が食堂に入って来て『白銀皇女』に何事か囁いた。  『白銀皇女』は了承するように頷くと立ち上がった。 『ごめん、ダグ。急な客人が入ったみたい。ちょっとだけ席を外すわ』  『白銀皇女』の姿が瞬時に掻き消えた。  その瞬間、ダグボルトの脳裏に閃きが生まれる。 (そうか! 『白銀皇女』にはテレポート能力がある。それなら隠し部屋に入口を作る必要なんかない。完全な密閉空間。それこそが『私しか入れない場所』なんだ!)  『白銀皇女』が戻って来てから一緒に食事を終え、ダグボルトは一人で自室に戻った。  テーブルの上に見取り図を広げ、突入箇所や突入手段を吟味する。 (俺にはテレポートのような便利な移動手段は無い。だから隠し部屋に隣接する壁や天井の中で、一番脆いと思われる箇所を破壊して突入するしかない。力技もいいとこだがな)  色々と吟味した結果、一階で隠し部屋の天井部分にあたるのは、城の北西にある礼拝堂の床だと分かった。  幸運な事に、礼拝堂はパイプオルガンの演奏が行われるため、防音処理が施されている。  床を強引に破壊しても、その音は外部には漏れにくいだろう。突入場所としては悪くない。  ダグボルトは床の強度を確認するために礼拝堂に向かった。  五十人程の人間が収容できる小さな部屋で、ここも街の教会同様、ミュレイアの女神像の代わりに、勇ましく翼を広げる白銀の竜像が飾られている。  防音のため窓は無く、壁の燭台が光源となっている。  礼拝堂には若い司祭がいた。ダグボルトが入って来ると、にこやかな顔で近づいてくる。 「これは、これは。ようこそいらっしゃいました、陛下。ここに来られるのは初めてでしょうか? ここはこの城で働く『竜の異端』が、『白銀皇女』殿下への畏敬の念を込めて祈る場所です」  それから若い司祭は、『白銀皇女』がいかに素晴らしい存在であるかを滔々と語り始めた。  ダグボルトは適当に相槌を打ちつつも、ズボンの裾を直すふりをして『黒獅子姫』の黒蟻を床に放った。 「……ミルダの魔力が感じられる場所まで行け」 「かくして殿下は神にも等しき――何かおっしゃいましたか、陛下?」 「いや、何でもない。ただの独り言だ」  小声での蟻への命令を耳ざとく聞かれ、ダグボルトは慌てて誤魔化した。  司祭は肩をすくめると話を再開する。  ダグボルトは正直うんざりしていたが、話を聞きながら目で蟻の動きを追う。  黒蟻は主人の匂いを嗅ぎ分ける飼い犬のように、触角をぴくぴくと動かして『黒獅子姫』の魔力を辿っていた。  ベンチの隙間を縫うように進み、やがて祭壇の側のある一点で停止する。 (成程、そこか……)  ダグボルトは蟻の近くに歩み寄ると、祭壇の上に置かれた聖水の入った大杯にわざと腕をぶつけた。  辺りに聖水が撒き散らされ、石床に落ちた真鍮製の大杯が大きな音を立てる。  驚いた司祭がすぐに近づいてきた。 「大丈夫ですか、陛下!?」 「すまん。ちょっとぼうっとしてた。それより床に傷がついてしまったな」 「いえ、お気になさらずに。床は明日にでも石工を呼んで修理させます。陛下にお怪我が無ければそれで十分ですよ」  ダグボルトは、今度は大杯を祭壇に戻す合間に黒蟻を回収した。  ついでに床の傷つき具合も観察する。 (床の材質は大理石だな。耐久性はあまり高くないから、破壊するならやはりここが良さそうだ)  司祭に陳謝して礼拝堂を出たダグボルトの頭の中で、急速に救出計画が組み立てられていく。 (救出の準備を進めるなら、即位式典の後片付けで皆がばたついている今しかない。それにミルダが余所に移されてしまう可能性を考えると、決行は早い方がいい。出来れば今晩のうちに――)    **********  夜の帳が下りる。  カーテン越しにかすかな月明かりが寝室を照らす。  隣にいる『白銀皇女』が熟睡しているのを確認してから、衣装箪笥の中から装備一式を詰めた革袋を取り出す。  『黒獅子姫』を救出した後は、速やかにここを脱出しなければならない。  そのため救出準備だけでなく、脱出準備も密かに整えていたのだ。  守備兵の巡回ルートは事前に把握していたので、寝室を抜け出した後は、誰にも見つからずに武器庫に辿り着く。  入口の頑丈な扉には鍵が掛かっていたが、ダグボルトは皇王になった時に、『白銀皇女』からこの城の全ての扉を開けられるマスターキーを貰っていた。  それを使って扉を開くと、武器庫の奥の棚に置かれたいくつかの火薬壺を、守備兵の巡回の合間を縫って少しずつ慎重に礼拝堂へと運んでいく。  無事運び終わると礼拝堂の中から鍵を掛けた。  これで外部に音はほとんど漏れないはずだ。  壁の燭台に黒蟻の蟻酸で火を灯すと、ダグボルトは革袋からスレッジハンマーを取り出した。  それを蟻が教えてくれた場所から、少し離れた所に叩きつける。  左手にびりびりと痺れる感覚。  右腕の義手がつながった部分も、骨まで振動が伝わってくる。  それでも構わず、何度も何度も執拗にハンマーを叩きつけるダグボルト。  石床にひびが入り、表面がぱらぱらと崩れる。  適度な窪みを造った所で、今度はそこにさらさらと火薬を注ぎ込む。  全ての火薬壺から注ぎ終えると、手でぎゅっと固めて上に窪みを造る。  そこに導火線の端を置くと、さらにその上に、祭壇に置いてあった大杯を逆さに載せた。  爆破の衝撃を下方に集中させるためである。 (審問騎士時代の汚い仕事がこういう形で役に立つとはな)  ダグボルトには、マデリーンの命令でクレメンダール教皇の政敵を爆殺した苦い過去があった。  今となっては酷い話だが、大義のためには手を汚す行為も許されるというマデリーンの言葉を、その時は純粋に信じていたのだ。  導火線のもう片方の端を持って、火薬を置いた場所から距離を置いた。  爆音に備えて耳栓を嵌める。 (ここを爆破したらもう後戻りはできない。ミルダを選ぶか、リンドを選ぶか、ここは俺の人生にとって、大きな分岐点になるだろう……)  固唾を飲むダグボルト。  決意は固いはずだったが、導火線を握る左手が微かに震えていた。  心の迷いを見透かしたのか、義手の指先に乗っている黒蟻が、彼を励ますように触角を震わせた。  まるで『黒獅子姫』の言葉を伝えるかのように。 (フッ、そうだったな。ここまできて、俺はミルダを見捨てるような人間になるつもりはない。そんな事をしたら、これから先、一生自己嫌悪に悩まされるだろう。それならやるべき事は一つだ)  黒蟻を導火線の端にくっつけると、蟻酸で火が点いた。  火花が導火線を伝わっていく。  ダグボルトはベンチの影に隠れ、衝撃に備える。  パチパチという音が不意に消えた。  次の瞬間、凄まじい爆音と共に、瓦礫と埃が礼拝堂の天井まで吹き上がった。  衝撃で壁や床がびりびりと震える (防音とはいえ、さすがに今のは、城の連中にも不審に思われただろうな。後は時間との勝負だ)  ダグボルトはもうもうと立ち昇る煙を手で払って、爆破の跡を確認する。  石床に大きな亀裂が入っている。  スレッジハンマーでその周辺を何度か叩くと、床が崩れて内部の空洞が剥き出しになる。  そこには五ギット四方の小部屋があった。 「やった!! ついに見つけたぞ!!」  ダグボルトは思わず歓喜の声を上げる。  隠し部屋の床には蛍砂が敷き詰められ、淡い光を放っていた。  ダグボルトのいる場所から隠し部屋の床までは、ざっと見積もって十ギットといったところだろうか。  部屋の中央には石棺が安置されている。  あの中に『黒獅子姫』が閉じこめられているに違いない。  ダグボルトは革袋からロープを取り出して、自分の身体にしっかりと結びつける。  反対側の端をベンチの脚に結わえ付けると、隠し部屋まで降りようとした。  だが左手の甲にいた黒蟻がいきなり噛みついた。 「どうした?」  ダグボルトは訳が分からず困惑する。  すると黒蟻は、口から小さな蟻酸の火を噴いた。  一瞬考えた後、ダグボルトは左手を隠し部屋の中に突っ込んだ。  すると風も無いのに、蟻酸の火がさっと消えた。 (……危ない所だった。中には空気がほとんど無いようだな。だが酸素を消費するような生物なんて、おそらく中にいないはず。だとするとこれはリンドの罠か。魔女なら酸素が無くても活動できるが、人間の俺はそうもいかん。かといってこの部屋に空気が行き渡るのを待つ暇なんか無い。今すぐミルダを助けてここを脱出しなきゃいけないんだ)  ダグボルトは大きく息を吸い込むと、そのまま息を止めた。  そしてロープを掴んで慎重に隠し部屋に降りる。  ギシギシとロープが音を立てる。  真新しいものなので体重を支えるのに問題は無いはずだが、それでも不安のため、額から冷や汗が流れ落ちる。  床に足を着いた時には、ほっと胸を撫で下ろしていた。  ダグボルトは石棺に近づくと、全身の力を籠めて重い蓋を押した。  鈍い音を立てて蓋がずれる。  中には白い砂がたっぷりと詰まっていた。  ダグボルトは砂を掻き分け、懸命に『黒獅子姫』を探す。  だが何もない。  ただ砂があるだけだ。 (まさか、もう別の場所に移されてしまったのか……? ここまで来るのが遅過ぎた……?)  ショックのあまり足に力が入らず、壁に手をついてしまうダグボルト。  その時、石壁に刻まれた巨大な竜に気付く。  礼拝堂に飾られている像に酷似しているが、拳程の大きさの琥珀色の宝玉が、竜の口に咥えられるような形で嵌め込まれている。  その宝玉は淡い魔力の光を放っていた。  宝玉を見たダグボルトは、危うく驚きの声を漏らしそうになる。  だが際どい所で呼吸を止めた状態を保った。  宝玉の中には、妖精のような小さな女性の姿があった。  くしゃくしゃの黒髪と痩せぎすの身体。  膝を抱えて目を閉じ、まるで眠っているかのような安らかな表情。  心臓の鼓動に合わせて、小さな胸が微かに鳴動している。 (ま、まさかこれがミルダなのか……?)  ダグボルトには到底信じがたい思いであった。  だが妖精のような女の喉に、横一文字の傷があるのを見て、間違いなく『黒獅子姫』だと確信を抱いた。  それは『石動の皇』との戦いでつけられたもので、普段はチョーカーで隠していた傷であった。  ダグボルトは竜の口から宝玉を外した。  その瞬間、けたたましいアラームが城中に鳴り響く。 (しまった!! 別の罠があったとは!!)  宝石を懐に納めると、すぐにロープを昇り礼拝堂まで戻る。  しかしそこには、尊大な表情で両手を腰に当てた『白銀皇女』が待ち構えていた。  アラームを聞いて、瞬時にテレポートでここまで飛んで来たのだろう。  さらに礼拝堂の扉が破られ、守備兵達が雪崩れ込んできた――。    ********** 『これは一体どういう事かしら?』  『白銀皇女』は詰問する。  声は穏やかだが、それが逆にえもいわれぬ凄みを感じさせる。  だがダグボルトはひるまなかった。  今は命に代えても守らなければならないものがあったからだ。 「それはこっちの台詞だ。なぜ俺を騙した?」 『騙すって何を?』 「とぼけるな。なぜミルダを殺したように見せかけたかって聞いてるんだ」 『『黒獅子姫』は確かに死んだわ。あなたは何が言いたいの?』  ダグボルトは左手を開いて、手の平に乗っている黒蟻を見せた。 「見ての通りこいつはミルダの蟻だ。こいつが生きてるってことは、ミルダもまた生きているって事だ」 『蟻? そんなものがどこにいるの?』  そう言いながら『白銀皇女』は軽く手を振った。  すると手の平にいた黒蟻は一瞬で燃え尽きてしまった。  しかしダグボルトは不敵に微笑む。 「今の行動は迂闊だったな。俺の言葉が真実だと、自分で証明したようなもんだ。それにこんな形でミルダを封印できるような奴は、お前しかいないだろう」  今度は懐から翡翠色の宝玉を取り出して『白銀皇女』に見せた。 「ミルダが生きてるって事は、お前以外の『偽りの魔女』も力を失ってないって事だ。だとすると世界中の人間を『竜の異端』に変えるなんて到底不可能だ。必ず他の『偽りの魔女』が邪魔をするだろうからな。つまりお前が話した計画そのものが出鱈目だった訳だ」 『あれは出鱈目なんかじゃないわ!! 私の計画を邪魔する奴は、たとえ同じ魔女でも殺すわ!!』 「そんな言葉は信用できないな。『黒の災禍』で共に戦った同族を殺せる訳がない」 『殺せるわよ!! あなたが望むなら今すぐ全員殺したっていい!!』  『白銀皇女』は、何とかダグボルトを引き留めようと必死な形相で叫んだ。  だが当のダグボルトは口元に微かな笑みを浮かべている。 「フッ。今の言葉は軽率だったな。つまりお前がミルダを生かしておいたのは、仲間の魔女のためじゃなかったって訳だ。正直、俺が不思議だったのは、なぜお前がミルダを生かしておく必要があったのかって事だ。お前はミルダが死んだところで魔力を失う訳じゃない。つまり生かしておいたのは、他に重要な理由があるからだ」  図星を突かれて『白銀皇女』の顔色が変わった。 「さあ、ミルダを生かしておいた理由を教えろ」 『それは……言えないわ』 「俺を騙した上に、今度は秘密を明かさない気か? それでよくも俺を愛してるなんて言えたもんだな。この裏切り者め!」 『ち、違う! そんなつもりは……』  ペリドットフェローの口から聞こえる『白銀皇女』の声は震えていた。  だが精神的に優位に立ったダグボルトは、手を緩めずに『白銀皇女』を執拗に非難し続ける。  とうとう耐え切れなくなったガーネットブレイズが、二人の間に割って入った。 「あなたは誤解されています!! 殿下は決してあなたを裏切ってなどおりません!!」 「誤解? どういう意味だ?」 「殿下の行動は、全てあなたを守るためのものなのです。先日、殿下は『黒獅子姫』殿を狙う、とある者から取引を持ちかけられました。そしてその者があなたを傷つけない代わりに、『黒獅子姫』殿の身柄をその者に引き渡すという契約を交わしたのです」 『止めなさい! ガーネットブレイズ!』  『白銀皇女』は慌ててガーネットブレイズの口を塞ごうとした。  しかしガーネットブレイズは、彼女の手をすり抜けてダグボルトの肩に留まった。 「取引相手の名前は?」 「……それは言えません。しかしあなたが『黒獅子姫』殿と行動を共にしていたら、いずれはその者に消されていたでしょう。非常に狡猾で恐るべき相手なのです」 「そいつが俺に危害を加えると分かってるのなら、なぜリンドは先にそいつを殺さないんだ?」 「それは……」  鋭い指摘を受けてガーネットブレイズは口籠ってしまう。  だがその沈黙は答えを教えているようなものであった。 「成程。そいつはリンドに匹敵する強大な力を持ってるんだな。だからリンドの『見えざる焔』を持ってしても殺せないんだ。違うか? そいつはリンドと同じ『偽りの魔女』なのか? それとも別の――」 『もういいわ!! 早く出てって!!』  不意に『白銀皇女』が二人の話を遮った。 『今まで通り、くだらない世界を救うために戦い続ければいいわ。でも『黒獅子姫』は元に戻してあげないわよ。これからはあなた一人で戦いなさい。人間の力で魔女を倒せればの話だけどね。それで諦めがついたら、またここに戻ってくればいいわ。私はいつまでも待ってるから』  『白銀皇女』が手で合図すると、礼拝堂の入口を塞いでいた守備兵達が脇にどいた。 『それと、あなたにこれを渡しておくわ。たとえお互いに離れていても、これがあればまたきっと巡り会えるはずだから』  『白銀皇女』は、首にかけていた二つのペンダントの内の一つをダグボルトに差し出した。  見覚えのある黒の仔竜のペンダントを。 「……それはリンジーからの贈り物だ。お前からは受け取れない」  それを聞いて『白銀皇女』の顔が険しくなる。  しかしダグボルトは気にせずに話を続ける。 「もしお前が本気で俺を愛しているなら、ミルダを元に戻して、今度はちゃんと魔力を返してくれ。そうすれば俺はまたリンジーに会えるんだ」 『まだ分からないの、ダグ? あなたが知るリンジーはもうどこにもいないのよ。たとえ私が魔力を返しても、あなたの前に現れるのはただの狂女。もう二度とリンジーが正気に戻る事なんて無いわ』 「それでも構わないッ!!」  ダグボルトは叫んだ。  それは事情を知らぬ守備兵達でさえ、心を動かされるような悲痛な叫びであった。 「あの時、俺はリンジーの首を絞めたりしないで、優しく抱きしめてやるべきだった!!  確かにセオドラには、リンジーの舌は治せても、心の傷までは治せないだろう。だからこそ俺が、リンジーと苦しみを分かち合い、共に乗り越えるべきだったんだ。それなのに悪意に満ちたこの世界への憎しみから、俺はリンジーを見捨て、セオドラとも決別する道を選んだ。そして結果的に、セオドラまで守る事が出来ず『黒の災禍』を招いてしまった……」  ダグボルトの目に涙が浮かんだ。  過去に捨て去ったはずの人間らしい感情が再び蘇るのを感じる。  短い間だったがリンジーと共に過ごした日々は、ダグボルトの石のように頑なな心に、決して消える事の無い温もりを与えていたのだ。 「セオドラを生き返らせる事はもはや不可能だ。だがリンジーにならまだ会える!! お前が魔力を返してくれさえすればいい!! どれだけリンジーが傷つき、正気を失っていてもそんなのは関係ない。これは俺にとって人生をやり直す最後のチャンスなんだ!!」  ダグボルトは『白銀皇女』に詰め寄った。  だが『白銀皇女』は怒りを露わにして突き放す。 『この身体は私のものよ!! あの女には絶対に返さない!! リンジーの事は忘れて、私を愛しなさい、ダグボルト!!』  しかしダグボルトは黙って首を横に振った。 『……それがあなたの答えなのね。なら好きにすればいいわ』  不意に『白銀皇女』の姿が消えた。  ダグボルトの説得を諦め、どこかにテレポートしたようだ。  ダグボルトが礼拝堂を立ち去ろうとすると、取り残された守備兵の一人が尋ねる。 「陛下、我々はどうすればよろしいでしょうか?」 「それはリンドに聞け。俺はもうお前達の王じゃない」  『白銀皇女』はヴィ・シランハの上空にいた。  巨大化したガーネットブレイズの背に跨る彼女は、子供のように泣きじゃくっていた。 『恋敵が、よりにもよってもう一人の私だなんてふざけてるわ!! そんな相手とどうやって戦えばいいのよ!!』 「今すぐダグボルト殿のお気持ちを変えるのは難しいでしょう。あの方の心の中に、リンジー・ブーシェの姿が焼きついている限りは。しかし気を落とされるな。いずれ必ず、あの方を振り向かせるチャンスがやって参りましょうぞ」  ガーネットブレイズが慰めるように言った。  だが『白銀皇女』は何も答えず、ずっと下を向いている。  馬に乗ったダグボルトが城門をくぐり、ヴィ・シランハを出て行くのが見えた。  きっとレウム・ア・ルヴァーナに戻るのだろう。  ダグボルトとリンジーの悲劇の地でもある、あの忌まわしき聖堂都市に。 『もちろんダグを諦めた訳じゃないわ。でも彼は、もうここには戻ってこないわね』  ぽつりと呟く『白銀皇女』。  声が急に冷たくなる。 『ダグのために造った都だけど、ここはもういらないわ』 「殿下、一体何をなさるおつもりで――」  ガーネットブレイズが尋ねる間もなく、『白銀皇女』はヴィ・シランハに向けて意識を集中させていた。膨大な熱エネルギーが朝靄に包まれた都市に収束される。  それは一瞬の出来事であった。  多くの市民はまだ眠りについていたため、自分達の身に降りかかった災厄を知らずに済んだ。  空が白々と輝き、長い夜が明けようとしている。  だがそれとは対照的に、愛馬に乗ってレウム・ア・ルヴァーナへの帰路につくダグボルトは暗澹たる気分だった。  結局、ヴィ・シランハでは何の収穫も無かったばかりか、『黒獅子姫』まで失ってしまった。  まだ死んではいないとはいえ、元に戻す方法など見当もつかなかった。  ふと何の気なしに背後を振り返ったダグボルトは唖然とする。  先程まで丘の彼方にあったヴィ・シランハの街並みが、蜃気楼のように忽然と消え失せている。  ダグボルトの脳裏に、市役所の上役の言葉が蘇る。 ――『白銀皇女』殿下を決して怒らせない事。  『白銀皇女』ではなく、リンジーを選んだことで、ダグボルトは彼女の怒りを招いた。  だがその怒りはダグボルト本人ではなく、罪の無い市民に向けられたのだ。  みんな死んでしまった。  右腕を鍛え上げてくれた鍛冶師も。  尋問で酷い目にあわせてしまった墓守も。  柄にもなく酩酊したところを見せた大臣もみんな――。  人間としての生を捨ててまで、絶対的な力の庇護を求めた『竜の異端』達が、その力によって滅ぼされてしまうとは何とも皮肉な話であった。  それは生きるという事が、どれ程過酷なものであっても、決して他人に自分の人生を委ねてはいけないという教訓でもあった。  しかしかつて自分の人生を、マデリーンとクレメンダールに委ねてしまったダグボルトには、彼らの気持ちが良く分かった。  絶対的な力に身を委ね、自らを同一化させる事で、生きる苦しみを忘れようとする者の気持ちが。  明るくなった上空に、黒竜に乗る『白銀皇女』の影が映し出される。  遠く離れているため顔は全く見えないが、彼女と目が合った気がした。  だが次の瞬間、黒竜はくるりと方向転換して飛び去って行った。  レウム・ア・ルヴァーナとは別方向に。  レウム・ア・ルヴァーナを滅ぼしてしまったら、二度とダグボルトと和解出来なくなると分かっているのだろう。  ダグボルトは懐から宝玉を取り出した。  柔らかな魔力の光が不思議と勇気を与えてくれる気がした。  宝玉の中で胎児のように眠る『黒獅子姫』は安らかな顔をしている。 (俺の選択が最善のものだったかどうかは分からない。だがそれでも俺は決断した。後は選択の結果を最後まで見届けるだけだ。たとえこの命を失う事になっても必ず助けてやるからな、ミルダ。この世界を救えるのはお前だけなんだから)  愛馬に拍車を入れるダグボルト。  いななきと共に蹄の音が街道の石畳を震わせる。  そして雲の切れ間から差し込む陽光の彼方――懐かしのレウム・ア・ルヴァーナへと去っていった。                     災厄の王女   完
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