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10
「どうしてお前は生きてるんだ? 確かにレウム・ア・ルヴァーナで殺したはずなのに?」
倒れている『黒獅子姫』の傍らに膝をつく『白銀皇女』に尋ねた。
『一応言っておくけど、ここにいる私はリンジー・ブーシェじゃなくて、人格的にはあくまでも『白銀皇女』よ。『黒獅子姫』によって、私は人間だった頃の記憶を封じられてるけど、脳の記憶野に残る信号を読み取って、あたかもリンジーの日記を読んだかのように、あなたに関するものも含めて全ての記憶を知ってるの。その記憶を元に話を進めさせて貰うけど、あの時のダグの心にはためらいがあった。だからリンジーを完全には殺せてなかったのよ』
「殺せてなかった?」
『ええ。そして仮死状態だったリンジーは土の中で息を吹き返した。だけどその時には彼女の心は完全に壊れてたの。彼女を見つけた墓守はすぐに病院に連れて行ったわ。ところが運の悪い事に、そこの医師は窃盗団に痛み止めを横流ししていた人物だったのよ。リンジーにその痛み止めが投与されている事に気づいた医師は、真実が発覚する事を恐れて証拠隠滅を図ったの。墓守には、リンジーの事は自分からダグボルトに伝えておくと嘘をついて、聖地から遠く離れた街にある精神病院の隔離病棟に幽閉したのよ。あの医師はリンジーを殺して、完全に証拠を抹消したかったんでしょうけど、自分で手を下す勇気は無かったみたいね。だから後に魔女として告発して、審問騎士団に始末させようとしたのよ』
話を聞き終えたダグボルトは、まだどこかぼうっとしていた。
もしかしてここは夢の世界ではないだろうか。
遥か昔に死んだはずのリンジーが生きていて、ついさっきまで生きていた『黒獅子姫』が死んでいる。あまりにも信じ難い現実であった。
ダグボルトはふらふらと立ち上がると、左肩に『黒獅子姫』の遺体を担ぐ。
玉座の間を立ち去ろうとしたのを見て『白銀皇女』が尋ねる。
『どこへ行くの、ダグ?』
「レウム・ア・ルヴァーナに戻ってミルダを弔う」
『それならここでもいいじゃない。『黒獅子姫』を死なせてしまったのは私なんだし、責任を持って彼女の国葬を執り行うわ』
「いや、その必要は無い。生前のこいつは、そういう派手な事は嫌いだったからな。それにこいつを埋葬する場所はもう決めてるんだ。レウム・ア・ルヴァーナの墓地。昔、お前を埋葬した場所の隣だ」
ダグボルトの言葉を聞いて、『白銀皇女』は一瞬あっという顔をする。
それは『黒獅子姫』に対する嫉妬のようでもあった。
『……じゃあ『黒獅子姫』を埋葬したら、ここに戻って来てくれる?』
「なぜだ? 俺がここにいなきゃならない理由なんかどこにもないはずだぞ」
『なぜって、それはあなたが、私とずっと一緒にいてくれるって約束したからよ』
ダグボルトはハッとした。
リンジーと交わした大事な約束。
あの時の情景が生き生きと蘇る。
だがすぐにダグボルトはその光景を頭から追い払った。
「それはリンジーに対して言ったんだ! お前にじゃない!」
『身体は同じなんだから、私に言ったも同然よ。それともあなたは私の心を弄んだの? キスまでした癖にひどいわ、ダグ』
『白銀皇女』はそう言って悪戯っぽく微笑んだ。
まるでリンジーのように。
(騙されるな、ダグボルト。今のこいつはリンジーじゃない。恐るべき力を持つ魔女、『白銀皇女』なんだ)
『白銀皇女』の中に映るリンジーの影を、ダグボルトは必死に打ち消そうとする。
「お前の冗談にはうんざりだ! 俺にはまだまだやるべき事が残されてる。こんな所で油を売ってる暇なんかないんだ」
『あなたには、もうやるべき事なんてないわ。『黒獅子姫』が死んだ以上、私以外の全ての魔女が力を失ったんだもの。『魔女殺しの騎士』が殺さなきゃいけない相手なんか、どこにもいないわ』
「俺が戦う相手は魔女だけじゃない。この世界から魔女がいなくなろうとも、野良の異端や傭兵崩れの野盗が人々を苦しめてるのは変わらない。そいつらを倒さない限り、この世界に平和はやって来ないんだ。それにガルダレア城塞に立て籠もってる奴らの動きも気になるしな」
『ガルダレア城塞?』
『白銀皇女』はきょとんとする。
「ガルダレア城塞とは、アシュタラ大公国の東に築かれた要塞ですぞ。しかし現在では『紫炎の鍛え手』軍の残党に占拠されているようですな」
彼女の隣で羽ばたいているガーネットブレイズが説明する。
『ふうん。そこにダグの敵がいるんだ。じゃあ行きましょう』
「行くって、おい――」
『白銀皇女』がダグボルトの身体に軽く手を触れる。
その瞬間、眼前の光景がぐにゃりと歪んだ。
気付くとダグボルトは白銀城の外にいた。
担いでいた『黒獅子姫』の遺体は忽然と消えている。
続いて現れた『白銀皇女』にダグボルトは詰め寄った。
「おい、ミルダはどこだ!」
『彼女なら玉座の間に残しておいたわ。これから出掛けるのに、連れて行くわけにはいかないでしょう?』
「出掛けるってどこに?」
『決まってるでしょう。あなたが言ってたガルダレア城塞よ』
「簡単に言うが、ここからだと少なく見積もっても二週間はかかるぞ。何の準備もしないで行ける距離じゃない」
すると『白銀皇女』は自信ありげな顔をして、チッチッと舌を鳴らした。
『そのくらいの距離、私には目と鼻の先よ。……ガーネットブレイズ! 出発するから準備して』
「しかしここを離れてしまっては、民が……」
『少しの間なら大丈夫よ。さあ早く!』
『白銀皇女』に急かされたガーネットブレイズは、ため息をつくと意識を集中させた。
すると子猫程の大きさの身体が膨れ上がり、瞬く間に牡牛程の大きさに変わる。
そして二人の前にうやうやしく膝をつく。
「では、お乗りください」
『白銀皇女』はすぐにガーネットブレイズの背にひらりと飛び乗った。
そしてダグボルトにも早く乗るよう手招きする。
ダグボルトに選択の余地などなかった。
『黒獅子姫』が死んだ今、名実共に最強の存在となった『白銀皇女』に逆らう事の出来る者など、この世にはいないのだ。
ダグボルトが後ろに乗ると、ガーネットブレイズは大きな翼を広げて上空に飛び立った。白銀城がみるみるうちに小さくなる。
力強い羽ばたきと共に、徳治の都ヴィ・シランハが彼方と消えていった。
前回の戦いで『黒獅子姫』の乗る黒き獅子は、マンティコア(獅子の身体に大きな蝙蝠の羽と蠍の尾を持つ伝説上の怪物)に変身出来るようになり、それによって飛行能力を手に入れていた。
だがマンティコア形態は魔力の消耗が激しく、長距離の移動には不向きなため、ヴィ・シランハまでは今まで通り地上を移動していたのだ。
その一方で『白銀皇女』は、無限に魔力を生み出せる特性故に、このガーネットブレイズを好きなだけ飛ばせるようであった。速さもマンティコアとは段違いだ。
『振り落されないように私の身体にしっかり掴まってて』
轟轟と風を切る音の中、『白銀皇女』の肩に留まるペリドットフェローが言った。
ダグボルトは『白銀皇女』の腰に回した左腕に力を籠めつつ頷いた。
二週間どころか僅か半刻(三十分)で、二人はガルダレア城塞の上空に到達した。
あれだけ苦労して陥落させた城塞が、今ではまるでミニチュアのおもちゃのようにちっぽけに見える。
城壁の周囲には、周辺の森林から切り出した材木で築かれた三つの簡易砦があった。
城塞側では何も動きは無いが、簡易砦にいた義勇兵達は、上空にいる黒竜に気付いてわらわらと外に飛び出してきていた。
「それでこれからどうするんだ?」
『それはもちろん、あなたに敵対する人間がどういう末路を辿るか、その身をもって教えてあげるのよ』
『白銀皇女』の言葉と同時に、ガルダレア城壁に向かって、魔力によって生み出された膨大な熱エネルギーが収束される。
一見、城塞には何の変化も無い。
だが周囲の灌木が次々と枯れていく。
「待て!! 近くに味方もいるんだぞ!!」
ダグボルトは慌てて叫ぶが時すでに遅し。
巨大な城塞の姿が陽炎のように揺らいだかと思うと、堅牢な石壁がみるみるうちに黒ずんでいく。
そして熱せられた蝋のようにぐにゃりと溶け、形を失った城壁の残骸は瞬く間に蒸発した。
その跡地は、まるでテーブルのように真っ平らになり、表面は高熱で黒いガラス状になっていた。
――これが『白銀皇女』の能力『見えざる焔』。
「………………」
言葉を失うダグボルト。
幸いな事に、城壁の周囲に展開していた味方に被害は無いようであった。
だがこれ程の破壊力を見せられては、もはや抵抗など無意味だと改めて思い知らされた。
「そういえばレウム・ア・ルヴァーナはあっちの方だったわね」
『白銀皇女』は北東の方を見て言った。
ダグボルトの顔から血の気が引いていく。
「お前、まさかレウム・ア・ルヴァーナを……」
『そんな顔しないで、ダグ。私はあんな所に興味ないわ。でも私って気分家さんだから、いつ気が変わるか分からないわよ。もしあなたが私の側からいなくなったら、大暴れしちゃうかもね』
ダグボルトの方に振り向いた『白銀皇女』は、そう言ってクスクスと笑う。
しかし目は全く笑っていない。
今度の笑顔はリンジーのものとはまるで違った。
人の命など何とも思わない冷酷無比な魔女の笑いだ。
「俺を脅してるのか?」
『別に脅してなんかいないわ。ただ、私の望みはあなたと一緒に暮らす事。それだけなのよ。たったそれだけで、私みたいな危険な魔女を抑え込めるのなら、安いものだと思わない?』
『白銀皇女』の顔から笑みが消え、真剣な眼差しでダグボルトを見つめる。
ホーリーグリーンの淡い輝きが、緋色の輝きにゆっくりと混じり合う。
ダグボルトは目を閉じて、そして答えた。
「……分かった。お前の所に残ろう」
すると『白銀皇女』は、ダグボルトの唇に自分の唇を重ねた。
柔らかな感触と優しい温もりが唇越しに伝わる。
唇を離すと『白銀皇女』はにっこりと微笑んだ。今度はリンジーと同じ微笑みだ。
『嬉しいわ、ダグ。ようやくあの時の約束が果たされるのね。さあ、私達の新しい家に帰りましょう!』
**********
ヴィ・シランハの上空まで戻って来ると、ダグボルトは街の様子がおかしい事に気付く。
通りに市民がばたばたと倒れている。皆、喉を押さえてぜいぜいと苦しげに喘いでいた。
「ほら、私めが言った通りではないですか。もう少し帰りが遅かったら全滅でしたぞ」
ガーネットブレイズが責めるような口調で言った。
「これはどういう事なんだ?」
「この都の市民は、皇女殿下から周囲二万ギット(二十キロメートル)以上離れてしまうと窒息死しまうのです。殿下の身体から発せられている、魔力を帯びた酸素が無いと生きられない身体ですので」
『その代り、私の側にいる限りは不老不死なのよ。私が死を与えない限り永遠に生き続けられるの』
二人の話を聞いたダグボルトはようやく気付いた。
「それじゃまさかあいつらは……」
『『異端』よ。この都に暮らす市民全員が私の下僕――『竜の異端』なの』
『白銀皇女』は事もなげに言った。
だがダグボルトは唖然としている。
(それだけの数の『異端』を生み出したら、普通の魔女なら魔力が枯渇して行動不能に陥るはずだ。本当にこいつは何でもありなんだな……)
『黒獅子姫』と知り合ったばかりの頃、ダグボルトは『異端』についていろいろと教わっていた。
『黒獅子姫』によると、『異端』と『偽りの魔女』は魔力を共有しているため、『異端』をむやみに増やし過ぎると『偽りの魔女』の方が弱体化してしまうという。
例えば北の城に棲んでいた『金蛇の君(アンフィスバエナ)』などは、本来は強大な力を持つ魔女なのだが、友達欲しさに『蛇の異端』を百体近くも生み出してしまったため、大幅に弱体化していたらしい。
そのため通常の魔女なら、魔力を弱める効果がある陽光の下でも、一応は活動可能であるにも関わらず、『金蛇の君』は居城の窓をカーテンで覆って引き籠り、吸血鬼のような生活を送らざるを得なかったのだ。
「まさかお前の力であいつらを無理やり『異端』に変えたのか?」
ダグボルトが警戒しているのを見て『白銀皇女』はくすくすと笑う。
「違うわ、ダグ。私は何も強制してないわ。彼らは戦乱の地を逃れてここに辿り着き、自ら望んで『竜の異端』になったのよ。人間として争いに怯えて暮らすよりは、『異端』になって私の庇護の元で暮らす方が全然いいものね。しかも『竜の異端』になれば、年をとった者も若返って永遠に生きられるのよ。これって素晴らしい事じゃない?」
目を輝かせて熱弁を振るう『白銀皇女』。
しかしダグボルトはなおも警戒しつつ言った。
「そいつは結構な話だ。だけど俺を『異端』に変生させようなんて考えるなよ。俺は人間として生き、人間として死にたいからな」
『勿論、あなたを『異端』になんかしないわ。『竜の異端』に生まれ変わるのは、私の下僕として選ばれた者だけ。だけどあなたは違う。だってあなたは私と対等の存在だもの』
そう言って『白銀皇女』はにっこりと微笑んだ。
**********
木々の合間を風がそよぎ、枝のぶつかり合う音が微かに響く。
白銀城の裏手にある林の奥の空き地に、『黒獅子姫』のための簡素な墓所が用意されていた。
墓穴の側には墓碑と思しき無銘の御影石が置かれている。
周囲にはシャベルを手にした四人の墓守が立っている。
墓穴には細やかな装飾の施された棺桶が置かれ、その中に穏やかな表情の『黒獅子姫』が横たわっていた。
昨日、『白銀皇女』の魔力を浴びて息絶えたばかりの時は苦しげな表情だったが、誰かが顔の筋肉をほぐしてくれたらしい。
『白銀皇女』は昨日のドレスとは打って変わって、落ち着いた黒の喪服を着ている。
ダグボルトも鎧を脱いでいて、彼女に借りた喪服姿である。
二人は『黒獅子姫』の胸元に、そっと黒百合の花を置いた。
『白銀皇女』が頷いて合図すると、墓守の一人が棺桶の蓋を閉じ、残りの三人がスコップで土を被せていく。最後に四人がかりで、墓碑を墓穴のあった場所に置いた。
「急ごしらえのために、このような墓所しか用意出来ず申し訳ありません。後日、きちんとした形に造成いたしますので、今はこれでご容赦ください」
墓守の代表者が申し訳なさそうに言った。
「いや、これでいいと思う。何となくあいつには、こういう質素な墓所の方が合ってる気がするんだ」
『白銀皇女』が口を開く前にダグボルトが言った。
「それで墓碑には何と刻みましょうか?」
墓守が遠慮がちに尋ねた。ダグボルトはしばし考えた後、こう答える。
「……『真なる魔女』にして、心優しき悪の導き手――『黒獅子姫』ことミルダ・シュトラウス、ここに眠る。彼女は配下の魔女に叛かれ全てを失うも、元審問騎士ダグボルト・ストーンハートと共に世界に安寧をもたらさんとした。ヴィ・シランハにて志半ばで力尽きるも、彼女の遺志は『真なる聖女』セオドラ・エルロンデの遺志と共に、人々の心に永遠に受け継がれるであろう……」
墓守は今の言葉を熱心にメモにとっている。
ダグボルトはその場に膝をつくと、つるつるの墓碑を撫でた。
(ただの人間に過ぎない俺の方が長生きするなんて思いもしなかったぞ、ミルダ……)
ひんやりと冷たい墓碑に額を当てると、彼女の声が聞こえてくるような気がした。
「……悪いがしばらく一人きりにさせてくれないか?」
『白銀皇女』は無言で頷くと、墓守達を連れて城の方に戻っていった。
ダグボルトはそのままずっと墓碑の側を離れなかった。
リンジーがそうであったように、『黒獅子姫』が土の中から這い出してくるのではないかと、ただひたすらにじっと待っていたのだ。
日が暮れて心配した『白銀皇女』が迎えに来ると、ようやくダグボルトは重い腰を上げて城に戻っていった。
翌朝、与えられた寝室で休んだダグボルトは、起こしに来た給仕に『白銀皇女』がどこにいるか尋ねた。
「殿下なら王座の間にいらっしゃいます。でも今はあなたをお連れしないようにと言われているんですよ。あなたをびっくりさせたいからって夜通し作業を……。あっ!!」
給仕は急に青ざめる。
「す、すみません!! 今のは聞かなかった事にしてください!! ああ、どうしよう……。もしあなたに王座の間の事を話してしまったと知られたら、きっと殿下はお怒りになるわ」
給仕が涙目になっているのを見て、ダグボルトは優しく肩を撫でた。
「心配するな。誰にも言ったりしない。これは俺とあんたとの秘密だ」
「本当ですか!! 済みません!! 本当に済みません!! それでは朝食の準備が出来ているので先に食堂にいらして下さい」
給仕はぺこぺこと何度も頭を下げると寝室を出て行った。
『白銀皇女』は家臣に相当恐れられているらしい。
市役所の役人が、ちょっとした理由で焼き殺されたのを考えれば、それも当然だが。
着替えを済ませて食堂に向かうが、『白銀皇女』はまだ玉座の間にいるらしく、ここに姿は無い。
席に着いたダグボルトの前に給仕が運んできた食事は、どれも滋養に富んでて味わい深いものだった
が、今の状況では味などほとんど分からなかった。
食事を終えて給仕が食器を片づけようとした時、『白銀皇女』が食堂に入ってきた。
『ご飯は食べ終わったみたいね。ちょうど良かったわ。ダグに見せたいものがあるの』
『白銀皇女』はダグボルトの肩に触れた。
周りの景色が歪み、二人は玉座の間の入口に立っていた。
「昨日もそうだったが、これは一体どういう原理で移動してるんだ?」
『これも『強制魔力転換』の応用よ。肉体を細かい魔力の粒子に変える事によって、短距離なら障害物をすり抜けて自由にテレポート出来るの』
「だけど人間の俺には魔力なんかないぞ。それなのにどうして肉体を魔力に変換できるんだ?」
『それはあなたの肉体を、私の肉体に同化させてるからよ。それなら魔力が無くても問題ないでしょ。そして移動を終えたら、また分離しているの』
「同化だって!?」
ダグボルトの顔に恐怖の色が浮かぶ。
「冗談じゃない!! お前と同化したまま、永遠に生き続けるような最期は絶対に御免だ!! もう二度と俺にあの技は使うな。絶対にだぞ!!」
『そんなに怯えないでよ、ダグ。私は肉体を再構築するための魔力をいくらでも生成出来るから、『黒獅子姫』に同化してしまった『石動の皇(コロッサス)』みたいにはならないわ』
そこで『白銀皇女』は急に何かに気付いて顔をほころばせる。
『そうだ! この技を使えば、私の身体だけでなく、あなたの身体も修復出来るわ。その左目と右腕を再生出来るのよ』
そう言って『白銀皇女』はダグボルトに手を伸ばす。
「止めろッ!!」
ダグボルトは彼女を睨みながらじりじりと後退した。
「この傷は俺の愚かさの代償みたいなものだ。だからこのままでいい」
『愚かさの代償? 愚かなのはむしろ私の方よ。『黒の災禍』であなたと相対した時、初めはあなたが被っていたフルフェイスヘルムのせいで顔が分からなかった。そのせいで、危うくあなたを焼き殺してしまう所だったわ。悲鳴を聞いてすぐにあなただって分かったけど、大怪我を負わせてしまった事をずって悔やんでたの。だからせめてその左目だけでも治させて』
しかしダグボルトは首を振って拒絶する。
「その『黒の災禍』が起きた一因は、審問騎士団がセオドラを処刑した事にある。だから審問騎士だった俺にとってはこのぐらい当然の罰だ。いや、むしろこれでも俺が犯した過ちに比べれば軽すぎるくらいだな……」
苦悩に満ちた緋色の瞳が悲愴な輝きを放っている。
慙愧の念がダグボルトの心を蝕む。
幾度となく人生の選択を誤り、あまりに多くの大事なものを失ってしまった。
パートナーの『黒獅子姫』を亡くしたせいで、ダグボルトは彼女に出会う前の自分に戻りつつあるのを感じていた。
全ての情熱を失い、半ば生ける屍と化していた脆弱な自分に――。
『そんな風に自分を責めないで。大体、『黒の災禍』が起こったのは『黒獅子姫』が魔女の軍勢を生み出したからだし、それに……』
そこで急に『白銀皇女』は口をつぐんでしまった。
「それに?」
「……何でもない。あなたがそう言うなら傷はそのままにしておくわ。それより早く玉座の間に入ってみて」
『白銀皇女』に背中を押され、ダグボルトは玉座の間の両開きの扉を開く。
中に入ると、昨日までとは異なっている事がすぐに分かる。
『白銀皇女』の銀の装飾が施された玉座の隣に、二回り位大きな金の装飾が施された玉座が置かれていた。
「あれはまさか……」
『そのまさか。あなたの玉座よ。昨日言ったでしょ。あなたは私と対等な存在だって。だからこれからは、二人でこの国を統治するのよ』
それを聞いてダグボルトは頭がくらくらとする。
ただ一緒に暮らすだけのはずだったのに、いつの間にか彼女のペースに巻き込まれている。
気付けば一国の主にされようとしているのだ。
もし『黒獅子姫』が生きていたら、おぬしが王になるなんて面白過ぎる冗談じゃな、と一笑に付した事だろう。
『どうでもいいけどあんまり驚かないのね。もしかして玉座の事、誰かに聞いた?』
先程までにこにことしていた『白銀皇女』の顔がすっと暗くなる。
晴天の空が突如として雨雲に覆われ、ごろごろと雷が鳴りだしたかのように。
ダグボルトは慌てて首を横に振った。
「いやいや、そんな事は無い。ただあまりに突然の事なんで、驚きより先に戸惑いの方が大きかったんだ。正直、こんな事を企んでたなんて全然気づかなかったぞ」
『フフッ。企んでたなんて大げさね、ダグ。あなたをびっくりさせようと思って、ずっと内緒にしてたのよ』
『白銀皇女』はまた元の穏やかな表情に戻った。
彼女の感情の変化の激しさに、ダグボルトは内心呆れていた。
外見はリンジーでも、やはり中身は恐ろしい魔女なのだ。
『さあさあ、早く座ってみて。あなたに合うように、大きめに造らせたんだけどどうかしら?』
ダグボルトは仕方なく金の玉座に腰掛けてみる。
羽毛の詰まった柔らかなクッションはもちろんの事、その下のスプリングが実によく効いていて、まるで宙に浮いているような座り心地だ。心地よさ気なダグボルトの顔を見て満足したのか、『白銀皇女』も隣の玉座にぴょんと腰掛けた。
『あなた達、もう入っていいわよ』
『白銀皇女』が部屋の外に声を掛けると、臣下の者達がどやどやと玉座の間に入って来た。
彼らは次々とダグボルトの前に跪き、皇王即位の祝いの言葉を述べていった。
大臣、近衛騎士、執事、給仕、コック、掃除婦……。
余りに人数が多いため、名前を覚える事すら出来ない。
そんな調子で、気付けば二刻程が過ぎていた。
最後の一人が祝いの言葉を述べて玉座の間を去ると、ようやく解放されたダグボルトはほっと胸を撫で下ろす。尻の下のクッションは汗でぐっしょりだ。
『白銀皇女』は肩に乗っているガーネットブレイズと何やら話していた。
「……それで皇王陛下の即位パレードを開催するのは、いつ頃がよろしいでしょうか。領民の記憶に残るような盛大なものにするためには、最低でも二週間は必要かと存じますが」
『そうね。やるからにはダグに恥をかかせないような立派なものにしたいわね。それなら――』
「待て待て!! 即位パレードって何だ!! そもそも王になる話だって俺は全く了承してないぞ!!」
二人の話を聞いていたダグボルトが口を挟む。
内心、ダグボルトは危機感を覚えていた。
『白銀皇女』の機嫌を損ねたくはないが、かといってこのまま言いなりになっていては、どうなってしまうか分からない。
「とにかく、これからは俺を無視して勝手に話を進めるな!! 分かったな!!」
それだけ言うと、ダグボルトは玉座を降りて自室に戻っていってしまった。
ガーネットブレイズはどうしたものかと思案顔になる。
「……陛下はああ言っておりますが、いかがいたしましょう?」
『一応、パレードの計画だけは立てておいて。ダグは私が時間をかけて説得するわ』
**********
ダグボルトと『白銀皇女』は夕食のテーブルについた。
これまでに何度か食事を共にしていたが、まだ会話はどこかぎこちなく途切れがちであった。
食もあまり進まない。
ダグボルトは蟻の義手を失ったため、左手だけで食事を口に運ぶ。
審問騎士時代の訓練によって両利きになっていたとはいえ、やはり多少不便ではある。
ふと『白銀皇女』の食事を見ると、彼のものとは異なりどろどろの流動食であった。
舌が無いので普通の食事は食べづらいのだろう。
味も分からないに違いない。
「何で舌を再生しないんだ? 俺の身体すら治せるんだから、そのぐらいは簡単だろ」
ダグボルトは思わず尋ねる。
だが『白銀皇女』は悲しげな顔で首を振った。
『ううん、他の傷は治せても、何故かこれだけは無理なの。もしかするとリンジーの負った心の傷が、私の中にも残ってて再生の妨げになってるのかもね』
「そうか……」
二人は再び無言に戻った。
すると今度は『白銀皇女』の方から話し掛けてきた。
『そう言えば、あなた達が殺した『碧糸の織り手』と『紫炎の鍛え手』が、どうして仲違いしてたか知ってる?』
ダグボルトは眉根に皺を寄せて少しの間考え込む。
「ええと、確か……。そう、あいつらは美醜の価値感を巡って争ってたらしい。『紫炎の鍛え手』は美しいものを嫌って破壊し、逆に『碧糸の織り手』は美しいものを愛でて保護していた。俺が殺した『碧糸の織り手』がそんな感じの事を言ってたよ。だが、そんなくだらない理由で始まった殺し合いに巻き込まれた人々は、気の毒としか言いようがないな」
『でもあの二人の価値観の相違と、互いを憎悪し合うのにはちゃんとした理由があるのよ。人間だった頃からの忌まわしき因縁がね』
「――前から気になってたんだが、強大な魔力によって精神を歪められるのを防ぐために、お前達はミルダから人間時代の記憶を奪われてるはずだ。だが『碧糸の織り手』と『紫炎の鍛え手』だけでなく、他の魔女も人間時代の心の傷が原因で、狂気に捉われてたのはどういう訳なんだ? ミルダはああ見えて意外とドジな部分もあるが、全員の記憶を封じ損なうなんて、いくら何でもありえないと思うんだがな」
話の腰を折られた『白銀皇女』は、一瞬返事に困った顔をした。
『さあ。それは私にも分からないわ。それでさっきの続きだけど、話は彼女達がまだ人間だった頃に遡るわ。二人はアシュタラ大公国の、とある貴族の家に生まれた双子の姉妹だった。美しい顔も気立てのいい性格も瓜二つで、十八の誕生日を迎える頃には、それぞれに若くてハンサムな婚約者がいたのよ。ここまでの人生は順風満帆よね。ところが双子の片方が突然、思わぬ悲劇に見舞われたの』
ダグボルトはいつの間にか話に引き込まれていた。
『白銀皇女』はゴブレットに注がれた赤ワインを一口飲むと話を続ける。
『知ってるかもしれないけど、『黒の災禍』が起きる二年ぐらい前にモラヴィア大陸南部で『赤蝋病』っていう伝染病が大流行したの。その頃、姉妹一家は北部に旅行に出掛けてたんだけど、体調不良で家に残ってた姉だけが病に感染してしまったの。幸い医師の手厚い看病によって命だけは取り留めたわ。だけど戻って来た家族が目にしたのは、全身の皮膚が蝋のように溶けて、黒と深紫色の斑に変色した肉が剥き出しになった姉の姿だった。そんな身体になってしまったために、もちろん婚約は破棄。以前は彼女を可愛がっていた両親ですら、変わり果てた姿をまともに見る事が出来ず、距離を置くようになったわ。でもただ一人、妹だけは献身的に姉を介護し続けたの』
「姉妹、それも双子だから他の親族より心が通い合ってたのかもな」
『そうね。でもそれも長くは続かなかった。姉――つまり人間時代の『紫炎の鍛え手』は、今まで彼女の美しさを褒め称えていた周囲の人間が、一転して侮蔑と嫌悪の目で見るようになった事に絶望していったわ。彼女はとうとう正気を失い、介護してくれる妹にまで当たり散らすようになっていったの。そうした状況に、妹も段々と疲れを覚えて始めていったわ。でもさらに悪い事に、今度は妹の婚約者が婚約を破棄したいって言ってきたの。理由なんか聞くまでもなかった。妹――人間時代の『碧糸の織り手』はついに理解したの。心も身体も醜悪になってしまった姉が生きている限り、自分に幸せなんかやって来ないってね。それで闇のルートで入手した毒薬を姉の飲み水に――』
「もういい」
ダグボルトは乾いた口調で言った。
「あの二人が悲惨な人生を送っていたのは良く分かった。確かにその点に関して同情はするが、だからといってそんなのは別にあいつらだけじゃない。だから俺は『碧糸の織り手』を殺した事を悔いてはいない」
『それがあなたの信念って訳ね。今更、こんな議論は無意味かも知れないけど、あなたの行いはあまりにも不毛だわ。そうやって私の同族を殺し続けた先に、一体どんな未来があったっていうの?』
「そんなのは決まってる。『偽りの魔女』のいない平穏で安全な世界――つまり『黒の災禍』が起きる前の世界だ」
ダグボルトはきっぱりと言い切った。
だが『白銀皇女』は、冷めた表情でダグボルトを見ていた。
『ふうん。それって心清らかだった双子の姉妹が、互いに憎しみ合うような世界の事? それともうら若きシスターが薬漬けにされて、舌を抜かれレイプされるような世界の事? それがあなたが言う平穏で安全な世界なの? まさかそんな世界を取り戻すために、あなたは今まで命を懸けて戦ってきたっていうの?』
ダグボルトは反論の言葉に詰まる。
すると『白銀皇女』は勝ち誇ったように微笑んだ。
『フフッ。あなたの負けね、ダグ。あなたを含め世間の人々は、『黒の災禍』をまるで恐ろしい大災乱(アポカリプト)みたいに言うわ。でも私はそうは思わない。むしろこれは天から授けられたチャンスなのよ』
「チャンス?」
『そう。悪意を持った人達によって歪められた旧世界は、『黒の災禍』で綺麗に一掃された。だから私達は、新しいキャンバスのようにまっさらになったこの世界に、新たな秩序とルールを望むままに描く事が出来るのよ。そして私は、来たるべき新世界のテストモデルとしてこの都を造ったの』
「新たな秩序? テストモデル? お前は何を企んでるんだ!?」
『白銀皇女』は一呼吸おいて、そしてこう言った。
『世界中の全ての人々を、この都の市民と同じように『竜の異端』に変生させる。それであなたの言っていた平穏で安全な世界が実現出来るわ』
「なッ!?」
余りにも途方もない計画を聞かされたダグボルトは、驚いた拍子にテーブルの上の水差しを倒してしまう。床に落ちたガラスの水差しが粉々に砕ける。
「だ、だが『竜の異端』は、お前の周囲二万ギット以内にいないと死んでしまうはずだ。まさか世界中の人間をここに集める気か?」
「ホッホッホッ。それなら心配ご無用ですぞ」
『白銀皇女』の肩に留まっていたガーネットブレイズが、誇らしげに胸を張る。
「殿下は無限の魔力を持つお方。必要に迫られれば、いくらでも能力を拡大できるのです。殿下が本気を出せば二万ギットどころか、モラヴィア大陸全土に魔力を帯びた大気を放出することだって可能なのですぞ」
「つまり今の計画は単なる妄想じゃなくて、本当に実現可能なんだな……」
ダグボルトは軽いめまいを覚える。
――新世界の創世。
それはこの世界を創りしミュレイアへの反逆を意味するのではないだろうか。
だが同時に魅惑的な計画でもあった。
今までこの世界の何者も――『真なる聖女』セオドラですら無し得なかった、恒常的な平和を実現できるのだから。
『全てはあなた次第よ。あなたの望みは私の望み。差別も争いも無い、善良なる世界が欲しければ、あなたがそう望みさえすればいいの。そうすれば、すぐに私がそれを現実のものに変えてあげるわ』
(俺の手に……。世界の命運を握る選択が……)
『白銀皇女』は、戸惑うダグボルトの耳元でこう囁く。
『焦る必要はないわ、ダグ。この都でしばらく暮らしてみて、それから答えを出せばいいのよ。でもすぐに私のやり方が最良だって気付くでしょうけどね』
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