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4
ベッドの中で延命装置に繋がれた老齢の女性の周りでは、一分ごとに弱まってゆく彼女のバイタルを安定させようと白衣の男女が忙しく動きまわっていた。ただ、制服姿の数名の軍人と巨大なモニター、それを制御する装置が据え付けられていなければ、そこは普通の病室に見えたかもしれない。
こめかみから太い銀髪の帯を枕にたらした老齢の女性に白衣の壮年男性が懸命に話しかけている。
「さぁ、早く目を覚ましてくれ。もう残された時間がないんだ」
「脳波活性化。またです。対象はレム睡眠に入りかけてます、ダーレス教授」
モニターの制御装置を操作している若い技術者が白衣の壮年男性の注意を喚起した。それでもなお老齢女性に声を掛け続ける彼に、軍人が堪りかねて声を掛けた。囁き声ではあるが、それがより一層の緊迫感を漂わせた。
「ぐずぐずしている暇はないぞ、ダーレス。また駄目なのか」
しばらく努力を続けていたダーレスは力なく頷いた。その様子に軍人は遂に怒りを爆発させた。
「なんてことだ。世界の命運が、この老女一人の生き死にに左右されているとは」
「生き死にではなく、目覚めるかどうかだよ、ハワード将軍」
「どちらでも同じことだ。彼女の命は、今まさに尽きようとしている。目覚めさせることができなければ、どのみち世界は終わる。そうだろ」
「あぁ、君の言う通りだ……」
部屋のカーテンを引き開けたダーレスの前に、ガラスのようにひび割れ、古い壁画のように、所々、剥落した青空が広がっていた。しかも剥落した部分から垣間見える異空間は地獄のように赤黒い炎が渦巻く未知の世界だった。
今また空の一部が剥がれ落ち、異空間に吸い込まれて砕け散った。青空の下には捨て去られた車が蟻の列のように連なり、無人と化したオフィス街に繋がっている。数か所のビルからは火災の煙が激しく立ち上り、空のひび割れから異空間へ吸い出されている。
絶望に陥った人々は自暴自棄になって自滅するか、自宅に引きこもって、その時が来るのを待つしかなかった。
「彼女が使った秘術は事故死した息子を蘇らせるものではなかった」ダーレスは自分に言い聞かせるように淡々と語り始めた。「そう。それは蘇生ではなく、創生の秘術だった。夢の世界を創るものだ。ただし、その夢は現実世界を確実に侵食する。優しい世界が創り出されるのか、それとも過酷なものができあがるのか、使った本人にもわからない。夢の中に取り込まれた者は自身に与えられたキャラクターを演じるしかない……我々が助かるには、夢であると本人が気づいてくれるか、向こうの世界を終わらせる滅ぼしの呪文をキャラクターの誰かが唱えることで本人の夢を終わらせるしか方法がないのだ。まだだ。そうだ。まだ諦めてはいかんのだ」
「だが、彼女の息子は失敗したぞ。二回目のチャンスは、まんまと逆に返り討ちにあった。我々が希望を持ち続けたところで、夢の中のキャラクターを自由に操れんのでは、呪文を唱えさせるどころではないな」
鼻を鳴らした将軍はモニターに目を戻した。
モニターは色のない世界のダイニングで対峙する老齢の母親と養子の子供を再び映しはじめていた。
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