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 視界の端に何かが微かに動くのを感じた母親は目を向けた。養子の少年が、死んだ息子の背広のポケットから手帳を取り出したところだった。 「まぁ、そんなものをどうするつもり」 「使おうと思って」 「それが何か知ってるの」 「ぼくは賢いんだよ、お母さん」  動じるどころか、悪びれもせずに答える少年に母親が詰め寄ろうとした。だが、少年は挑戦的な視線を投げ返しながら後ずさった。 「それに足も速いんだ」 「わかったわ。で、何が望みなの、あなたは」 「呪文だよ。ぼくは呪文を読まなきゃならないんだ」 「あら。蘇りの呪文は、二度は効かないのよ。とても残念だけど、あなたの義兄(にい)さんは……」 「ぼくが読むのは滅ぼしの呪文だよ」  母親は思わず噴き出した。 「賢いだなんて、やっぱり子供ね。その呪文を読めば、あなたも私も死ぬことになるのよ。たぶん、自分だけで世界を創り変えようと思ったのね。でも、それは私と一緒に……」  母親がしゃべっている間に少年は呪文が書かれたページを開いた。それに気づいた母親は思わず声をあげた。 「何をするの」 「さっきも言ったよ」 「それを読めば、あなたも私も滅んでしまうのよ」 「ウソだね」 「ウソなもんですか」  ダイニングテーブルを間に挟んだ母子は闘鶏のように円を描きながら互いの距離を保った。 「この世界を手にしたいんだ」 「それは、あなたと私がすることなのよ」  少年はゆっくり首を振った。 「ぼくは一人でやってみたいんだって」 「わかったわ……けど、私に理解できるのは」母親の手には、いつの間にか二十五口径の小型拳銃が握られていた。「あなたは自分が思うほど賢くはなかったってことね」  少年は、ぎくりとしたものの、すぐに不敵な表情に戻った。 「さっきも言ったでしょ。ぼくは足が速いんだって」 「銃弾より早く動ける人間はいないわ」 「ぼくは子供だから的は、とっても小さいけど」 「私は夫から射撃を学んだこともあるのよ」 「へぇ、でもそれは近距離の護身用だよね。そんなので正確な射撃ができるのかな。即死さえしなきゃ、呪文は読めるんだよ。それに義兄(にい)さんの死体が盾になるかもしれない」 「それは、どうかしら」 「さぁ、どうだかね」  互いに凶器を構えた母子は相手を射すくめるように笑いあった。  破局をもたらす一瞬の隙を伺いながら。           了
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