燕子花

1/1
前へ
/7ページ
次へ

燕子花

「ただいま」 アヤメは家に入ると、引き出しからボロボロの紙を取り出した。 破かれた台本、兄の最期の言葉。 多くの言葉は書かれていない。ただ一言、 『幸せになんて、なれない。』 生きる意味を、生きるべき世界を見失った兄は、驚く程簡単に、アヤメの前から消えてしまった。 アヤメが兄の言葉を見つけ、どんなに泣きながら否定しても、もう兄はいなかった。 「こんなもの、もう、いらない。」 そう言って、アヤメは紙を引き裂いた。 だって、その言葉は間違っているから。 「どんなに辛くたって、線を1本引けば幸せになれる。」 兄はこの話が嫌いだった。 簡単に引ける線なんて、簡単にはずれてしまう、と。 「だけどね、お兄ちゃん。」 アヤメは、ずっと考えていた。兄が死んだあの日から。 「何度だって、線は引けるよ。私はそう思う。」 そう言って、アヤメは同じ引き出しから1冊の台本を取り出した。 それは、あの、勇者と魔女の物語。 しかし、最後の方のページが少し違っている。 セリフの上に幾つもの線が引かれ、書き直されていた。 「これ、私とお兄ちゃんで書き直した台本。 ハッピーエンドにしたいねって、お兄ちゃんが言ったんだよ。結局演じられなかったけど。」 物語は、終わらない。 魔女と勇者は悩みながらも、そこに生きる意味を、見出して行くのだ。 それはきっと、兄が生きたかった世界。 それはきっと、兄と笑っていられた世界。 アヤメは、空に向かって、語りかけた。 「ねぇお兄ちゃん。覚えてる?この話の続き。」
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加