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一見、それが何であるかは認識しがたい。男の肉体はほぼ余すところなく白布が巻かれ、表情はおろか顔立ちすら伺うことはできなかったからだ。
風はない。カーテンは揺れない。
無機質な電子の音と、白。それから数本のチューブがこの世界のすべてに感じられる。
「…………ぁ」
そうではない。
ミイラのような姿の患者がちいさな声を吐息でもらすなり、世界はずんと質量をもった。
気軽に揺れることすら厭うほどの空気。吹き返した生命は今そこにある。
男は、それすら俄には信じづらい様子だった。緩慢極まりない動作であげた包帯まみれの手を見つめるさまは、縹渺を眺めるよう。
溜息をついた。溜息のような呼吸だった。
病室は静かである。人の気配はこのミイラ男のものしかない。
「いき、て……?」
声は細く、掠れている。
包帯越しでもわかる痩せこけた肉体。
満足な食事を摂らず、睡眠を削り、ただあくせく生きた人間の姿だ。
「奇跡的に一命を取り留めたそうだ。積んであった資材の上に落ちたのだとか」
私の声は静かに広がって、すうっと男に向かう。
包帯の奥から視線を寄越したと感じるや否や、男は酸素マスクをくもらせた。
「何を笑っている」
まったく。目覚めの一番から失礼な。
腕組みをする私へと目を向けたまま、男は酸素マスクを小刻みに白ませている。
「普通の服が、あんま、りにも、にあわないから」
ローブと羽根のイメージしかないから。
そう、男は咽せるように笑う。
「ああ。どこらじゅう、いたい。笑うと、もっと、いたい」
「生きるとはそういうことだろう」
男はもう一度笑った。笑いに近い、震えかたをした。
「俺、これから、どうなるんだろ、う」
「自由に決めればいい」
包帯の奥で眼差しが揺れる。
「会社はもうない。真実は明るみになり、罪人は捕らえられた。おぬしが眠っているあいだにも世界は動いていたから」
「じゆ、う」
「そう。すべてをなげうって働くも、娯楽に身を浸すもすべては己次第」
己の選択。
「生き方を選ぶのは、己である。“楽しい世界に身を浸せる”か、“浸さない”かも自分で選ぶこと」
ベッドと縁へと歩み寄り、顔面の包帯をそっと暴いてやった。
長い眠りの明けだというのに、疲れた目元。その黒ずんだ涙袋をつつくと、惑いの雫がじわりと布に染みる。
「ところで。私も身を浸してみたいのだが。そのために、何日も顕現してみせているのだが? 目覚めるのが少々おそいではないか」
勘違いした主治医とはすっかり顔馴染みになってしまった。人間のふりをして通い、適当な返事をしているうちに「ご家族」扱いである。
おかげであれこれと説明を受ける羽目になってしまったではないか。まったく。
「おぬしとともにゲームがしたくて、待っていたのだぞ」
そう告げると、男はカチカチに固められた腕で顔を隠してしまった。
包帯の上から着せられている病衣が揺れている。そうして、彼はとてもとても小さな声で言ったのだ。
「……老害って、言われちゃわない、ですかね。ふるい用語ばっかりつかって、古参ぶりやがって、って」
声は掠れている。震えている。そして、とても小さい。末尾など聞き取ることも難しいほどである。
しかし、私はしかと聞いたぞ。
「たのしむ生き方を、選択します」
そう、顔を隠したままの男は言ったのだ。
しかと未来を感じる声で、言ったのだ。
私の名は、慈悲。
神の慈悲である。
あたたかな幸福を与える存在が、私だ。
魔法使い男に贈る、神の慈悲 終
「では、さっそくあの壁画絵ゲームを——」
「……とっくにサービス終了、してるんで、無理っす」
「別のものを今から——」
「からだ治るまで、まって……いててて」
「では、早々に起きあがれるよう回復に努めよ」
「…………それは、ゆっくり、させて……」
「うむ。よろしい。仕方なしだぞ」
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