魔法使い(みそじ)男に贈る、神の慈悲

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 しかし、そのなかでも理解ができたことはある。 「何故、人の敵を攻撃してはならない? 手助けできるのにどうしてしない」  それを薄情というのではないか? そう呟けば、背の丸い男は生意気にも「ははは」と笑った。 「色々あるんすよ。うっかりトドメを刺しちゃったら、ドロップアイテムの権利がこっちにきちゃうし。範囲魔法使うときなんて本当に気を遣ったなぁ」  男はへらへらと笑っている。カチリカチリとスカラベを触り、ぼんやりとした杖持ちを巧みに操っているようだ。  しかしながら気合のない銃の構えをした絵のほうはというと、そう余力があるようには思えなかった。  ぎこちなく、奇妙な円を描いて走る。腕の生えたキノコがうねうねと追いまわす。歪に止まりながら、絵は走る。 「……逃げ惑っているようだが?」 「ですねぇ」  男はキーボードやらスカラベやらをやかましく叩いているだけだ。 「ぬぁーっ! やばいっ死ぬ死ぬっっ!」  絵に指示を出す、カーソルなる名の白指を眩しい画面のなかでせわしなく動かして。  澆薄な生き物よ。  今度の呟きにはなんの反応も返されなかった。男はそれどころではないとばかりに一人で騒いでいる。  幾分か萎びた気持ちで見遣った液晶までもがやかましい。カチカチカチダダダダ。それにあわせてキンッ、キンッ。キラキラキラキラ。キンッ。キラキラ。キンッ、キンッ。 「頑張れ。頑張れよぉぉーっ。い、いたい! 攻撃痛い! ちょっ、はやく倒してくれ! ほんっ、魔職は紙防御なんだから! はよっはよっ……! もうちょっと……もうちょっ……いけー!! 撃て撃てーー!! 死ぬっ! 俺死ぬっ! おわわわこっちくん……」 「…………」 「死ぬーーー!! 負けんな頑張れ! ぎゃーーっ! 死ぬぅぅぅーー!!」  キラキラ。キラキラキラキラ。  細かな光が逃げまわる無表情壁画たちにまとわりつく。やたらとやさしい水面色が、輝いている。 「それは、何——」 「あーーー! しんだーー! 床ペロォォォ!!」  男は笑い出した。腹を抱えてゲラゲラゲラゲラ。  鮮やかだった一面の森林絵は彩りをうしなって、中央には灰色になった杖持ちが横たわっている。仰向けだ。私には床を舐めているようには思えないが、男はひたすら「あー。ペロったー。あー。あはははは! やっちまった。あはははは!」と笑っている。 「あー、おっかし。ひひひ」  椅子にもたれていた背を起こし、画面を指でつんと突いた。  私はいよいよわけが分からなくなった。男の指先では銃を背負った小さな絵が、じっと倒れたものを見下ろしていたからだ。 「やったな。イェーイ」  見れば、キノコの化け物はいない。画面の端に(かす)るものはいるが、あれとは違う個体であることはなんとなしに把握ができた。 「……倒したと?」 「そう」 「それで。おぬしの絵は何故に床ペロをしている」 「やー。アクティブモンスターに袋叩きにされて。あいつら、微妙に確殺できないんだよなぁ。魔職向けの敵ってアホみたいに攻撃力高いからさぁ〜。いや、俺のキャラが紙すぎるだけなんだけど! はっはっは。あ、紙ですよ、紙。神じゃなくて。紙みたいにペラッペラの防御力って意味っす。ははははー」  カクサツ……。と口のなかでだけ反芻させたつもりであったが、 「一撃で確実に殺す、的なアレっすよ。ワンパンみたいな。魔法使いなんでパンチではないんすけど。このキャラで殴りさせたら二時間かかっても雑魚一匹倒せないすよ。なんてったって——」  だのと早口で解説された。まぁ、助かるといえば助かる。多少だけ、聞かれていたことが恥ずかしくおもえたが。まぁ、そこはよいとして、だ。 「なんのかんの言って、助太刀してやったのではないか」  ほんの少し、感服が口をついた。先程まで逃げ回っていた絵は、いまだに男の絵——キャラを見下ろしていた。どこか申し訳なさそうに、ここに残して去るのは忍びないといわんばかりに立ち尽くしているのだ。 「や、攻撃はしてないすよ。あのキノコ——マンゴロロゴラっていうんですけど。魔法ダメージはほとんど入らないし。ほら、さっき言ったように、万が一トドメを刺しちゃって〜ってことがあるし」  男の目がじんわりと細まった。 「ただ、回復魔法を一生懸命にかけてただけで。まー、それで自分がペロってるんで、世話ないんですけど。ひひひ。……あー、そんなに気にしなくてもいいのに。この画面になると、チャット打てないからなぁ。エモーションも出せないし。やったな、銃さん! ドキドキして楽しかったぜ!」  いまだ立ち尽くす銃持ちをもう一度だけつつき、男は自分の絵をそっと撫でた。そうして「ホームへ」と書かれた目に痛い色の四角に白手をのせた。  水晶の木から枝を手折るような、どことなく香ばしくもある音がスカラベから鳴る。途端に画面世界は彩りを取りもどし、灰色の森林から砂の街に背景を変えた。  壁画絵のように独特の表情をした分身をなぞった男の指は、どこか誇らしげだ。
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