1人が本棚に入れています
本棚に追加
この男の夢は妙であった。というべきか、変わっていた。
「昔していたゲームがしたい。ほんの一瞬でいいから、あの懐かしさに浸りたい」
そう言ったのだ。
神の慈悲は大層なものであり、もうすこし大掛かりな——たとえば、金が欲しい。時の権力者になりたい。不治の病を治したい。など——ものでも良いのだと私は告げた。神の慈悲は万能であるのだぞと言えば、男は鼻息をあらくして、尚更にそれを願ったのだ。
遊戯というから、盤遊びの相手をさせられるものと思った。神の慈悲が相手をしなくとも叶えられそうな夢であるのに……。と、考えたのは束の間。男のいうゲームというものは、ねっとじょうで皆で戦い遊ぶものであったのだ。
そっと衣袖を捲っていたのに残念などとは思っていない。嘘ではない。
願いは聞きとどけられ、男は甲高い歓声をあげてノートパソコンにかじりついた。
「これ! これだよ! このビミョーな2D感! このクッソみたいにやすっちいオープニング曲!」「おお、おおお、俺のキャラ残ってる! すっげ! すっげ! 思ったよりレベル高くなかった!」などと、大層に喜んでいたものだ。
あとは前述の通り。
彼は私に——ひいては神への感謝もそこそこに、カチカチガチガチダダダダダとスカラベやらキーボードやらを奏でて奏でて奏でまくっているというわけである。
「いやー、相変わらず、ほんっとデスペナうまいなー」
画面最上部の「0.2%」の記しに触れ、男はまた笑った。うまいと言っている割には皮肉を感じ得るのは気のせいだろうか。まさか、慈悲を喜んでいないのか。
「楽しいか」
多少の揺らぎを精神の奥で感じて、ふいにそう尋ねれば。
「すっっっげぇ、楽しいっす」
液晶から目を離し、男は私を振り仰いだ。その表情は輝かしいほどだ。神の慈悲とはそういうものである。
当然のことではあるが、すこしばかり鼻が高い気分になった。
「さっきの銃の人といい、他のプレイヤーといい、えぇと、アナタ? が操作してるんですか?」
「操作? 私は夢を叶えるだけだ」
「よくわかんないすけど、違うんすね」
「うむ」
「あははははは」
カチ。カチ。
スカラベが心地よく鳴く。彩りの世界で、せっせと壁面顔の絵が走る。生きる。
表情がないくせをして、やたら生き生き、そこにある。
「思えば、俺の青春ってこれだったのかもしれないなって」
砂漠を駆け、森を駆け、自由を体現する。
「いまどきのMMORPGからみれば、動きもモッサリしてるし、表情うごかないし、声ないし、釣りやらなんやらのシステムはないし、キャラの衣装もいじれない。俺の用語だって、きっともう古臭い」
時折きこえてくる囀りは、描かれた木で揺れている鳥の絵によるもの。
「だけど俺、これが好きだった。ばかみたいに時間を溶かして、朝も夜も昼もなくこのネトゲをしてた。体力ゲージもみえない知らない人に回復かけまくって、ごくたまーに『キンキンうっせ』って言われて落ちこんで。ハムスターもびっくりの回転率で敵を狩って、ドロップ品集めて、NPCにクエスト報告して。このゲームに使ったなんにも生み出さない時間が、ばかみたいに楽しかった」
見ず知らずの壁画絵たちに癒しのきらめきを与え、男ははしる。
生き生きとはしる。
最初のコメントを投稿しよう!