母に電話

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「もしもしお母さん?」  私は今年の春から新天地で1人暮らしを始めた。社会人としての新生活に心弾ませていた。しかし、昨今の状況で友人も作れず、1人寂しい毎日を過ごしていた。  そんな状況で、私は母との電話に依存していた。毎晩2時間は必ず、長いときは5時間ほど通話した時もあった。 「あなた最近電話してきすぎじゃない?」  母も心配するほど、毎晩の恒例となっていた。会話の内容は、今日どんなものを食べたとか、どんな仕事をしたとか、どんなテレビを見たとか、そういったとりとめのないものである。 「まあまあいいじゃん、それでねーきょうはねー」  今日は嫌な上司の悪口を言った。仕事が遅いだの、服装がだらしないだの、何かと私を目の敵にする嫌な上司が職場にいる。その上司がいかに非道な人間か、とにかく聞いてほしかった。 「それはかわいそうにね、大変だったでしょ」  母はいつでも私の味方だ。私に非があろうとなかろうと、いつだってほしい言葉をくれる。18年間も私を育てたのだから、1晩の理解者になるのは当然である。私が風邪をひいたときも、交通事故に巻き込まれて大けがをした時も、いつも献身的な愛情を注いでくれた。 「それでねそれでね、ちかくにおいしいラーメン屋さんがあるんだけどー」  気づけば通話を始めてもう50分近く経っていた。やはり母との電話が一番心が安らぐ。思えば、私からの母への愛情が開花したのは、母が大病に倒れた時だった。私も子どもながら必死に看病したが、病状はひどくなるばかりだった。そんな生活があったからこそ、母がいるということの頼もしさと尊さに気付けたのかもしれない。社会の荒波に飲まれようと、友達ができず孤独な思いをしたとしても、母が存在するという事実が私を強く支えていた。もちろん私自身も強く母を愛していた。会話はまだまだ続く。  しかし、会話が始まっておおよそ1時間弱経過したとき、母はいつも会話の最中おかしなことを言う。 「それで、どうする?今日も延長する?」  いまいち意味が分からないが、私の答えは決まってこうだ。 「あと1時間お願いします。」  こうして、私と母の楽しいひと時は今夜も続いていくのだった。  次の日、彼女はクレジットカードの利用明細を確認した。「実家電話サービス」に昨日の代金として15000円ほど振り込まれている。彼女はその明細を見て見ぬふりをして、今夜も「母」に電話をかけるのだった。  終わり  
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