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その時、後ろからドアの開く音がした。振り返ると小夜が立っていた。靴を履いておらず、小さな裸足は雨で汚れていた。
「私は」と小夜が言い終わる前に僕は立ち上がった。
「僕にとってあなたは、初めて本音を話せる人でした。なのにあなたは自分の本音を俺に隠している。サボるって言ってたあの夜の時間さえ、あなたはあなたを作っていたんだ。だから」
言っていて視界が滲んでいく。これじゃあ彼女の彼氏と同じだ。僕は違うんだって話し続けようとする僕の前に彼女が飛び込んできた。思わず受け止めると、彼女のスイッチが入ったのか、わんわんと泣き叫んだ。
「私も、本当は言いたかった。あなたが私の小説が好きだって言ってくれてすごく嬉しかった。でも憧れとは程遠い私に先に出会った君が、幻滅しちゃうんじゃないかって。怖かったの。あの時間が無くなることが怖かったの」
僕の服を掴む小夜の力と緊張が背中に伝わる。その想いが僕の涙腺の蛇口をそっとひねる。僕らはただ気持ちが治まるまで泣き叫んだ。
部屋に戻った僕たちは微妙な距離を保って同じ空間にいた。特に話すこともなく、時間が過ぎていく。
結局何も話さないまま乾燥機の終了を知らせるメロディーが鳴り響く。彼女が徐に足って脱衣所へ向かう。すぐにドアが開く音がして、そちらを見るといつもの彼女が立っていた。彼女が玄関で靴を履くのを見て僕も向かう。
「服、ありがとう」
「いえ」
短い会話はすぐに途切れてしまう。彼女はぐっと口を噤んだままドアを開けて外へ出た。開ききったドアの向こうではもう風も雨も止んでいた。
自然に閉じていくドアの隙間から見える彼女に向かって僕はたまらず叫んだ。
「明日も、あの公園で!」
彼女が振り返ったと同時にドアがばたんと締まり、外の世界が遮断される。僕はしばらくしてキッチンへ向かって二つのマグカップを洗い始めた。
さっき、ドアが閉まる瞬間の彼女の顔が脳裏に浮かぶ。確かに彼女は笑った。涙をたっぷり浮かべた目でニコッと笑った。
僕は窓の外に見える穏やかな夜を見上げる。僕らは明日も、あの公園のベンチに座る。
今度こそ、お互いに本物の夜のサボりをするために。小夜に会うために。
分厚い雲の隙間から黄金色の月光が輝いていた。
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