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「今日は僕の大切なものを持ってきたんです」
僕は鞄から例の本を取り出して彼女に渡した。カバーのついた本を彼女は不思議そうに開く。その時、はっと息をのむ音が聞こえた。それから彼女はタイトルを指で丁寧になぞる。
「もしかして、この本読んだことあるんですか?」
興奮して思わず顔を近づけて訊いてしまった。慌てて首を引っ込める僕を見て彼女は緩く握った手で口を隠してくすくすと笑う。
「すみません。この本読んだことある人中々出会わなくてつい……」
「大丈夫だよ。いや、この本見るのを懐かしくて」
「やっぱり読んだことあるんですね」
それから僕は彼女にこの小説のこと、そして瀬古晴也さんについて熱く語った。誰にも話したことがないのに、昨日会ったばかりの人に話しているなんて不思議だ。口下手な僕の舌が滑るように動いて言葉を発する。話し終わったときには軽く息が上がっていた。
「どうやったらこれだけ人の気持ちを動かせる言葉や物語を思いつくんでしょうね」
「どうして? 君も作家になりたいとか」
彼女は目を通していた本から急に僕の方へ顔を上げた。一瞬言おうか迷ったが、この人にならと鞄からキャンパスノートを取り出した。
「実はそうなんです。昨日あなたと出会った出来事を小説にできないかと、授業中ずっとまとめていました」
僕の枝葉のように伸びたページを彼女がのぞき込んだ。顔が肩のすぐ近くにあり、風が吹くたびに彼女の柔らかな髪が僕の頬を撫でていく。
「すごいね、もう作家さんみたい。これいつ物語になるの?」
「まだ題材が少ないというか、起承転結の起だけなのでこれから物語を展開していかないと」
「じゃあ、私は君の小説の登場人物になれるわけだ」
「そういうことになりますね」
「嬉しい。出来たら最初に読ませてね」
「分かりました」と同時にポケットに入れていたスマホが突然震えた。確認してみると、姉からのメールでいつ帰ってくるのと催促の連絡だった。
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