夜のサボり

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 鍵を抜いてドアを開けると、奥からテレビの音が漏れていた。僕は自分の部屋に鞄を置いていから手を洗うために洗面台へ向かった。うがいした水を出して顔を上げると姉ちゃんが壁に寄り掛かって鏡に映る僕を見つめていた。 「なんだよ、急に後ろに立たれると怖いんだけど」 「なんだよ、じゃないから。帰ってきたら『ただいま』くらい言いなさいよ。強盗が入ったかと思ったじゃない」 「わざわざリスク背負ってまで二十四と高校生の家に強盗に入る気にはなれないけどね」  口元をタオルで拭いてリビングへ向かった。父さんの仕事の都合で両親は二年前から海外に住んでおり、僕は姉ちゃんと二人で暮らしている。 テレビではバラエティーが流れており、演者の笑い声が部屋を無理に明るくさせていた。テーブルに目を移すと一人分の夕食が準備されていた。どうやら姉ちゃんが作ってくれたようだ。 「いただきまーす」とカレーライスをスプーンですくって口に入れる。姉ちゃんは料理が自他ともに認める料理下手だが、カレーライスだけは母さんのよりおいしいと僕は思っている。書く祐姉ちゃんは僕の作るカレーライスが好きらしい。黙々と食べる僕の向かいに姉ちゃんが座った。 「きょうは、バイト?」 「そうだよ」と僕は平気でうそをついた。今日はファミレスで勉強しながら夜を待っていた。 「あんた、彼女でもできた?」  割と真剣に聞いてくるものだからむせた。慌てて水を飲むとようやく酸素がスムーズに流れてくる。 「どうゆうこと?」 「だって、高校生がバイトに勤しむなんて彼女ができたぐらいじゃないの?」  姉ちゃんは笑いながら僕が飲み干した空のコップに水を注いでくれた。 「姉ちゃんみたいにイケイケじゃないから。俺がバイトしようと何しようと勝手だろ」 「それはそうなんだけどねえ」と姉ちゃんは立ち上がって冷蔵庫からオレンジジュースを取り出した。 「そういえば、そろそろ決めたの、進路」 「だから大学には行かないって。特に勉強したい分野とかもないし」 「じゃあ働くの?」  姉ちゃんの矢継ぎ早の質問にげんなりする。 「まだ高校二年なんだから、その時になったら何とかするよ」 「逃げてるのね。人生から」  姉ちゃんの何気ない言葉が背中に鋭く刺さった。振り返ると、姉ちゃんは平然とオレンジジュースをぐびぐび飲んでいた。 「別に大学に行けって言ってるわけじゃないの。働いてもいいし、専門学校でもいい。ただ、自分でちゃんと悩んで決めなってこと。逃げたっていつかは選択しなくちゃいけない時が来る。大学進学とか就職は決まった期間があるからいいけれど、大人になったらタイミングも突然訪れるし選択肢も山ほどあるから、今そこを背けてると大事な場面で選べないダサい人間になるわよ」 「じゃあ姉ちゃんは選択できる大人なのかよ」  ぶっきらぼうに言葉をぶつけると、姉ちゃんは頬杖をついてこちらを見つめる。何も言ってこず、ただ見つめ合う時間が続くので僕はたまらず目を逸らした。 「なんだよ」 「姉ちゃん、来月結婚するの」  思わぬ展開に声が裏返った。姉ちゃんの彼氏、智也さんとは何度かご飯に行ったことがあるけれど、自分の姉が誰かの奥さんになるということが想像つかなかった。 「それで、一緒に引っ越さない? 智也は快く受け入れてくれたから」 「勝手に話し進めるなよ。そんな新婚の家に居候するなんてできないって。俺はこの家に残るから」 「どうやって生活するのよ。このマンションは姉ちゃんの会社が負担してくれているから住めてるってのに」 「だったら安めのアパートに引っ越すから。姉ちゃんたちの厄介にはならない」  そう言い捨てて僕は自分の部屋に逃げた。椅子に座って両手で顔を覆う。これじゃあ姉ちゃんの言う通りじゃないか。僕は現実から逃げている。  本当は言い返してやりたかった。小説を書きたいんだ、僕にはちゃんと夢がある。あのノートを突き出して言ってやりたかった。でも、それすらも言えなかった。きっと姉ちゃんからしたら部活とかサークルみたいなことだと言われそうだから。それで生活できる人なんてごくわずかだと現実を突きつけられるだけだ。  僕はノートを開いて物語の展開を書きだした。今はただ没頭したかった。それに、きちんとものにしないと本当に夢物語と思われるから。  ペンを走らせる度、物語の世界にのめり込んでいった。
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