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それからの僕は滝のように流れてくる物語を原稿用紙に書き留めた。授業中でもトイレで用を足している時も小説のことが頭を埋め尽くしており、思いつけばすぐにメモに残していく。何かが忙しくなれば周りも反応するようで、バイトも連勤が続いていた。もともとのシフトのほかにパートのおばさんが腰を痛めたり、留学するバイトの人がいたりと人手が足りてないところに容赦なく入れられた。注文を取って皿洗いしている時もお客さんの言動から小説のアイデアがないか考えている。疲れが積み重ねられていくが、それを思わせないほど満ち足りた気分で溢れていた。小説が捗るし、その後に会う彼女との会話のネタにもなるからだ。
彼女とはほぼ毎日、会えなくても二、三日に一度はあの公園で会っている。今日も公園のベンチに座っている彼女に手を挙げて駆け寄る。今日の彼女の手中にあるのは発泡酒ではなくて、紅茶だった。
「お酒じゃないんですね」
「今日は会社の飲み会だったの。やっぱり疲れるなあ」
「でも、気前よく飲んだんすね」
「飲めるっていいことも悪いこともあるのよ。私お酒飲むときあんまりご飯食べないからお腹すいたー」
体をのけぞってお腹をさする彼女を見て僕は鞄からタッパーを取り出した。
「もしよかったらですけど食べませんか。バイト先の賄いですけど」
タッパーの中の炒飯を見るなり、彼女は目を輝かせて宝箱のようにのぞき込んだ。足をパタパタさせる彼女が僕より年上には見えなかった。
「ええー、うれしい! ちょうどがっつり食べたかったところ!」
彼女にスプーンを渡して一緒に一口頬張る。恐る恐る彼女の顔をうかがうと、「んむー」と唸っていた。
「おいしすぎる。どうやったらこんなパラパラのご飯になるんだろう。いつも作る時、べちゃってなるんだよね」
「炊き立てのご飯なら先に卵と混ぜておくんですよ。それで強火で一気に炒めたらパラパラになりますよ。反対に冷凍したご飯の時は卵後乗せですね」
「さすがバイト君。よく見てるねえ」
彼女は大きな口でこんもり掬った炒飯をもう一口入れる。
「それ、実は僕が作ったんです。最近人が少なくて厨房にも入るようになって」
「そうなんだ。君と結婚したらこんなおいしいご飯が食べられるんだ」
何の気なしに言う言葉にいちいち反応してしまう。僕は彼女と会うたびに、彼女への気持ちが変わっていることを確信していた。
「付き合っている人とかっているんですか」
美味しい美味しいと絶賛しながら食べる彼女に僕はそれとなしに訊いてみた。すると彼女は「いるよ」と自然に答えた。流れるような答え方に思わず聞き逃しそうだった。
「へえ。どんな人なんですか」
「穏やかな人かな。なんでも受けいれてくれる人」
彼女の幸せそうな顔を僕は直視できなかった。密かに彼女の本当の顔を知っているのは僕だけだと思っていた。火照っていた頭が一気に冷めた。
そういえば、この人のこと何も知らないや。
「だったら、こんなところに他の男といたらまずいんじゃないですか」
明らかに声のトーンも低くなったし、投げやりな言葉が口から出た。やっぱり自分はまだガキなんだなと思い知らされる。
「今は遠距離だから心配しないで。でも明日半年ぶりに会えるんだー」
それを知ってのうえでなのか、彼女は幸せそうに顔をほころばせる。
「ねえ、炒飯たべないの?」
彼女に言われて僕は残りの炒飯を平らげた。
さっきまで美味しかったのに、どこかしょっぱく感じた。
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