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私の父が死んだ。
控えめに言っても最低の父親であった。
親は子を選べないとはよく言われるが、子が親を選べないこともまた同様で、仮に選べるのだとしたら絶対にこの人は選ばなかったであろう、そんな親であった。
煙草に酒にギャンブル。
そういった法律には触れていないが世間体には良くない類のものを父は一通りやっていた。借金はもちろん作っていた。
働きもせず、というよりは働いているふりだけはし、朝家をふらっと出て、競馬だの、パチンコだの、そういったところで時間と少ない金を潰し、夕飯頃になるとふらっと戻って、母が作った飯を「うまい、うまい」と薄っぺらい感想を言いながら食べては、また夜遊びにふらっと出かけるか、そのまま自室に籠ってゲームをしながら寝るかのどちらかであった。
私は何度か学校に行くふりをして父を偵察していたので知っていたが、母はこのことを知っていたのだろうか。昼のパートと内職の掛け持ち、家の家事まで一人でこなしていた母がそんなことを知る余裕なんてなかっただろう。もしかすると父がそんなことをしているなんて想像を巡らせないためにあんなにも必死に働いていたのかもしれない。そう思うと私の母の何と哀れなことよ。
母はどうしてこんな人と結婚したんだろうと私は常々思っており、実際に一度だけ、そのことを直接母に聞いたこともあったが、「あの人には私しかいないから」といった類の言葉が返ってきたような気がする。その辟易したくなる程の優しさがきっと父には都合が良かったのだろうな、ということは想像に難くない。
その母は5年前に死んだ。
誰がどう見ても過労死であった。
いつかこんな日が来るんだろうなと思っていたのが予想通り来て、あまりに予想通りすぎて、母の悲報を学校の先生から聞いたとき、全く悲しくならなかったことを今でも覚えている。
ああ、今日だったのね。みたいな感じだ。
貯蓄なんてほとんどなかったので葬儀なんてできないと思っていたが、母方の祖父母が工面してしてくれたこともあり、小規模ながら行うことができた。その葬儀中、私は涙を一滴もこぼさなかった。
私はその母方の祖父母に引き取られた。母の過労の明らかな原因である父の元に私を置いておくなんてことはできない、というのが彼らの言い分で、父はそれをあっさりと引き受けた。
私は祖父母らの元で何不自由なく暮らした。彼らの援助と奨学金を工面してなんとか大学にも通うこともできた。大学の立地の関係上、一人暮らしをするしかなく、お世話になった祖父母の元を離れるのは忍びなかったが、彼らはそれを快く受け入れてくれた。
そして一人暮らしに慣れ、大学の授業にも慣れ、部活は入らず、サークルをいくつか掛け持ち、バイトはそこそこ、仲の良い友達も何人かできて、運良く彼氏にも恵まれた。そこそこ幸せで普通の大学生の生活を送ってはや2年。
その悲報は訪れた。いや、これまでの仕打ちを考えるならば朗報と捉えるべきなのかもしれないけど。
私の父が死んだ。
なんてことはない。
ただの交通事故であった。
父は自動車を買うお金なんてどこで作ったのだろう、そもそも免許なんてものをあの人が持っていたのか、なんてことをはじめ思ったが、歩道を一人歩いていた父に飲酒運転の車が突っ込んできたとのことだ。
即死だったらしい。
その死に方が、不謹慎ながら何とも父らしいと思ってしまった。
父が死んだことで父の抱えていた借金を私が肩代わりしなくてはならないのだろうかと不安にもなったが、父が死んだことによって入ってきた保険料と父を殺してくれた運転手が払ってくれた慰謝料のおかげでその心配の必要はなさそうであった。
私は父の葬儀を小規模ながら開いてあげることにした。父が死んだことによって入ったお金を一部でも父のために使ってあげた方がいいだろうと思ったのもあるが、ほとんど気まぐれみたいなものであった。
葬儀には私一人しか出席しなかった。
まあ、予想通りと言えば予想通り。
父方の祖父母はもう二人とも亡くなっていたし、一人弟がいたらしいが随分前に蒸発したとか。母方の祖父母にはなんとなく憚られて葬儀をやること自体教えていない。向こうから何も連絡してこないことから、まさか私が父のために葬儀を開いているだなんて思いもしていないのかもしれない。
葬儀は淡々と行われた。
父の肉を燃やした後は、余った骨を骨壷に入れ、必要あるかと疑問に思うような手順をいくつか踏んだ後、一番安く済む方法で父を埋めてあげた。
葬儀が終わり、私は適当なファミレスに立ち寄り、そこで大して好きでもないフライドポテトをつまみながら物思いにふけてみる。
父の死に対して、悲しいとかザマーみろとか、そういった気持ちはあまりない。私の死に対する感性は母が死んだときから狂っているみたいなもので、故に致し方ないのであるが、私は父が死んだことにより壮大な何かを思うことはなかった。
あえて言うなら、こんなものか、ぐらいは思ったかもしれない。
所詮は他人の死。
父が死んだところで、ここ数日を冠婚葬祭を理由に合法的に休んだ後、私は何食わぬ顔でいつもの生活に戻り、父のことなど頭の隅にも置かず生きていくのだろう。そんなことを想像してみる。
それは実に現実味のある想像であった。
その程度のことだ。
所詮はその程度のことなのだ。
人が一人死んだことなんて。
その程度のことなのだ。
そう思って私はポテトをひとつまみして、口に放り込む。
大して好きでもないのに頼んだポテト。
大した義理があるわけでもないのに開いた葬儀。
なんとなく似ているような気がして、そのことが今日一番の発見のように思えた。
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