父とトレンチコート

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 田舎のショッピングモールの良いところは、空間が大きいというところだ。  都会の同じ看板の店より、はるかに大きい。  一緒に来たはずの家族とははぐれがちだが、買い物かごが他の客とぶつからないのは、私にとってなんだかとても居心地が良いことなのだ。 私は父と、近所のショッピングモールの某ブランドに、ブラウスを探しに来ていた。 「必要なものは買ってやる」 父のその言葉は、求職中のニートにとって、まさに仏だった。  それにしても、品物が多い。 『衣服ロス』などという言葉をちらほらテレビで聞くが、そんなことは関係なしというように、大量の衣類が陳列されている。 私たちはぐるぐると歩き回った。見たいものほど、見つけるのに時間がかかる。  そんな中、ふとトレンチコートが目に入った。  今年の流行はピンクなのだろうか。  ピンクのトレンチコートを着た女性のフォルムのマネキンが、得意げにポーズをとっている。 「そういえば、トレンチ着ないよね」 私は隣を歩く父に聞いた。  トレンチコートを着ている父を、見たことがない。嫌いなのだろうか。 「うん、もってないからね」 父は当然のことのように言った。 そうじゃない。そうじゃないのだ。  しかしそこで、「そうじゃない」とはツッコみたくなかった。  奥歯のあたりまで出かかった言葉と笑いを飲み込んで、 「ふーん」 と返した。 それ以上、その話が進むことはなかった。 父の持っている買い物かごには、紺の靴下が2つ入っていた。
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