M-other

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 それから5年が過ぎた。  ナオヤは再生手術の経過が良く、部活動の試合にも出られるほどの驚異的な回復を見せた。  だけど本人も言っていた通り、急速な老化は止められなかった。    1年経つ頃には30代の体に、2年経てば初老に、3年経てば老人へと変わっていった。白髪や視力の衰え、内蔵機能や筋力の低下、更には常に呼吸不全の症状に苛まれている。  出来る事は何でもした。  月にある体細胞を使っての臓器・細胞移植は元より、老化を抑制する研究機関に投資したこともある。  すべてはあの子のため。  私のせいで4年しか生きられないあの子の命を、少しでも永らえさせてやりたい。そして、もう二度と息子に先立たれたくなかった。  息子への慈しみと罪悪感、母親としてのエゴで溢れているけれど、あの子に生きていてほしいと思う気持ちには変わりない。 「ナオヤ、今日はいい天気よ」  カーテンを開けると、強い陽光が差し込んだ。思わず目を瞑るも、ナオヤはゆっくりと開けた瞳で、ぼんやりと窓の外を眺めていた。  入院はせず、できるだけ長く親子で過ごせるように手配した。  自宅に医療機器を運び込み、定期的に医師の検診を受けている。一番日当たりのいい部屋で、温度湿度の管理も自動でできるシステムをつけた。  夫が残してくれた財産をほとんど食い潰したとしても、少しも惜しくはない。  私は、どんなことをしてもナオヤの傍に居ると決めたのだから。   「う……」  その時、ナオヤの声が聞こえた。もう話す力がなく、手元の端末で筆談するのが常となっていた。  端末には一言『水』と書かれていた。 「わかった。待っててね」  私は空になっていた水差しを持って、部屋を出た。  廊下に出て一人になると、涙が出た。  あの子の辛さを思うと、涙せずにいられない。  同級生たちは今頃学校に通い、試合だ、試験だ、遊びだと忙しいというのに、どうしてナオヤだけがあんな姿でいなければいけないのだろう。  端末での会話は不便で、入力も簡単ではない。瞳の動きによって文字を入力する機能を使用し、自由の利かない体で普通の何倍もの時間をかけてようやく数文字打つ。  たかが『水』と言うだけで苦労しなければならない息子が、哀れで仕方ない。  だけど涙を流すのは一人の時だけと決めている。  ドアを開ける前に涙を拭い、息を整え、そうして軽くノックをして部屋に入ると、ナオヤは瞳を閉じていた。心拍に異常はない。眠っているようだ。  ここのところ、一日の大半を眠って過ごしている。苦しむ時間が少なくてすむならその方がいい。  ベッドを整え、胸元まで布団を引き上げると、足元に何かが落ちた。  先ほど会話した筆談用の端末だ。壊れた様子はない。  ほっと息をつくと、画面に見慣れない文章が表示されていることに気付いた。  一目見て、驚いた。  そのファイルには、いつもの単語の羅列ではなく、きちんとした文章が書かれていたのだ。一言書くだけでもあれだけ苦労していたというのに、これだけの文字を書くのにどれだけかかっただろう。こまめに保存しながら書き進めたのだろうか。  それほどまでの労力をかけて書いた文章とは、いったい何なのか。
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