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――ねぇ、ポルックス。僕の友だち。僕たちは、この世界がふたりを分つまでずっと一緒に暮らせるよね。
――そうだよ、見て、カストール。僕たちは、あの双子座のようにずっと一緒さ。
* * * * * *
6/21 10:30am
十三歳であるジーン W.キャスターは、その日も退屈な学校生活を過ごしていた。こんなにも良い天気なのに、”唯一の大親友”と遊ぶことも叶わず小さな教室という箱に閉じ込められ、ディスカッションの授業を受けていることは全く無意味に思えた。この教室に同じように閉じ込められている(教師が級友と呼ぶ)人たちは、退屈そうに欠伸をしている者もいれば、意見交換に盛んな者もいた。ジーンは、劇場で見る映画のように、そんな様子をどこか他人事のように感じていた。
「ちょっと、聴いてるの? ジーン? ……ジーン・キャスター!」
級友の一人(やたらと構ってくる女子)が声を上げ、ジーンは溜め息をつく。
「聞こえてる。あと、ジーンじゃないよ。ポルックス。ポーって呼んでと言っているだろう」
「いつもそう言っているけれど、どうして貴方、自分の本名を名乗らないのよ」
「いいんだ。僕にはこれが本当に名前のように思えるから」
「ふぅん。不思議なことを言うのね」
まぁいいわ、ポルックス、と彼女は大げさに息を吐いて肩をすくめた。
――あぁ退屈だ。
ジーンは頬杖をついた手を左右入れ替え、もう一度大きな溜め息を吐いた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
6/21 10:30am
「……であるからして、ここの化学式は………」
今年、齢にして十三歳になるジーンは、代々キャスター家の専属教師を勤めている年寄りをボーッと見ていた。美しいスーツだ。この晴れ晴れしい天気には暑苦しいくらい、首元まできっちりと着込んでいる。
「ジーンさま。ではこちらの式の答えは……」
「カストールって呼んでって言ってるのに」
「そうはゆきません、ジーンさま。ワタクシにとって、城主であるキャスター家の方々のファミリーネームを、呼び捨てで呼ぶ事など……」
「キャスターじゃなくて、カストール。ただの呼び名じゃないか」
「いいえ、ジーンさま。私はキャスター家に代々お使えするだけの身分の者。そのように親しげにお呼びするには心から恐ろしく、もっと畏敬の念を持ってですね……」
「わかった。もういいよ。式を答えればいいんだろう」
大きく溜め息を吐き、ジーン――カストール――は立ち上がりホワイトボードに書き込むため式を脳内に思い浮かべた。
この家の人間は、”僕”という人間には興味が無い。いつもそうだ。いつもいつも。”僕”のことを分かろうともしない。真の意味で”僕”を一番理解し分かってくれるのは、彼――ポルックス――だけだ。
――今頃いつもの退屈な授業を、受けているんだろうな。早く帰ってきて。ポー、今日は君に、何を話そう。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
6/21 3:30pm
「ジーンさま、おかえりなさいませ。本日はこれからお父様のお仕事仲間であるキャンサー家と会食後、来月の舞踏会用衣装の採寸がございます。その後にはテーブルマナーの復習のために教師を呼んでおりまして……」
学校まで迎えにきた黒い高級車に誘導され乗り込むと、矢継ぎ早に今日の予定の続きを叩き込まれる。
「分かったよ、何でもやるってば。ところでさ、カストールは? 今何してるの?」
「さぁ、わかりません。いつものようにお部屋でお勉強でもなさっているのではありませんか。……それから、”ジーン”さま、でしょう!」
運転手はわざと”ジーン”の所を強調して発音した。
「それから。常日頃申し上げておりますが、外では完璧に”ジーンさま”でいていただかないと。そのためには、あまり主さまのお名前を出すことはお控えいただきたく……」
「友だちなんだ」
「主さま、です。決して貴方に主さまを”友だち”と呼ぶ権利はありません」
「でも……」
「貴方は名も無きただのスタントマンです。つまり身代わり。名家のお生まれてあるジーンさまの命を守る影武者として生み出された”だけ”の貴方の生命は、ジーンさまの、ひいてはキャスター家のモノですよ。それをお忘れなきよう。……主のことを軽々しく友などとお呼びするとは、恥を知りなさい」
分かりましたか、身代わりのスタントマンさま? と、運転手が小馬鹿にするように笑う気配がした。
「分かってるよ」
ジーン――そう呼ばれたポルックスは、キンキンに冷房のかかった車内からギラついた太陽光を眺めながら、そう呟いた。
「僕が彼の身代わりに、受精卵から勝手に産み出された化け物ってことくらい。……分かってるさ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
6/21 9:30pm
結局、ジーン――互いにこれだと分かりづらいので、ジーンがポルックスという名前を付けてくれた――、もといカストールに再会できたのは夜がすっかり更け、ベッドに潜り込む時間だった。
「あぁ、ジーン、ジーン! 会いたかった」
「ポルックス。カストールで良いってば」
「つい外の癖で、ごめん。……カストール」
カストールとポルックスは色違いのパジャマで手を取り合い、蝋燭のみの薄暗い寝室のなか、月明かりを頼りに微笑んだ。
「今日は外でどんなことがあったんだい、ポルックス。聴かせておくれ」
「そうだ、カストール。今日はとても天気が良かっただろう。授業中見える大木の上に、ツバメの巣を見つけたんだよ。けれど親鳥がうまくご飯を三羽に分けられていなかったんだ。きっと餌取りが苦手なんだね。それでその親子のために、休み時間に沢山イモ虫やミミズを集めて、巣の下に置いておいたんだ」
「ポー。なんて優しいんだろう。ポーのお祈りが叶って、全員きちんとおなかがいっぱいになるといいね」
「そうだね、そうだね。あぁ、カストール、よく僕がお祈りをしたことが分かったね。やっぱり僕の心が分かるんだね」
「そうさ、ポー。僕たちは”親友”だろう」
「そうさ、カストール。僕たちは”大親友”さ」
うふふ、と手をつなぎ合いながら、いつものようにおでこを付け合った。あたたかい。相手の体温が流れ込んできて、その血流が自身と一体化していくようだ。いや、そうではない。自分たちはふたりでひとりなのだと、そう実感する。
「今日も綺麗だね、カストール」
「ポーこそ、とても美しいよ」
笑い合うふたつの影の姿形はそっくり――いや、瓜二つとはまさにこのことであろう。
「カストール。最高の双子」
「そうさ。みんなは主と身代わりなんて無機質に呼ぶけれど、ポー、僕たちは最高の双子だと思わないかぃ」
「でも、双子座で一番光る星であるポルックスは、やっぱり君が持つべきだったのかもしれないと思う事があるんだ」
「何を言っているのさ。君にこそ、この名前が相応しいんだ」
カストールはそう言いながら、星座にまつわる神話の本を寝物語用に開いていた。
広いベッドでふたりは小さく寄り添い寝転びながら、カストールはページをめくる。
「さぁ今日も読もう。今日は僕が。『双子であるカストールとポルックス。けれどポルックスの父だけ大神ゼウスでしたから、ポルックスだけが不死の身体でした。ある日カストールが戦争で亡くなり、ポルックスは言いました。「カストールがいない世界に意味は無い。ふたりで不死を分かち合いたい」すると父である大神ゼウスは願いを受け入れ、ふたりを天にあげて星座にしたのです』……」
カストールはそのページを読み終えると、パタンと本を閉じゴロンと横に向きポルックスを見上げた。
「このふたりの物語は、僕たちにピッタリだと思わないかぃ、ポー」
「僕に、名前をつけてくれてありがとう、カストール」
「まだそんなことを言っているのかぃ。ポー、違うよ、君は元からポルックスで、僕は元からカストールだったのさ」
きっとそれが運命だったんだよ、とカストールは微笑む。
ポルックスはそれに応え、ひっそり優しく笑い声をあげた。
――僕らはクローン。ひとつの遺伝子から強制的に生み出されたけれど。
ーー僕らは双子。あの双子座に光るカストール星とポルックス星のように。互いを理解できるのは僕らだけ。
〈了〉
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