水曜日のにおい

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 歩道を和服姿の女の人が数人、おしゃべりをしながら歩いていた。落ち着いたピンクや紫色の着物の上に、紺色やえんじ色の薄手のコートを着ている。母と同年代、もしくは若干年上だろうか。 「みのりは母さんからお茶、習わないのか?」 「どうしたの、いきなり」  涼までお弟子さんと同じことを言うのか。言葉に詰まっていたわたしは、バニラシェイクを思い切りすすった。  先週、母は秋のお茶会のために、朝の六時から着付けをしていた。七時過ぎに起きたわたしは、帯結びを手伝わされた。台所には、父とわたしのお昼ごはんの焼きそばが、きちんと用意されていた。  涼は変顔でバニラシェイクを飲むわたしの顔を見るなり、吹き出した。 「みのりはお茶よりも、シェイクの方が似合っているよな」  両頬をすぼめてシェイクを吸い込むわたしを、涼はお腹を抱えて笑った。  寄り目のわたしは、視線を泳がせることができなかった。  あの時の胸のざわめきは、釜のお湯が沸騰する音に似ていた。上品なお香の香りも、お弟子さんが袱紗をさばく音も、苦いとしか思えない抹茶の味も、ぜんぶ涼の言葉と重なった。  その日の夜、食器を洗っていた母が呟いた。 「みのり、大学に入学したら、お母さんからお茶を習ってみない?」  バンドのインスタをチェックしていたわたしは、公開されたアー写に『イイね』のハートマークを押した。 「いいよ」  ハートマークとほぼ同時につぶやいてしまったわたしの言葉に、母の顔が一瞬に華やいだ。  まるで花入れに挿した紫色の桔梗のように、笑顔が咲いていた。
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