水曜日のにおい

4/6
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
 大学の進学祝いは、マイケル・コースの腕時計だ。  高校三年間は白いベビーGを愛用していた。朝の支度を終え、手首で揺れるピンク色の腕時計を眺めながら、混雑するバスに乗り込んだ。涼も第一志望の学部に合格し、朝は一緒に通学している。  わたしの専攻は文学部の英文科で、月曜日から金曜日まで教養科目やゼミなど、講義で午後まで埋まっていた。バイトは駅前のクレープ屋で、土日も入れて週に四日働いた。  水曜日だけはバイトを入れなかった。夕食を食べたあと、わたしは母から本格的にお茶を習い始めた。六畳間の茶室の歩き方や、袱紗のたたみ方、薄茶のお点前の手順を覚えるのに一苦労だった。  クレープ屋で、トンボを使ってクレープを薄く焼くよりも、はるかに茶道のお点前は難しかった。母は辛抱強く、わたしに基本的な所作から一連の手順まで教え続けた。涼だけが、お茶を習い始めたわたしを「大和撫子ってやつか?」とからかった。涼が口にするヤマトナデシコが、知らない国の言葉のように感じてならなかった。  梅雨入りした六月、通学路では、レインブーツを履いた小学生たちが、色とりどりの傘を差していた。バスの窓から小さな傘の花が咲いていた。つり革を持つ手首で、マイケル・コースの腕時計がきらきら輝いていた。  寝癖の残る涼に、金曜日映画に行かないかと誘った。平日の夜、互いにバイトやサークル活動で、高校時代から比べて会える日が極端に減った。 「金曜か。ごめん、サークルの……飲み会なんだ」 「そうなんだ。行けなくても来年にはDVDも出るしね」  わたしもゼミやバイト先の飲み会が入ることはある。高校時代みたいに、いつも一緒にいられるわけではない。目の前で申し訳ないとかざされた手に笑顔で応え、わたしはバッグからICカードを取り出した。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!