プロローグ:最後に見たもの

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プロローグ:最後に見たもの

 あれは雨降る夜だった。  と言っても、思い出してもしようがない儂の記憶だが。  気づけば、儂は雨で泥濘んだ地面に倒れていた。  右目の瞼から右頬にかけて走る激痛が、他の感覚を霞めていく。  木々の隙間から覗いてくる曇天を、ただ見つめるしかなかった。 「秋瓜(しゅうか)!!」  儂の名前を呼ぶ声。  男が一人、倒れる儂の側に駆け寄ってきた。 「大丈夫か?」  男の荒い息使いを鼻先で感じる。 「糞! 酷ぇ傷じゃねえか……!」  傷……。  よほど醜く刻まれてはいるのだろうか。  もう、女の顔ではなくなったな。  ……まあ、借り物(・・・)のこの身体。どうなろうと構わない。 「移動するぞ」  浮遊感が一つ。  見ている視界が動いていく。 「大丈夫、絶対大丈夫だ!」  頬を水滴が這う感覚がした。 「絶対助かる! だから死なないでくれ!」  自分の頬を這う水滴。  この男の涙なのか。降る雨粒なのか。  それとも儂の涙なのか。  今となっては分からない。  ただ、潰れた右目に最後に映ったのが、この男で良かったと想っていたのは覚えている。  遠のく意識。  男の声だけは、まだ鮮明であった。
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