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七
午後8時。
「ただいま」郷田はそう言って、自宅のリビングに入った。
妻はキッチンで料理をしていたが、振り返って、
「お帰りなさい」と言った。
リビングにはテレビが点いて、生放送の歌番組が流れている。
「お風呂は?」妻が言った。
「ジムのシャワーですませてきたから、いい」
「そう」
「翔太は?」
「10分ほど前に塾から帰ってきて、たぶん部屋にいるんじゃないかなあ。……もうすぐご飯できるから」
テレビのなかでは、歌番組の司会を務めている、清楚系で人気の美人フリーアナウンサー、品部由利が、両手で持っていたマイクの右手を離して、軽く自分のピアスに触れた。
「すまないが、夕食を摂ったらもう一件、会議に出なきゃいけない」郷田は妻に言った。
「あら、そう。遅くなるの?」
「わからない。もし夜中になるようだったら、オフィス近くのホテルにでも泊まるよ」
「無理しないでね」
夕食は、カレイの煮つけ、冷ややっこ、クルマエビとホタテ貝柱の茶碗蒸し、ホウレンソウのお浸し、がめ煮、マツタケのお吸い物、ナスときゅうりのぬか漬け。
食べながら、
「今日は塾でどんなことを習ったんだ?」と息子の翔太に聞いた。
翔太は少し照れ臭そうにしながら、
「Have you ever been to New York?」日本人の子供らしからぬ上手な発音で言う。
きっと英会話塾の講師の口調を真似ているのだろう。人の真似をするという点においては、子供の能力は大人を圧倒的に凌ぐ。
英語の過去完了形ともなると、たしか公立学校では中学二年か三年くらいで習うものだっただろうか、郷田は昔の自分を思い出した。
「ねえ、今年のお正月休み、旅行に行こうよ。ニューヨークでも、どこでもいいから」妻が言った。
「そうだな、そうしようか」
妻は来年からは、翔太をさらにレベルの高い塾に入れるつもりのようだ。
家族とともに夕食を摂る。最高に幸福な時間。
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