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11月。早朝の丸の内は、吐く息が白くなるほどに冷え込んでいた。
でも今日のあやみは、カシミヤのショートコートの上にアルパカの毛を織り込んだ、暖かい大判ストールを首にぐるぐるに巻いている。
「寒気、どんと来い!」とすら思っている。
寒さは、心を弱くするのだ。寒い時期に良い仕事をするためには、通勤時の服装からこだわらなければならない。
【出来るビジネスパーソンほどパフォーマンスの維持のために、寒い日は暖かさに気を遣う】
いい感じのビジネスハックらしい一文を思いつき、それをSNSでつぶやきたくてあやみは立ち止まった。
スマホを取り出すためにバッグを探る。
あやみのSNSアカウントは、「意識の高いビジネスパーソン界隈」の中でなかなか好評だった。
たまにこうして思いついた「楽しくビジネスをするために大事なこと」を説得力のある文章にしてつぶやけば、調子のいい時は千を超える「いいね」をもらえる。
それがハチャメチャに気持ち良くて、やめられないのだ。
スマホのサイドキーを操作して画面を表示すると、メッセージアプリの通知が目に入った。
『トラブル発生。可及的速やかに出勤せよ。いまどこ』
送信者は同僚の佐倉伶だ。
一昔前のロボットみたいな文面の最後に添えられた「いまどこ」というひらがな四文字を見て、全速力で会社に向かう必要はなさそうだと判断した。
それでも『トラブル』という穏やかではない単語に若干の焦りを感じる。
あやみはいい感じのビジネスハックのことなどすっかり忘れて、オフィスへと足を速めた。
ハイブランドのショップや外資系のラグジュアリーホテルが隣接する大型複合ビルの30階に、あやみが勤務する証券会社のオフィスがある。
警備員の立っているセキュリティゲートにIDカードをかざして通り抜け、高速エレベーターに乗り込んだら、皇居周辺の深い緑を遠目に眺めつつ30階へ。
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