アイリッシュ・パブで昼食を

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 ヤスヨさんの夫は駐在員で、これまでに東南アジアを中心とした国々に数年ずつ派遣されているという。それに帯同するヤスヨさんは、いわゆる駐在員妻というやつだ。  去年の今頃シンガポールから戻ったばかりというヤスヨさん一家は、その前はタイにいたという。  食品メーカーの事務なんかやらなくても生活できるのでは、という疑問は不躾すぎて口に出せない。きっとそれなりの事情があるのだろう。家だって車だって、うちなんかよりずっとお金がかかっていそうだし。 「タイではハウスキーパーさんがいたんだけどさ、シンガポールではいなかったから、ダンナに家事のクオリティーが一気に下がったとか言われてよく喧嘩したな。比較すんなってね」  問わず語りの身の上話というのは得てして退屈なものだが、ヤスヨさんの話は飽きるということがない。わたしがせっつくと、ほろほろと砂をこぼすようにヤスヨさんは語ってくれる。 「シンガポールにいた頃は、しょっちゅうパスポート握りしめて国境越えてマレーシアに買い物に行ってたな。そっちの方が物価安いからさ」  自分からすると非日常の極みである思い出話に胸ときめかせ、いちいち目を閉じて想像しては甘美な溜息を漏らすわたしだった。
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