0人が本棚に入れています
本棚に追加
「ねえ、中学の学祭で吹いた曲覚えてる? 三年生の時の学祭でさ、トランペットがすごくハイトーンのマーチだったと思うんだけど」
30歳の春。長く連絡を取っていなかった友人から電話が来た。中学校の吹奏楽部で一緒にトランペットを担当していた子からだった。正社員でもなければ結婚もしていない私は、引け目を感じて意識的に昔の友人と自分から連絡は取らないようにしていたこともあり、少し声が震えた。
「うーん……あれじゃない? なんとか風のマーチ」
メロディーははっきりと覚えていた。あのハイトーンを吹き切った時の快感をすぐに思い出せる程気持ちのいい曲だったからだ。でも曲名がでてこない。メロディーだけが頭に流れ続けている。
「ほら、最初に木管が静かに入ってきてさ、そのあとに金管がリズム刻んでさ」
「あっ」
友人の説明で急に記憶が蘇った。なぜだかわからないけど、急にふと思い出したのだ。
「それ、東風のマーチじゃない? 多分」
「ちょっと待ってよ、今ネットで聴いてみるから……」
友人がキーボードを叩く音が遠くから聞こえる。そして微かに懐かしいメロディーが耳に入ってきた。
「当たってるよー! さすが!」
友人は興奮した声でこう続けた。
「なんかさ、急に頭にメロディーだけ流れて、懐かしくなったの。曲名が思い出せないのが気になって仕方なくて電話しちゃったんだ。でもすっきりしたよ! ありがと!」
なんだか私まですっきりした気分になった。電話が来るまでは吹奏楽のことなんて全く思い出すことなんてなかったのに。
「いや、なんか懐かしい気持ちになれて嬉しくなっちゃったよ。むしろありがと」
私がお礼を言うと、友人はコロコロと笑った。この笑い方も懐かしく思えた。
「他のメンバーにも覚えてるか聞いてみよっかな! あ、山辺くんにも、もちろん聞くからね」
山辺くん、という言葉に心臓が飛び跳ねる。中学時代、ずっと好きだったトロンボーン担当の山辺君。ああ、余計な過去までが蘇ってくる。とにかく冷静を装わないといけない。中学時代の好きな人で動揺するとか、なんだか恥ずかしいから。
「そっ、そう……いや、別にそれはどうでもいいけど」
「ふーん……まあどうだったか、また連絡するから!」
私の動揺を知ってか知らずか、そう言って友人は電話を切った。私の中に生まれた動揺は収まらず、その後も中学時代のことをいろいろ思い出していた。
30歳独身、バイト生活で何も楽しくなかったけど、中学時代のことを思い出すと不思議と笑みが零れる。勝手にみんな大人になって自分だけが取り残されて、もう昔のことを話したりはしないと思っていた。過去にしがみつくと、ずっと子供のままでいてしまうような気がして思い出さないようにしていた。でも友人からの電話で、昔のことをふと思い出すことがみんなにもあるんだと思えた。
そしてその夜、知らないアドレスからメールが届いた。
「俺、一発で曲名当てたよ」
思い出を振り返るのも、案外悪くないかも。
最初のコメントを投稿しよう!