間の山の庄助

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 お呼ばれ一行の背を見送って、庄助はやれやれと岸に上がった。 「庄助さん、わいこんな銭初めてみました」目を輝かせた太兵に、「銭かいな」庄助は苦笑した。  賑やかさが売りの間の山には、異種異様な者がごった返す。  薄汚い童乞食、奇抜な衣装の曲芸師、着飾った美しい若衆、厚化粧の年増女――。 見慣れぬ異世界に高揚し、旅人は銭を落としていく。  演舞に寸劇、格闘試合に軽業に枕返しと、多忙な若衆のため、網受け衆は交代で五十鈴川に出張る。御師の情報により参宮者の出足に揃える網受けは本来、昼中の興行である。  早朝のお呼ばれは贔屓を持つ若衆の誉れだが、贔屓を選べん若衆には苦労もある。 「素間(すま)さんなの?」大籠に入った銭の手触りを楽しむ太兵に庄助は顔を顰めた。庄助の贔屓、素間は疫病神である。  本来、御師の依頼を受け芸人を手配するのは村長の役割りだが、庄助に限っては野間万金丹の御曹司、素間が全てを取り仕切る。 大店の子息で役者顔負けの色男、すらりとした長身が見栄えの良い上に頭もいい素間は、まさに絵に描いたような御曹司。 一度たりとも店に立った例はなく数ある縁談には目もくれず。お杉お玉の横で居眠りをこく素間は、伊勢にこの人ありと謳われる放蕩息子の代表だ。 「伊勢の花形、お伊勢さんのご機嫌を損ねるわけにはいかん。急な話やよって弥一郎さんも素間に頼らざるを得んかったんやろ」  伊勢広しといえど、穢所に出入りする物好きもまた素間ひとり。村に帰った芸人と渡りを付けるには素間を頼るよりはない。 「けど……」まだ物言いたげな太兵に庄助は大きく息を吐いた。 「言うとくが素間とはくされ縁や、世に言うような間柄やない。素間がわてを贔屓にするんは勝手やが、素間の贔屓がのうてもわては間の山一の若衆や。騙されるなや」  何がどうして大店の子息が、穢人の村に自在に出入りができるのかは不明だが、庄助が物心つく頃から傍にいる素間はただの居候。  稼ぎにも出ず、庄助の飯を平然と食い、庄助の横で眠って今に至る伊勢の大店の御曹司からは、多少の心付けがあっても良いと庄助は思う。  色子疑惑は良い迷惑。縁談を断るのは素間の勝手。贔屓がなくとも庄助は自他共に認める間の山一の若衆だ。 「わてはな、素間にはえらい迷惑しとんのや」  本日、網受け非番の庄助は、唯一のお宝、伊勢一番の高級布団で良い夢を見ていた頃合いだ。  それをお呼ばれのひと言でぶち壊し、さっさと庄助を布団から追い出した素間は、今頃庄助の代わりに夢の中。素間には怒りを通り越して殺意すら覚えている。 そこらの商人よりもずっと稼ぎがありつつも贅沢が許されん穢人の芸人故に、ため込んだ銭をすべてつぎ込んだ布団は伊勢で一番の高級品。庄助の思い入れは並大抵ではない。 「誰が言い出したかは知らんが、噂の元突き止めたらけちょんけちょんに伸したるわっ」  息巻いた庄助は、 「素間さんが松右衛門さんに話しとりました」太兵の言葉に拳を握る。  三日市家の殿原松右衛門は、伊勢きっての噂好きと評判のお伊勢さんだ。素間の悪意が目に見えて、「あんのやろう……」庄助はすっく、と立ち上がった。 「おっ、やるかぁ」威勢の良い声に見上げれば、橋の上は人だかり。今し方の興行に人が集まり始めたらしい。  行商人のようななりの男に、旅姿のお武家、供を連れた女の姿も見える。太兵のような童が数人、銭は投げそうにないが庄助らの姿に目を輝かせている。何が起こるのか楽しみにしているのだろう。 「儂ゃあ急いどるんや。投げるで、おい」  職人風の男が、まくった腕をぶんぶんと振り回す。  今や人気のお伊勢参りは、伊勢講一行ばかりではない。行商の道すがら、また施行の文字を背負い、柄杓片手に訪れる者も多い。そんな参宮者の情報は芸人らには入らんが故に、伊勢講一行に合わせて出張るのだ。  川岸には庄助と太兵が二人。常ならばそろそろ網受け衆が出張る頃合いだが、天候を見計らって支度に手間取っているか。仕掛けの多い網棒は雨に弱い。 行ってこいと促す庄助に、庄助の後になど出来んと、太兵はしゅんと肩を落とす。 「わては間の山に戻らんといかん」庄助の言葉にも、太兵は頭を振って尻込みする。 「ええか、いくでぇ」  男が手を振りかぶった。こらいかんと網棒を取った庄助だが、岸から放った庄助の網が僅かに遅れた。(あかん、間に合わん)  網受けが銭を落とせば大っ恥。村長の鬼の形相が脳裏に浮かんで……。 「やてかんせ、ほうらんせ」  くるり、とトンボを切った影が水しぶきを上げた。色鮮やかな網の花が咲く。 「庄助さん、お呼ばれは終わり? 小童連れとは珍しいやん」  清流に咲いた花に、橋の上の童が「わぁ」と歓声を上げた。 「おはようさん」「やてかんせ」水しぶきを上げる網受け衆が次々に網を広げる。 「これが伊勢名物の一つ……」声高の説明はお伊勢さん。伊勢講一行のおでましらしい。 「邪魔してもうてすんまへん」太兵がぺこりと頭を下げた。  水に濡れた網棒を持つ手が頼りない。手練れの若衆の中、幼い新米はきっと、ろくな稼ぎはできんだろう。  大籠に手を突っ込んだ庄助は一掴みの銭を袂に落とした。 (村に来た仕事や。太兵に華持たしたかてかまわん) 「ええか、お呼ばれは網受け衆の誉れや。本日は急やったからわてが手伝うたが、名指しんときはひとりでやれ」  庄助の言葉に網を振る若衆の一人が目を剥いた。 「庄助さんっ、」慌てた太兵を遮り、「礼はいい。わての取り分はもろたで。あ、籠と網は返してな」  ぱくぱくと赤い金魚のような太兵に言い置いて、庄助は川原を後にした。
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