アイに包まれたこの世界で

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 それからしばらくして、私の怪我は完治し、ハデス様の治療が開始した。思っていた以上に状態は悪かったが、不思議とハデス様は私の言うことを素直に聞いてくれ、驚くほどのスピードで回復は進んでいった。  最初は無表情で、冥界の王ということもあり「恐そうな人だ」としか思えなかったハデス様だったが、徐々に口数が増えていくと、決してそんなことはないとわかった。  仕事熱心で、案外、部下のことを面倒見ているし、ケルベロスのことは家族のように大切にしている。  そして、ほんのときどき、笑顔を見せることがある。  本当に一瞬だけだが、静かに美しく笑うのだ。  彼の笑顔を見ると、なぜか私の胸はざわついた。  それにしても、一体どうしてこんなひ酷い病気にかかったのだろうか?理由を聞こうとしても、ハデス様はかたくなに口をつぐみ、離そうとしてくれない。  ……なんか、モヤモヤする。  「おい、小娘。ハデス様の具合はどうだ?」    あ、あのときのガイコツ。ガイコツなんて、見た目があまり変わらないから区別の仕方がわからなかったけど、接しているとだんだん、誰が誰だかわかるようになってきた。  「うん、もうすっかりよくなったよ。肌も綺麗になってきたし。もうあと四、五日したら完全に治るはず」  「それは良かった。ハデス様が元気になれば、お前がココにいる必要はもうなくなる。さっさと帰れ。本来ならば、お前はココにいるべきではないのだからな」  私はムッとして言い返す。  「あのさぁ、なんでそこまで私のこと嫌がるの?そこまで言うなら、理由を教えてよ」  ガイコツはしばらく黙っていたけど、やがてゆっくりと口を開いた。  「ハデス様はな、オリンポスの神々の一員なんだ。ご兄弟も多くいる。だがな、ハデス様は幼い頃からこの冥界を治める王の地位を与えられ、ずっとお独りでココにおられるのだ。毎日必ず人は死ぬ。死者が来ない日はない。だからハデス様はずっとココで仕事をしなければならない。そうしなければ、生命のサイクルがきちんと回らないからだ。だから、たとえ神々の集まりがあってもハデス様がここを離れることはない。ハデス様はずっと長い間、家族や友人の愛情も与えられずに独りでここにいるのだ。冥界は暗くて気味が悪いと、世界を治めるあのゼウス様でさえもココへは来てくれない。酷い話だ。ハデス様は永遠に孤独であられるのだ。それがどんなに辛く苦しいことか。しかしハデス様はそんな不運を背負っても、不満を言うことはない。これは私にしかできない大切な仕事だと言う。そのうえ、私たちのような目下の者のことも大切にしてくださる。立派なお人だ。」  まさか、そんな境遇があったとは。  「でも、だからって私にあなたたちが冷たく当たる理由にはならないでしょ」  「……ある日、死者が逃げ出したんだ。そいつは現世で何人もの人を騙し、傷つけ、陥れた。恨みを持つ人も多い。最低なヤツだ。そんなヤツが冥界を逃げ出して現世へ行ってみろ。また多くの人が犠牲になる。ハデス様はそいつを捕まえるために現世へ行った。するとな、そこには人間の街があった。人間たちはハデス様を恐れた。死者の国の王だ。人間は多くの神を信仰するが、ハデス様を奉るヤツらなどいない。ヤツらはハデス様を追い払おうとそれはもう、酷いことをたくさんしたよ。ハデス様の病気はおそらくそのときのものだろう。ハデス様は偉大な神だ。その気になれば人類を滅ぼすことができる力を持っている。だがな、ハデス様は人間に神の力を使いはしない。そういうお方なんだ。それ以来、ハデス様は完全に心を閉ざしてしまってな……」  なるほど、病気の理由はわかった。  彼があんなに無表情で、どこか冷淡な理由も。  彼の今までのことを考えると、胸が痛んだ。  「私たちはハデス様が大好きだ。だから、ハデス様を傷つけた人間たちが許せない。たしかに、その人間たちとお前は無関係だ。だがな、それでも私たちはお前ら生きた人間たちが憎いのだ」  ぐっと唇をかみしめて複雑な表情を浮かべる。  ……うん、完全に納得するわけじゃないけど、ガイコツたちの気持ちはよくわかった。コイツらは本当にハデス様のことを大切に思っているのだ。  大切だからこそのあの態度なのか。  自分の主人のためにここまで本気で怒れるコイツらのことが、少し好きになった気がする。口は悪いが、きっと根はいいヤツらなんだろう。 「……話してくれてありがとう。ハデス様のことやお前らのことが知れてよかった」  ――心の病までは、私にはどうすることもできない。
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