② 新魔王様は無自覚美人。

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② 新魔王様は無自覚美人。

 よくわからない展開のうちに、弟が企てたはずの謀叛の結果、なぜか私が魔王の座を手にしてしまってから、まもなく一月が経とうとしていた。  私が先代魔王の長兄とおなじ両親から生まれた魔王の直系だったからなのか、血筋にたいする信仰のようなものがある魔族たちには、案外あっさりと受け入れられていた。  おかげで、治世は順調そのもので、やることがあまりない。  本当なら生き甲斐だった歴史研究のフィールドワークと称して、また遺跡にこもりたいところだったけれど、さすがに魔王ともなればそういうわけにもいかないのが、唯一の難点だろうか?  私は慣れない魔王専用にあつらえられた豪奢な衣装を身にまとい、特になにをするでもなく、ただ玉座に腰かけているだけだ。  そのかたわらには、当然のように弟のラシールがひかえていた。  そのラシールにしたって、正直なところ、今の魔界において並ぶものがないくらいの強さを手に入れているわけで、どんな敵があらわれようと瞬殺できるわけだ。  ならばこの座も、ラシール本人に愛想を尽かされないかぎり、安泰といっても過言ではなかった。 「兄さま、さっきからそんな熱い視線で見つめられたら、僕の()()が反応してしまいそうなんですが?」 「真顔でそういう冗談をいうんじゃない、ラシール。せっかくの男前が台無しじゃないか……」  ただひとつ、この弟が極度のブラコンをこじらせていなければ、だが。 「いえ、兄さまのうるわしのご尊顔を拝するよろこびに、いつでもこちらは()()()()になれますので!」 「……私はそういう冗談は嫌いだ……」  昔から、その手の話は苦手だった。  なんというか色欲におぼれる姿は、どんな高潔な血筋の魔族だろうと浅ましい。  身内のそんな姿を見たくないし、まして自分がそうなるのなんて、まっぴらだった。  そんなふうに、どうにも昔から性的なことにたいする忌避感が強かった。 「あ……、ごめんなさい、兄さま……」 「いや、すまない……私が苦手なだけでお前は悪くない」  見るからにしょぼんと落ち込む弟に、あわててそのあたまをなでる。  たぶんラシールは、私にたいする反抗心などみじんもないのだと、それをあらわすためにこうしてくだらない冗談を言っているにちがいない。  昔からラシールは、兄弟のなかで私にだけは懐いていてくれたからな……。 「っと、すまない、ラシール!」  そしてつい自然とあたまをなでてしまってから、相手はそんなことをするほど幼いものではなかったことに気づいてハッとした。  いくらなんでも、子どもではない相手にそれをしては失礼だろうと思ったのに、しかしラシールはとても幸せそうにとろける笑みを浮かべていた。 「うふふ、兄さまになでられちゃった……」  ……うん、どうやらこれはむしろ歓迎されることらしい。  そして私も、そんな弟の笑顔にはとても弱かった。 「兄さまの手、とても気持ちいいです」 「そうか、それならいいんだ」  まるでよく懐く犬のようなラシールにほだされ、しばらくなでているうちに、うっとりとしたラシールが私の足もとにすり寄ってくる。 「あぁ、兄さまのうるわしいお顔を見上げながらなでられるの、たまらないです……!なんなら今すぐ地面に這いつくばって、そのなまめかしいおみ足をお舐めしたい……!!」  だけどなんだろう、やっぱり若干いかがわしい雰囲気になってきた気がするのは私の気のせいだろうか? 「えっと、ラシール……?」 「はい、なんなりとお命じください!」  不安になって呼びかければ、キラキラとかがやく瞳で見つめられた。  そこに翳りのようなものは、一切見当たらない。  ただひたすらに澄んだ瞳は、とまどう私の姿を映しているだけだ。  おかげで私が過剰反応を示してしまったような、そんな居心地の悪さを感じる。  弟のことは、信じているのに。 「いや、特にしてもらいたいことはない」 「そうですか、兄さまのためなら()()()()いたしますから、いつでもおっしゃってくださいね?」  この瞳に映る己の姿に恥じぬよう、精一杯魔王としての務めを果たそうと、そう思うくらいにはほだされていた。 「───お前は、強いな……」  あんな兄たちから幼いころヒドイ目に遭わされたというのに、それに腐ることもなく、こうしてキラキラとした瞳を持てるなんて。  ただ、まぶしい、とそう思った。 「それは僕が幼いころから、兄さまのために生きると決めていたからです!」 「え……?」  ラシールは、いい笑顔のままにそんなことを言う。 「僕の生き甲斐は、兄さまをこの世のあらゆる危険なものからお守りすることにありますから!あなたの貞操も、この僕がいただくまで全力でお守りしますから、ご安心くださいね!!」 「ん?えっと……??」  なんだろう、若干不穏なセリフではなかっただろうか?? 「その……魔王として即位したからには命を狙われるというならわかるが、貞操は関係なくないか?兄上たちとはちがって、昔からからだつきも貧相だし、弱そうなのは否定できないが……」  だから久しぶりに会ったラシールが、めちゃくちゃ鍛えられた肉体に様変わりしていておどろいたくらいなのに。  けれど。 「えっ………!!兄さま、鏡はご覧になったことはっ!?」  ラシールはおどろきの表情のまま固まり、絶句する。 「鏡なら、毎日のように目にしているが?」  いったい、なにを言っているんだろうか? 「はーー……前々から兄さまが危機感の足りない方だとは思っていましたが、ここまで天然だとは思っておりませんでした……」  ラシールに深々とため息をつかれて、首をかしげる。  そんなに私は今、おかしなことを言っただろうか?  でも、これがラシールのことを言っているならば、まだわかる。  だってラシールは、幼いころから妙な色気のようなものをまとっていたし、長じた今となっては恋に溺れようものなら破滅が待ち受けているような、そんな危うい色気をまとっていた。  だからラシールが、だれかに懸想されて大変だというならば、よくわかる。  とても男らしいからだつきになったラシールは、先代の魔王すらも討ちとれるほどの力も兼ね備えたわけで、力こそすべてのこの魔界において、モテるというならば異論を差し挟む余地はない。  そうかんがえると、大好きな遺跡の研究に没頭するあまり、これまでの不摂生がたたったような貧相なからだつきの私は、女性にモテるとは思えなかった。  そんなわけでラシールのような過剰な反応を示すほどでもないと思うのだが、しかし弟は私の両肩を痛いくらいにつかんできた。 「兄さま!!兄さまが母君様似なのは、ご自覚なさっていますか?」 「あぁ、残念ながら父上似のムスタファ兄上とはちがって、私は父上にあまり似なかったからな」  ある意味でコンプレックスとも言えることだけに、指摘されるまでもなくそれは理解していた。  父上とおなじなのは、赤い髪と金の瞳という色味だけだ。 「ちなみに、その兄さまの母君のアフィーファ様が、『さすがあの魔王様を落とすほどの美女』だと称されていたことはご存知ですよね?」 「あぁ、母上はいまだにそれにすがっていたな……」  いまだにあの人は、己の美しさを称賛されなければ気が済まない人だ。 「ならば三段論法で、『美女であるアフィーファ様によく似た兄さまは美しい』とならないんですか?!」 「だから、なんでそうなるんだ?」  母上の評価と私は、直接関係ないはずだ。  なにより、女として美しい姿と、男として美しい姿はちがうだろうに。  そう思うのに、どうやらラシールにはそれが理解しにくいらしい。 「ラシール?!」  激しくその場にくずれ落ちる弟に、思わず心配になって声をかければ、プルプルとふるえ出す。 「まさか、兄さまがここまで無防備でらっしゃるとは……うかつでした……」  そしてなにかを聞き取れないような小声で、ブツブツと言っていたかと思えば、すぐに起き上がった。 「やはり、僕が兄さまの弟でよかったです!だれよりも近くで兄さまを守らねばならないですから!!」 「え?いや、だからどうしてそこに話が飛ぶんだ、ラシール??」  なにを言っているのかわからなくて、しかしなにかを真剣な面持ちで決意を固めていることだけはわかるから、どう対処していいかわからない。 「兄さまは、昔からなんというか、中性的で大変お美しかったんですが、それをご自覚なさったことは?」 「そう、なのか……?だとしたら残念ながら、一度もないぞ?」  貧相なからだつきと、男らしさの欠片もない顔立ちはこれまで、私のなかではマイナス要素でしかなかった。 「ああぁ、やっぱり~~~!!!本当に兄さまはこれまで、よくぞご無事でいらっしゃいましたね?!!」 「うん??」  やはり魔界を統べる魔王たるものは、見るからに強いか、さもなくば男らしく頼り甲斐のあるものでなければならないと思ってきたが、そうではなかったんだろうか?  いや、そんなことはないはずで、ラシールの反応こそ不思議でならなかった。  だからこそ兄上たちは、私のようなものでは魔王となるのにふさわしくないと、敵とも見なさずに放置してきたのだろうし。 「いいかラシール、何度でも言うが私は本来、魔王の器などではない。魔力だって長兄のムスタファ兄上にはまるで敵わなかったし、武力では次男のダウワース兄上には敵うべくもなかった。お前は私を知力があると称えてくれるが、知略というのであれば三男のヘクマ兄上のほうが上だろう?」  玉座に腰かけながらも、どうにも落ちつかない。 「ムスタファは、たしかに兄さまよりも強大な魔力を持っていたかもしれません。だけどそれにまかせて行った圧政は、この魔界で反発しか生みませんでした。僕が決起しないでも、いずれはほかの貴族により討たれていたやもしれません」  私の手にほおずりをしながら、ラシールは淡々とそう評価する。 「それに、ダウワースには腕力こそあったものの、知性はまるでないケモノのようなヤツでしたし、ムスタファの言いなりでした。ヘクマにしてもズル賢いだけで、アイツが得意なのは知略ではなく謀略ですね。他人が嫌がることをかんがえることだけは随一ですが、しょせんはそれまでです」  我が弟は自らの兄たちに、なかなか手厳しいことを言う。 「意外とお前は毒舌なのだな……」 「うふふ、本当のことしか申し上げませんよ、僕は」  無邪気な笑みをかえされ、手の甲へとキスを落とされる。  その姿は、なかなか様になっていた。 「でもっ、兄さまはちがいます!昔から深謀遠慮で、軽率なことはなさいませんでした!傲慢を固めたようなヤツらとはちがって謙虚でいらっしゃるし、それになにより庶子だった僕にまでやさしく接してくださったのは、兄さまだけでしたから……」  そうやって寂しげに笑われると、ズキリと胸が痛む。 「ラシール……その、兄として幼いお前を守りきれなかったことを、今でも私は悔いているんだ」  サキュバスの母の血を引くラシールは、幼いころから妙に色気のあるきれいな顔をした子どもだった。  そのせいで血気盛んな兄たちは、そんなラシールを押さえつけ、無理やり犯して慰みモノにしていた。  いくら母の種族がそうだからと言って、本人も淫奔とはかぎらないというのに、兄たちは自分に都合のいいように決めつけた上で、無体を働いていた。  まして腹ちがいとはいえ、血をわけた自らの弟にそんなことをするなんて、とんでもないことだ!  その一端が、私の母上を筆頭に側妃たちもラシールの母君とラシールを嫌っていたことにあると思うと、申し訳なさしか浮かんでこない。  影響力の強い我が母上がそんなだから、兄たちだって増長したんだろう。  せめて私だけでも可能なかぎりラシールを守ろうとしていたが、四六時中そばについてやるわけにもいかず、なにより母上の監視の目も厳しかった。  まして兄たちと比べて幼い私がひとりでできることなど、たかがしれていた。  母上の目を盗んでラシールにおやつをあたえたり、兄上たちよりも先にラシールを自分の部屋に招き入れて、夜はいっしょに眠ったり、そんなことくらいだ。  あとは寝物語として、いろいろな古代のお話を聞かせたくらいだろうか。  そう思って、よくよくかんがえてみれば、ラシールから助けを求められたことすらなかった気がする。  つまり私は、幼いラシールにとっても、頼りない兄でしかなかったというわけだ。 「いいんですよ、もうそんな過去のこと。僕にとっては兄さまが今、あの阿呆どもを下して魔王の座に就いてらっしゃる、そのことのほうが、よっぽど大事なことですから!」  一片の翳りもなく、全開の笑顔で応じられると、さすがに私の罪悪感がうずく。 「だが……」 「それになにより、アイツらの歪んだ欲望のはけ口が僕にだけ向いていたおかげで、大事な兄さまが汚されずに済んだとかんがえたら、決して単なるヤられ損ではなかったと思えますし」  やたらとニコニコといい笑顔でそんなことを言われ、首をかしげた。 「えっ?!いや、私はそもそも兄上たちからは()()()()対象には見られていなかったから……って、まさか?!」  たしかに、たびたびラシールを襲おうとする兄たちの邪魔はしていたけれど、ひょっとしてそれのせいで報復されそうだったとかだったのか!?  たぶん、あのころの私なら兄上たちにおさえこまれたら、一切の抵抗などできなかっただろう。  いや、今でもたぶん無理だ。  でもそのわりに、決して私が手を出されることはなかった。  つまり兄上たちにとっての私は、そういう対象にすら見られないほど、見た目も冴えない凡庸なものなのだと思っていたが……。  こちらを見るラシールの顔つきは、ひどく真剣なものだった。 「……いやはや、そこまで無自覚で天然な兄さまが、『苛烈なる正妃』アフィーファ様の溺愛する息子でよかったです」 「なにをしみじみと言っているんだ、ラシール。冗談がすぎるぞ」  そう笑い飛ばそうとしたのだが……。 「とんでもない!かんがえてみてくださいよ、あのケモノどもが兄さまに不埒なことでもしようものなら、なによりアフィーファ様が黙ってなかったと思います!それこそ、だれであろうと物理的にちょん切って去勢するくらいのことはしたでしょう」  指を立てて声をひそめるラシールに、そっと想像してみる。  私にベッタリだった母上がどうするか、だって……? 「あぁ、母上ならそれくらいやりかねんな……」  想像をしてみたら、なんとなくラシールの言いたいことがわかる気がした。  先々代魔王である私の父の正妃の座についていた母上は、とんでもなく激情的な方だった。  基本的には父上のことをとても愛していたし、ムスタファ兄上と私のことも愛してくれる方ではあったけれど、その一方でラシール親子のことは嫌っていた……。  その苛烈さを示すエピソードは、いくつもある。  たとえば最初に父上が側妃をめとったときには、嫉妬のあまりあやうく父上を刺し殺すところだったらしい。  力の強い魔王直径の血筋だった父上にとっては、そのあふれ出る魔力のおかげで、身体強化の魔法が常に発動されているようなものだったから、本来的にはどんな武器や魔法でも、そう簡単には傷をつけられないものだ。  けれど嫉妬の炎にまかれた母上は、その魔力の壁すらぶち破り、深々と父上の身に刃物を突き立てたらしい。  父上にとって刃による致命的な怪我を負わされたのは、後にも先にも母上からのその一撃だけだったようだし。  そうかんがえると、魔王の力の強大さすらも介さない母上の想いは、苛烈だと言われるのにふさわしいんだろう。  まぁ、それでも長男としてムスタファ兄上が生まれてからは、少し落ちついたらしいけれど、つづけて側妃たちがダウワース兄上や、ヘクマ兄上を身ごもったことを知った母上は、今度は父の股間をちょん切ろうとした……なんていう逸話も聞いている。  そこまで愛されたなら、あの父上も本望だっただろう。  あの方は、妻に愛されていないと生きていけないタイプの方だったしな。  ───と、今は亡き父上の話はさておき、私の母上の話だ。  結果的にハサミを片手に父上に迫り、側妃たちにはこれ以上の子を生ませない約束をさせ、その後に私を身ごもったことで、母もようやくその矛先をおさめたと聞いた。  そういう意味では、母上にとっての『正妃としての勝利の象徴』とも言うべき私は、大事にされてきたのだろう。  そんな状態だったからこそ、逆に側妃ですらなく下女のひとりにすぎなかったラシールの母君に手を出して孕ませたと知ったときには、大変だったっけ……。  父上も、よりによって『アイツは側妃ではないから約束は破ってない、セーフだ!』なんて最低のいいわけをして、母上にボコボコにされてたのは今でもはっきりと覚えている。  ずっと末っ子だった私にとっては、弟ができたと知ったときは、むしろめちゃくちゃうれしかったんだけどなぁ……。  私よりも華奢で、か弱い弟のことを自分が守ってやらねばと思ったはずだったのに、今やすっかり偉丈夫となったラシールは強大な力を手に入れて、私が守られる立場になってしまった。  そこは兄として、思うことがないわけではない。 「そういうわけで、兄さまにはこれ以上ないくらい強力な後ろ楯がありましたから、これまでは無事で済んでらっしゃったんでしょうね~」  にこにこと笑いながらラシールが言うけれど、なかなかにゾッとしない話だった。  それはつまり、母上があれほどに苛烈な方でなければ、私も兄たちの欲望のはけ口とされていてもおかしくはなかったということだろう。  英雄色を好むとは言うけれど、それにしたって家族そろってあまりにも性欲に負けすぎているんじゃないだろうか!?  もっと王族として、理性のある暮らしをしてもらいたいと思うのは、私の理想が高すぎるのだろうか?  あぁ、もう胃が痛い……。  キリキリと痛みを訴えてくるそこに、そっと手を添えてさする。 「大丈夫ですよ、兄さまのことはこの僕が全力でお守りしますから!だから尊き兄さまに触れる輩は、()()()排除してしまいましょうね?兄さまに触れていいのは、この世で僕ただひとりだけです」  笑顔で言う弟の目が、その実ちっとも笑っていない気がするのは気のせいだろうか……。 「それは頼もしいな、ラシール。せめてお前とは兄弟仲はよくいたいものだ……」 「えぇ、兄さま!これからもずっと、()()()していきましょうね!」  ゾクゾクと背筋に冷たいものが走るのに気づかないふりをして、今日も私は大きなため息をつくのだった。  ───あぁ、今日も私の弟の愛が重い、と。
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