エピローグ

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「大っ、変っ、ですが……っ!」  山積みにされた書類を前に、机に突っ伏したわたしの低い呻き声が、ケージがコリコリとピーナッツをかじる音だけが響いていた執務室に垂れ流された。 「……やっぱり、俺が早く覚えるべきですか。字」 「ううん、大丈夫大丈夫。今のはちょっとした愚痴。大丈夫」  イルが気遣わしげに声をかけてくるが、心配させてはいけない。ぷるぷる首を横に振りながら、ペンを握り直し、再び書類と向き合った。  わたしの体力が回復した一ヶ月後、盛大な戴冠式と結婚式が、同時に行われた。 『聖女』として国賓で招かれたニナは、感動でぐちゃぐちゃに泣きながら途中で心臓にきたらしくて、すっかりお守り役のシンに心配されるわ。  お父様は宴でべっろんべろんに酔っ払って、『孫が生まれたらずっと一緒に遊んで暮らすんじゃー!』と周囲に豪語するわ。  ヘメラはヘメラで『わたくしの娘をお世継ぎの乳母にいたします!? ああでも、今時の王族は乳母を置かずにご自身の手でお育てするのが主流になりつつありますわね!! アリエル様のご負担にならない方で!!』と詰め寄ってきて気が早いわ。  もうてんやわんや。  その後待っていたのは、帝国の様々な決まり事や、臣下からの上申書に、ひたすらサインをし続ける日々。  今時手書きかい! 腱鞘炎になるわ! そりゃあお父様も過労になるわ!  科学研究室に頼んで、一日も早く、自動ハンコを作ってもらおう。うん、それがいい。そうしよう。電子署名はインターネットが無いから流石にそこまでは求めないようにしよう。  わたしの夫になった事で、正式に皇帝護衛騎士団長にもなったイルは、物陰に隠れなくなり、執務中のわたしにお茶を出したり、サインが終わった書類を各部署に届けに行く役目を請け負うようにもなった。  そう、彼の識字を考えてなかったんだけど、東方で育てられてた時には、基本的な学問も教えてもらえなかったらしくて、字が読めない事が判明した。  どうも文字の形を丸暗記して、そこから大体見当をつけているようだ。それで部署を間違った事が無いから、やっぱりこの子は凄いわな。  今は図書館の司書に弟子入りして、空き時間に読み書きを教えてもらっている。こっそり様子を覗った時の、凄く真剣な横顔ったら、惚れ直しそうだった。 「では、配りに行ってきます」 「あーうん、お願いね」  サインの終わった書類の束を抱えたイルが、声をかけてくるが、わたしはちらりとそちらを一瞥しただけで、軽く手を振り、また手元の書類と睨み合う。墾田永年私財法みたいな名前の、貴族の利を狙った訳わかんない法律が混じっている事もあるので、きちんと内容まで理解しないといけないのだ。集中せねば。  そういえばイルが扉を開けた音がしないな。あの子、まだ部屋を出ていってないのか? 何してるんだろ。  と思ったら。 「ルーイ」 「はい?」  名を呼ばれて、顔を上げた瞬間。  ハーイまた時間が止まりました。 「続きは、夜にもらいます」  呆然とするわたしに対し、イルはしてやったとばかり、満足そうに笑んで。早足で執務室を出てゆく。 「……ンオアー!!」  わたしはとりあえず咄嗟に、インクが垂れないようペンをペン立てに戻すと、雄叫びをあげつつダムダム机を叩いた。  そうなのよ! イル、あの子知ってるんだよ!  結婚してからわかったんだけど、故郷に居た頃に、さんざん知り尽くしたんだってよ!  とんでもないむっつりスケベだったよあの子!!  お父様お喜びください、孫と遊ぶ日は結構早く来そうですよ! 『お前らほんと、昼間っから見せつけてくれるの、やめろよなー』  ケージが呆れ果てながらピーナッツをかじり続ける。最近のお気に入りはアーモンドではなくこっちになったようだ。  こいつも色々言いつつ、結局わたしの傍を離れないのは、 『面白いから、変わった結果を最後まで見てみたいじゃねーか』  という理由らしい。  一生憑かれるんですか悪魔に。ニナと一緒だな。  でもまあ一応遠慮があるのか、夜は別の部屋に居るから、許す。  これからも大変だろうけど、皆と面白おかしくやってゆけたら、良いな。  報告を聞く機会は無いって言われたけど、いつかその話が、アーリエルーヤのもとにも届くと、良いな。  そう思って、窓の外に広がる青空を見上げたら、一羽のツバメが視界を横切って。  アーリエルーヤの朗らかな笑い声が、聞こえた気がした。  破滅する悪役女帝は、もう、いない。
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