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痛い。これは痛い。おろし金でうっかり大根と一緒に指をおろした感がある。
いや、ガッチガチに緊張した、筋肉のある女子の力、侮ってました。これはこするではない。削ぎ落とす、だ!
「申し訳ございませんーーーーーっ!!」
即座にニィニナが椅子から飛び降りて、土下座した。
「いつも自分の身体を洗う力加減でやってしまいました! アーリエルーヤ様の玉のお肌に何という事を! ここで舌を噛み切ってお詫びを」
「大丈夫ですお詫びしなくて大丈夫! ちょっと吃驚しただけですわ!」
この子が舌噛むとか言うと、本当にシャレにならんからやめてくれ。行く先々で事件が起きる探偵少年もいないのに、風呂場で流血大惨事とかしたくないわ。
「知らない事は出来なくて当然です。もっと力を抜いて。桃の実を撫でるつもりでやってごらんなさい」
「は、はううう……何てお優しいアーリエルーヤ様……」
ニィニナは、碧の瞳を潤ませてひとしきり感動に浸っていたが、椅子に座り直すと、改めてわたしの背中をこする。今度は丁寧に。本当に、桃の実を撫でるかのように、優しく。
「アーリエルーヤ様は、可愛らしくて、心もお綺麗で、本当に、本当に素敵です。私なんて、何の取り柄も無いのに」
はいそれな。
「ニィニナ」
「ハヒィッ! 何でしょう!? また痛かったですか!?」
振り返って半眼になると、ニィニナは蛇に睨まれたカエルのように固まってしまう。
それをほぐすように、言い聞かせるように、わたしは彼女の鼻先に指を突きつけ、石鹸の泡をつけた。
「人を褒めるのは良い事ですが、その度に自分を卑下するのはおやめなさい。常に『私なんて』と言っていると、本当につまらない人間になってしまいますよ」
これは「わたし」にも向けた言葉。「向こう」で自分を肯定できなかった結果、いじめられても勝てなかったし、けなされても反撃できなかったし、自分が間違っていないと思っても泣き寝入りした。
こっちに来て、アーリエルーヤになって初めて、わたしは自信を持てたし、その結果、色んな人との縁を繋いだ。
破滅フラグはへし折りたいけど、人脈フラグは、決して折りたくない。
まあ……ケージとか、早く縁を切りたい奴は、居るには居るが。
「アーリエルーヤ様……!」
ああ、これも潰しておいた方がいいな、イルみたいに。
「わたくしの名前は呼びづらいでしょう。アリエルと呼ぶ事を許可します。わたくしも貴女をニナ、と呼びますから」
好感度アップイベント必須項目、愛称で呼ぶ。
その提案に、ニィニナ、いやニナの表情が、またぱああっと明るくなる。
「はいっ! はいっ、アリエルお姉様!! ニナでも下僕でも何とでもお呼びくガッ!」
だから不安になるから舌を噛むな。あと何か新たな呼称が付随してるぞ。卑下するのやめなさいって言っても、すぐに直るものではないの、わたしもよーくわかってはいるが。
過去の自分の黒歴史を噛み締めていると。
会ってから数時間で通算三回舌を噛んだニナが、突然、わたしの身体を包み込むように、背後から腕を回してきた。
逞しい胸板が、わたしの背中に当たる。
ぶわっと。引っ込んだはずの汗がまた噴き出る。
えっちょっと待って。安心させておいて「お前を殺す」と手のひら返すパターンかこれは?
「……アリエルお姉様」
でも、耳元で囁くニナの声は、あまりにも思い詰めてて。
続けられた言葉に、わたしは愕然と目を見開いた。
ニナと秘密の話をして、お風呂をあがったわたしは、皇女に出来る限りの早足で廊下を歩いていた。
ケージ、あいつを締め上げねば。全部吐かせるぞ。
「――アリエル様!」
肩をいからせて歩くアーリエルーヤの名を呼び、焦りきった様子で向こうから走ってきたのは、ヘメラだった。
最近は何事ものらりくらりと流していた彼女にしては珍しい。足を止めて待ち受けると。
「ああ、アリエル様! 大変でございます、落ち着いてお聞きくださいませ!」
ヘメラは胸に手を当て、息を整える間も惜しいとばかりに、わたしの両肩をつかむ。
そして、落ち着くのはそっちじゃろ、というわたしのツッコミも待たずに告げた。
「お父上が、皇帝陛下が、倒れられました!」
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