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「ぐおっ!」
苦悶の声をあげて、『掟知らず』がわたしから手を離す。力が入らなくてそのまま床に崩れ落ちそうになるわたしの身体を、だけど、寸での所で、力強い腕が抱き留めてくれた。
「ルーイ様」
オワー!
至近距離に美少年! じゃなかったイル!
「間に合って良かった」
心底安堵した溜息をつくその姿は、幻覚でも何でもない。本物のイルだ。
「ど、どうして……」
彼にはヘレヘレ辺境伯と元側室の対処を命じたはずだ。何でここにいるのか。
疑問はばっちり顔に出てしまったらしい。珍しく、ほんっとうに珍しく、イルが不敵に微笑してみせた。
「命令は果たしました。辺境伯と元側室の部屋にネズミの群れを放って、動転している所を尋問したら、素直に吐いたので、後は他の騎士に任せて、帰ってきました。貴女のもとに」
ウワッ。ネズミ(暗殺者)を放たれたからネズミ(本物)で仕返しか。ジョークもきくようになったなこの子。しかも帰ってくるのめちゃくちゃ早くない? 忍者超えてないか? 実は移動魔法でも使える魔法使いなのでは?
というか、「貴女のもとに帰ってきた」って、わたしの傍を帰る場所だと思っていてくれてるの? ちょっと期待してしまいますよ。自惚れてしまいますよ。何ならわたしを見つめるその赤い瞳に、情熱の炎が萌えているように見えてきますよ。
「アーーーもーーー!!」
突然、良い雰囲気を爆破する、駄々っ子のような喚き声が耳に届いた。
あー。これはあれだね? シノが若い頃よくやった、叫び芸だね? という事は。
「何で僕の邪魔をするんだよ!?」
視線を転じれば大方の予想通り、『掟知らず』は、イルに斬られて血の流れる腕をおさえながら、憎々しげに顔を歪めていた。
「僕は『物語に憑く悪魔』なんだよ!? 物語を盛り上げる為なら、面白い方向に話を持っていくのが性分だ! それを何で邪魔するんだよ!?」
まるで本当に子供みたいにゴネる『掟知らず』。
こういうのが一番面倒くさいんだ。何で自分が悪いのか、わかってない奴。
自分が一番正しくて。
自分が一番大変で。
自分が一番可哀想で。
自分が一番頑張ってる。
だから自分は何をしても許される。
そう思い込んでる奴。
そういうのに限って、自分が嫌な思いすると、ギャーギャーギャーギャー必要以上に騒ぎ立てるんだ。アーヨシヨシ可哀想だねーって慰めてもらえるまで、ずっと。
「向こう」でも、仕事でもプライベートでも、そうやって振り回してくる人間がいたのを思い出して、イルの腕の中なのに、今更胸糞悪くなる。
ほんっとうっさいわコノヤロー!!
……と殴りかかる気力も今は無いから、ここはイルに一発ブッ飛ばしてもらうか。命令しようと口を開きかけた時。
「――もうやめてください!!」
ハスキーなみゆゆボイスが、冷えた空気を斬り裂いた。
「もう、もう良いでしょう!? アリエルお姉様を、皆を、巻き込まないでください!」
ニナだ。聖剣『セイクリッディア』の柄に手をかけながら、相討ちも辞さないと主張する切実な形相で、『掟知らず』に訴えかける。
「私、わかってました。貴方は楽しみたい為に私に手を貸したんだって。最初は怖かった。だけど」
彼女が柄を握っていない方の手を差し出す。その薬指には、ごつごつした手でも映える、プラチナの指輪。
「貴方はほんの気まぐれだったかも知れない。でも、これを私に買ってくれた時、とても嬉しかった。そして、私は貴方に恋をしたんです!」
「恋!?」
「恋?」
「……恋」
わたしは裏返った声、ケージはぽかんとした顔、イルはいまいちよくわかっていなさそうな表情で。それぞれ「恋」を口にする。
それに構わず、ニナは口上を続ける。
「お願いです、もう、やめましょう。そして私と一緒に暮らしませんか? 知りたいんです、貴方の『真の名前』を」
「――アーーーーーッ!?」
そこまで言った時、『掟知らず』が心底吃驚した表情で、この世の終わり的な絶叫を迸らせた。
何だどうした? 何か、わたしがケージの名前を偶然で言い当てた時に似てるぞ?
わたしが小首を傾げている間に。
「おっおっお前……どうして僕の名前を!?」
えっ。あっ。ハイ?
このパターンはもしや?
唖然とするわたし達の前で、『掟知らず』のヒョロ長い姿が見る見る内に縮んでゆく。
そして、呆然とした様子のフェレットが立ち尽くしているのであった。
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