第05話 絆の残り香

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第05話 絆の残り香

 庭には井戸がある。  朝を迎え、私は井戸から水を汲み上げる。  滑車を滑らせてバケツを下ろし、其れを引き上げてタライに移した。  その水はとても綺麗な水だったが、水に映る顔は腫れぼったくて、私は一瞬で残念な気分になった。  だけど、こんな事じゃダメだ。  私は気を取り直し、手のひらで水を掬うと、頬を叩く様に顔を洗った。  それから私は、家の扉を空け、掃除に取り掛かった。  まずは、入り口から入ってすぐのキッチン。  かまどが一つと、空になった水瓶、ダイニングテーブルに椅子が二脚。  二脚ある椅子を見て、私はまた感傷に浸りそうになった所を、ぐっとこらえる。  台所用品はそんなに多く無かったし、あまり使って無かったから直ぐに終わった。  それから、扉が二つあって、まずは右の部屋。  この部屋には、大きな窓があって、家具はタンスが一つあるだけだった。  そのタンスの中には何も無い。  私は、直ぐに左の部屋に移動する。  其処にはベッドがあって、オジさんの物がそのまま残っている様子だった。  だから右の部屋は、私の為に空けてあったのだと直ぐに分かった。  そして、私は此処でも感情が溢れるのをぐっとこらえる。  それから、部屋の窓を開け、ベッドの毛布を窓の縁に干して叩く。  その後シーツをはがし、ベッドに敷き詰められた綿袋を抱えて、庭に並べて天日干し。  勿論シーツも洗ったけど、物干しはロープが切れていたので、取りあえず庭の岩の上に干す。  干している間、部屋に戻り床を拭く。  次に机の上を拭き、机の引き出しを開けると、其処にはヤスリや小刀などの工具が入っていた。  オジさんは、私に練習用の木剣も作ってくれるほど、器用な人だった。  ここで、また()()()そうになる心をぐっと抑え付けた。  今度はクローゼットを開けた。  其処には、外套や装備が入っている。  だけど、不自然に空いたスペースがあって。  そうか、このスペースは、当時オジさんが装備していた物の場所だ。  思った瞬間、私は堪らず走り出していた。  私は、転びそうになりながら全力で走った。  そして、辿りついたギルド会館の入り口。息を切らせたまま扉を押した。  勢いよく開いた扉の主張で、カウンターのエミリさんとすぐ目があった。 「あら、ロックスさんの、こんな時間にどうしたの?」 「はぁはぁ、あの! オジさんの、ロックスさんのお墓は何処ですか!」  私は、入り口で叫んでいた。  エミリさんは、頬に手を当て、困ったような表情を浮かべていた。  私はそのまま進み、カウンターからエミリさんを見上げていると、 「少し落ち着きなさいな。 さぁ、此方へいらっしゃい」  と、違う方向から声が掛けられた。  私が視線を向けると、ホールサイドのカウンターにいる女性バーテンダーだった。 「この時間は人も少ないし、そうね、少し座ってお話しましょ? 」  と、今度はエミリさんがカウンターから出て、私の背中を押した。  私は、押されるまま、バーカウンターの椅子に腰かけると、茶髪を束ねたバーテンダーの女性が、 「アネッタよ。これはサービス」  と、私の前にグラスを置いた。  そこから甘酸っぱい香りがして、グラスを満たしている液体が柑橘系のジュースだと、直ぐに分かった。  正直、私は飢えていた。直ぐにグラスを持ち、一気に飲み干していた。  それを見てアネッタさんは、微笑みながらハンカチを私に差し出した。 「これで、お口、拭きなさいな」  私は、自分の行動が恥ずかしくて急に顔が熱くなった。  年相応の行動かも知れないけど、無意識の内に、私の精神は年齢に引っ張られている。  だから、気をしっかり持たなくちゃ、と自分に言い聞かせた。  それから遅れて、 「ありがとうございます。ハンカチも、ジュースも」  と、私はハンカチを受けとり、唇を拭った。 「ほれ、お菓子をやろう」  と、今度は、反対側のカウンターにいた白髪で三つ編みのお婆さんだ。  傍らに来ると、私の前へ、紙に乗せた丸い焼き菓子を置いた。  それは、ナッツの混ざったクッキーのような焼き菓子だった。 「ありがとうございます」  私は遠慮なく手を伸ばし、サクっと音をさせた。 「おいしい……」  その後、一気に頬張った。  咀嚼して、名残惜しいけど飲み込む。  果実の後の、今度は砂糖の入ったお菓子。  今の私にとって、それは夢のようだった。 「ルクルカ婆とでも、呼ぶがいいわ」  ルクルカお婆さんは、私の顔を見ると、皺を深めて笑いながら、紙の上に焼き菓子を追加した。  そしてすぐに自分のカウンターに戻って行った。  私は、椅子から降りて、今度は頭を下げる。 「ありがとう!」  ルクルカお婆さんは、カウンターの席に座ってから、うんうんと頷いていた。  それから、改めて椅子に座った私の横に、エミリさんが座った。 「正直言うとね、貴女には少し早い話だと思うけれど、それでも聴く気は有る?」  言いながら、エミリさんは、アネッタさんに目配せした様子だった。 「はい。聞きたいです」  私は直ぐに頷いた。  そのタイミングで、グラスにジュースが注がれた。 「気にしないで、この一杯は私から」  と、私が驚く間もなくエミリさんが言った。  私は、改めてエミリさんに体ごと向け、お礼の代わりに頭を下げる。  それから、私は聴く姿勢のまま、意味も無く不安になってハンカチをぎゅっと握った。  エミリさんは、私に視線を合わせ、ハンカチを持つ私の手を握る。 「あのね、ロックスさんの死体が無いの」 「え、無いって、どう言う事ですか?」 「うん、普通はね、体の一部か遺品をお墓に埋葬するのだけど、其れすら出て来て無いの」 「あの、じゃぁ、生きてるかも知れないですよね!?」 「それは、飛躍しすぎね。あのね、隠しても何れ分かる事だから、はっきり言うけれど、ロックスさんは、魔物に食べられてしまったの」 「食べられた……?」  エミリさんは、私の手をさらに強く握った。 「深緑大蛇(ダークグリーンパイソン)という魔物が居てね。毎年夏の終わりに繁殖期を迎えるの。それでロックスさんは増えすぎた深緑大蛇(ダークグリーンパイソン)を狩に出て、偶然、邪頭大蛇(イビルヘッドパイソン)と遭遇してしまったの。そんな事、有り得ない事なのよ。群れの中に別種が混じるなんて」 「あの、それで、オジさんは、どうしたんですか?」 「他にも依頼を受けて何人もその場に居たのだけど、ロックスさんは戦いを挑んだんだって」 「ちょっと待ってください。他に人がいたんですよね!? なのに、なんで助けなかったんですか!」 「それは違うわ。邪頭大蛇(イビルヘッドパイソン)はね、かなりの上位種でね、しかも生態が良く分かってないの。そんな魔物を相手に、助けに行けって? 」 「もしかしたら、オジさんは助かったかもしれないのに……」  私は、エミリさんと目が合わせられ無くて、俯いて呟く。 「そうね、助かったかもしれない。けど、代わりに誰かが死んだかもしれない」 「でも……」 「でもじゃない。ロックスさんが貴女にとって大切だったように、みんな誰かの大切な人なの。代わりなんて居ないのよ」  エミリさんの言葉は、頭では理解できるのに、心がそれを邪魔してる。  認めるなって心の中の私が言った。  助けてくれなかった奴らを恨めばいい。悪いのはその場にいた奴らだ。って私の中で私が言った。 「恨むんじゃねぇぞ」  私の心を見透かしたような言葉。背後から声がした。  振り返ると、そこにはモユルさんが立っていた。 「いいか、よく聞け。恨むんだったら、てめぇで倒せるようになってから恨め」  モユルさんは、ローブを揺らし、ずかずかと近寄って来た。  そして、腰を屈めると、私の鼻先まで顔を近づけた。 「守られるだけのてめぇに、恨む資格なんざねぇ。守られる立場のてめぇに、逃げた奴らに意見する資格もねぇ。今のてめぇが恨んでいいのは、てめぇだけだ」 「モユルさん、少し暴論ですよ」  隣からエミリさんの声が聞こえた。  でも、何となくモユルさんの言葉は、納得できた。  理由は分からないが、内側にズンズン響いてくるのだ。 「なります」  私は、モユルさんの鼻先に向かって言った。 「何に、なるんだ?」 「倒せるぐらい強くなります!」  問い掛けられ、私は思いっきり言った。  お陰でネガティブな気持ちが、少しだけ前向きに出来た。  モユルさんは、屈んだ腰を伸ばすと、私の唾を拭いながら、 「良く言った。ただし、その未来は、ロックスが望んだもんじゃねぇって事ぁ覚えておけよ」 「そう、なんですか?」 「はは、結局はガキだな。いいか、誰がてめぇの娘に危険な事させんだよ。お前に教えてた剣術だってな、護身術だぜ。あのな、ロックスはな、冒険者を辞めて職人になって、お前を嫁に出すのが夢だとか、ほざいてたんだよ。なのに、死んじまいやがって」  オジさんが、そんな事を思ってたなんて、初めて知った。  もし、そんな未来だったなら、幸せだっただろうか?  と、思った瞬間『ズキッ』と胸が痛んだ。  その未来はダメだ。なぜなら其れはオジさんを悲しませるから。  だって、私は短命なのだから。  突然、頭の天辺に、とんとんと小さなノック。 「どうした? チビスケ」  モユルさんが、首を傾げている。私は、また物思いに耽ってしまっていた。 「いえ、何でも無いです」 「まぁ、いいや。とりあえず立て」 「あ、はい」  言われるまま、私が椅子から立ち上がると、モユルさんは歩き出す。  そして肩越しに手招きをしている。  私はその背中を追いかけると、モユルさんは、向かいのルクルカお婆さんの前で止まった。 「婆さん、鑑定を頼む」  モユルさんは、カウンターに銀貨をバチンと置いた。 「あいよ、じゃぁ、お嬢ちゃんおいで」  今度は、ルクルカお婆さんが、私を手招いている。  私は、モユルさんが引いた椅子に腰かけ、ルクルカお婆さんと向かい合った。  お婆さんは、 「手をお貸し」  私の出した手を片手で握ると、もう片方でペンを持った。 「人間にはねぇ、適性ってのがあってね、そいつは先天的なもんと、後天的なもんに分けられる。なるほどなるほど、アンタは先天的に色々もって生れて来たんだねぇ。魔法の適性と剣の適性が取り分け高いね。魔法は、治癒が一番高くて、火と水が次いでるねぇ。おや、アンタも鑑定眼があるねぇ。まぁ、この適性って奴は、親から受け継ぐ事が多くてね、母親から治癒を、父親から剣術適性を受け継いだみたいだね」  ルクルカお婆さんは、言いながら紙にペンを走らせていく。  私が選んだ適性の他に、ママの適性を受け継いでいると聞いて、凄く嬉しくなった。  それから、私は生まれた疑問に首を傾げ、 「あの、後天的って、どう言う時に出て来るんですか?」  私が問い掛けると、後ろからモユルさんは、私の顔に高さに顔を並べ、 「んなもん、もって生まれた適性しか出来ませんつったら、つまんねぇだろ。ある程度は努力でなんとかなんだよ」 「そこのモユルはな、火の適性なんぞ一切無かったが、努力してな、火焔魔人なんぞと呼ばれるほどに成りおった。それはもう頭がおかしいんか? くらいの努力じゃった」 「ババァ、勝手に恥ずかしい通り名ばらすんじゃねぇよ。まぁ、俺の固有適性は努力だからな」  モユルさんは腰を起こすと、自慢げに笑った。 「そんな、適性あるんだ……」  私は、素直にモユルさんの事が凄いと思ったけど、 「ないない。勝手に言ってるだけじゃ」  直ぐにお婆さんの否定が入り、モユルさんは肩を竦めて笑っていた。 「ほれ、これがお前さんの適性だ。いいかい、ある程度は努力でなんとかなるが、適性が最初から有ると無いとじゃ大違いじゃからな」  と、お婆さんが押し出した紙には、 【剣術適性】【魔法適性、癒、火、水】【体術適性】【鑑定眼適性】  と、達筆で書かれていた 「いいか、適性はな、磨かなきゃ意味がねぇ。何を伸ばすかじっくり考えろ」  モユルさんは、そう言い残して、ホールから出て行こうとした時だった。 「おい、聞いたか?」  冒険者風の男性が、ホールに入って来るなり言った。 「あぁ? 何をだよ」  モユルさんが、気だるげに問いかけた。 「王都で八歳の子供がよ、勇者適性を持っていたって噂で持ちきりだぜ」 「へぇ、そいつはすげぇけど、ま、俺達には関係ないな」  と、モユルさんは出口へと向かって行った。 「あぁ、それと、チビスケ、雨降りそうだから、急いで帰った方がいいかもな」  モユルさんは、肩越しに振り返って言うと、扉から出て言った。 「え、嘘。あんなに天気よかったのに!」  私は、適性の紙を握ると、逆のカウンターに走り、 「ジュース、頂きます!!」  飲んでなかったジュースを一気に飲んで、焼き菓子も紙に包んでポケットへ突っ込んだ。  そして、扉へと走る。 「気を付けて帰りなさいよ」  エミリさんの声に、私は振り返り、みんなに手を振ってから扉を潜った。  ハンカチも洗って返さなきゃ。  紙と一緒に握ったハンカチを見て思い出す。  それと、 「八歳の子供に勇者の適性かぁ」  そんな単語が、何となく耳に残っていた。 18754ba6-8ddd-4e30-bd73-9202da7808d5
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