110人が本棚に入れています
本棚に追加
第08話 適性の、その先
緊急ミッション。
その言葉が発せられた瞬間、場の空気が張り詰めた気がした。
「カルブト村に、岩鎧熊が進入。かなり飢えた状態との事」
書類に目を通した様子のエミリさんが声を張って告げる。
「岩鎧熊だって? しかも何でこんな季節に飢えてんだよ」
冒険者の一人が言った。
言葉を拾えば、こんな季節に現れる魔物では無いのだろう。
今この辺りの季節は初夏。
生息地に餌が無くなったとか、そう言う理由なのかな。
「状況は分かりませんが、早急に駆除が必要です。モユルさん、ベテランを十人ほど連れて行ってください」
「おう、分かった。バニガン、ユルゲン。それに、メイサー兄弟。それとカダ組、見習いは置いてけよ。あとは、アイラ、馬車を出してくれ」
モユルさんの声で、冒険者たちが立ち上がる。
そして各々が武器を持ち、準備を終えると扉を出ていく。
「アイラ、二頭とも出していいわ」
カウンターから、アネッタさんが鍵を放り投げた。
アイラと呼ばれた冒険者は、放られた鍵を片手で掴んだ。
そして、みんなとは逆に、裏口の方へと進んでゆく。
二頭と言えば馬の事だと思う。
あの鍵は馬小屋の鍵なんだろう。
アイラさんは、私の横を通り過ぎる瞬間、
「行ってきますね」
と、私に微笑んだ。
突然な事に、私はドキっとしたが、
「いってらっしゃいませ!」
直ぐに言う事が出来た。
アイラさんは頷き、そして裏口から出て行った。
男性ばかりの冒険者の中で、女性は珍しい気がする。
しかも、絹糸のように靡く金髪と整った顔。
そんな人に微笑まれたら、誰だって緊張してしまいそう。
『パンパン』
またエミリさんが手を打った。
「怪我人の受け入れもあるから、治療できるメンバー以外は解散してください」
その声に、他の冒険者達もホールから出て行く。
私はその光景をぼーっと眺めて居た。すると突然、私の肩をエミリさんが叩いた。
「これから怪我人が運ばれてくるから、貴女も今日の所は帰りなさい」
「でも、あの、掃除とか手伝えます」
「いいから、帰りなさい」
エミリさんは、私の背中を押す。
私は渋々だったけど、ホールを出て帰宅の途に就いた。
夜が始まったばかりの街並み。
賑わう食堂の臭いを嗅ぎながら、家路を急ぐ大人たちに交じって歩く。
そんな私の横を、凄いスピードで幌馬車が駆けていった。
馬車の幌には、ギルドと同じ革袋のマークがついてる。
「行ってらっしゃい!!」
遠ざかって行く馬車に、私は手を振って叫んだ。
そして歩き、私は街外の我が家に続く道に差し掛かった。
この先の道は暗い。街の灯りが途切れる場所で私は立ち止まる。
暗闇は怖いけど、歩けない程じゃない。
立ち止まったのは怖いからじゃ無くて、私は振り返ってギルドの方向を見た。
そんな私の横を、今度は荷馬車が通り過ぎる。
荷台から、力なく零れる様な人の手が見えた。
「え?」
あれはギルドに運ばれていく怪我人なのだと、一呼吸後に気が付いた。
その瞬間、得体の知れない使命感に駆られ、私は来た道を戻っていた。
途中、ギルドに居た冒険者とすれ違う。
「おい、リリィ?」
「ごめんなさい! 急いでるの!!」
私は走りながら振り返り、手を合わせる。
私がギルドの前に辿りつくと、扉は開け放たれた状態だった。
そして、荷馬車から怪我人が運び込まれる最中だった。
大人たちが何人かでホールの中へ運んで行く。
滴る血液は、扉の前の階段に零れている。
私は、合間を縫ってホールの中に滑り込む。
すると、ギルドの中央には、怪我人が寝かされていた。
映画で見た野戦病院のような惨状に、私は息を飲み込んだ。
「リリィ! 貴女、何故戻って来たの!」
エミリさんの声だった。
「あの、何か手伝える事は無いかな、居てもたっても居られなくて」
エミリさんは、私の前に立つと、
「馬鹿!!」
『バシィン』
私の頬を平手で打った。
「あの……」
突然の事に、私は思考が停止していたんだと思う。
遅れて、痛くて、涙があふれて来た。
「来ちまったもんは仕方ない。リリィ、こっちにおいで」
忙しなく動く大人たちの合間から、ルクルカお婆さんが私に手招きをしている。
エミリさんは、表情険しいまま視線の先を変えると、新たに運び込まれた怪我人の状況を確認していた。
私は、叩かれた頬に手を当てて、お婆さんの側らに行く。
「裏庭で、薬草の選別でもしようかのう。手伝ってくれるか?」
私の応えを待たず、お婆さんは裏口へ向かって行く。
その背を、私は少し遅れて追いかけた。
裏口に向かう途中、見えたアネッタさんは薬草らしい草をすり鉢のような物で捏ねている。
それを見て、私は自分が情けなくなった。
一体、私は何をする気で来たんだろう? 来れば何かしら指示されると思ってた。
その考えがきっと間違いだったんだ。
私は自分で考える事を放棄していた。
結果、エミリさんに無駄な時間を使わせ、お婆さんの手を煩わせている。
いろいろな条件が重なって、自分が酷く役立たずな存在に思える。
裏口では、ルクルカお婆さんが扉を開けて待っている。
私は涙を我慢しながら、小走りで向かった。
裏庭には、かがり火が焚かれ、馬たちの帰りを待っているようだった。
「ほれ、これを選別するぞ」
井戸の前には敷布が広げてあって、その上に緑の野草が並んでいる。
その中には、今日辞典で見た薬草が混じっている。
お婆さんは、敷物の前に腰を下ろした。
私も並んで腰を下ろす。
「血止めがこっち。毒消しがこっち」
お婆さんは二つの籠を指差した。
私が、草を見分けて籠にいれるとお婆さんは頷く。
「うん、そうじゃ。ちゃんとできるな。えらいぞ」
嬉しいけど、その優しい言葉に私は泣きそうになる。
すると庭の端から白い狼が現れ、のそのそと私に近寄って来た。
そして、私に寄り添うように寝転んだ。
「え、シャロン、どうしたの?」
シャロンは、少し目を開け、そして何もなかったように目を瞑る。
「リリィが泣きそうな顔をしておるから、慰めに来たんじゃ」
お婆さんは、薬草を選り分けながら言った。
私は、横で眠るシャロンの背中を恐る恐る撫でる。
シャロンは、薄目を開けるとすぐ瞑る。
まるで、後は好きにしろ。って言ってる様な気がした。
それから、お婆さんは手を働かせながら、
「冒険者ギルドでは良く有る事じゃ。近隣の村にも街にも治療院が無いからのう」
私を横目に見て言った。
「何故、治療院が無いんですか?」
「大都市でないと採算が取れんというのもあるし、国のお偉いさんが、治療師を地方に出したくないと言うのもあるんじゃろうな。じゃから、ギルドは治療院どころか、色んな仕事を兼ねるんじゃ」
私は、話しに夢中で、止まってしまっていた手を動かし薬草を選り分ける。
「リリィは、不器用じゃな。一つの事に夢中になると他が入って来なくなる。じゃが、それは悪い事じゃない」
私の手が、また止まった。
言われた通りだ。私の手は聞くことに集中して止まっている。
「悪い事じゃ、無いんですか?」
「あぁ、悪くない。真剣で真っすぐと言う事じゃからな」
私は、手が止まった時間を取り戻すように選り分ける。
それを見て、お婆さんが笑うのが分かった。
私が首を傾げると、おばさんは笑ったままで、
「エミリの事を悪く思うんじゃないぞ」
と、手を休め、私の頭を撫でた。
私は、極力手を動かしながら、
「うん。悪く思ったりしません。だって、自分が役立たずなの知ってるし」
少しぎこちない手つきになりながらも、口と一緒に動かした。
「それは少し違うのう」
「え?」
「まぁ、確かに人手がほしいのなら、冒険者を残すわな。しかし、知識が無い物が居ても意味がない。じゃから言うてしまえば、全員役立たずじゃ」
「ですよね……」
「じゃが、リリィ。お前は場合は少し違う」
「あの、一体何が……」
お婆さんは、懐からキセルを取り出すと、指先が光って火が灯った。
それでキセルの先に火を入れると、咥えて煙を吸い込んでいる。
「ふぅ。それはな、リリィ。お前が鑑定眼の適性を持っておったからじゃ」
私の手は完全に止まっていた。
「鑑定眼があるから?」
「うむ。鑑定自体は人は努力すれば出来る。じゃが、鑑定眼を持つものにしか出来ない事もある」
「鑑定眼にしか出来ない事?」
「うむ。それはな、成長すると人の強い残留思念を読み取ってしまうようになる」
「あの、残留思念って……」
「物に宿ったり、その者自体に残る死の恐怖は、鑑定眼を持つ者の心を時には蝕むのじゃ」
「じゃぁ、エミリさんは、私を遠ざけるために……」
お婆さんがキセルを吸うと、ふっと先の光が強くなる。
「リリィは聡い子じゃからな。エミリなりに気を使ったんじゃろう。まぁ、奴も不器用じゃから」
「あの、お婆さんは大丈夫なんですか?」
「わしの若い頃も、其れで随分と心が病んだ。そして怖くなってな。鑑定眼の成長も止まった」
「止まった?」
「諦めたというべきじゃな。適性は努力しただけ際限なく伸びるからの。私は成長を諦めた事で、残留思念も見えなくなった。じゃから、成長の先に何が有るかは知らん」
私は、考える。
完全に止まった手は、動く事より思考を優先している。
「あの、成長するために、残留思念に触れる事は必要なんでしょうか?」
「八歳の娘が言う事では無いのう。それに怖いもの見たさならやめたほうがよい」
「役に立てるようになるなら、私は成長したいから」
「本当に、八歳とは思えんのう。強い意志を感じる。よかろう、チャレンジしてみるがいい。ただしダメそうなら直ぐにやめさせるぞ? 才能を潰すのは御免じゃからな」
お婆さんが立ち上がる。
それから、キセルの灰を落し、吸い口を拭って歩き出した。
私は、その後を追う。
と、その前に、私は一度立ち止まって、
「シャロン。ありがとう」
シャロンは寝たまま目も開けないけど、尻尾がピコンと一度だけ跳ねた。
扉を潜ると、惨状が目に入って来た。
何人もの怪我人が寝かされている。
中央では怪我人の女性の手を少女が握っている。
年の頃は、私よりは少し上といった程度だろう。
その女性の腹部をアネッタさんが手で押さえている。
どうやら血が止まらず治療が進まない様子だった。
血だらけの様子に、ぞっとした。
間近で見るリアルな惨状に、眩暈を起こしそうになる。
「すまんが、ちと診せてくれんか?」
お婆さんが言うと、直ぐに視線が集まる。
「ちょっと、リリィ! 何故入って来たの!!」
エミリさんが慌てて駆け寄って来た。
それをお婆さんが手で制して
「いいんじゃ。わしが責任を持つし、わしの命に代えても何も起こらせんつもりじゃ」
「そんな事、私は許せない。命なんて軽々しく言わないで!」
エミリさんの怒声が響いていた。
「あの、母さんを! 助けて下さい!!」
それは、女性の手を握る少女の叫びだった。
私は女性に駆け寄る。
「ちょ、ちょっとリリィ!」
エミリさんの制止を振り切って、私は女性の額に触れた。
その瞬間、目の前に巨大な魔獣が見えた。
巨大な熊だ。
次の瞬間には、腹部を刺され、持ち上げられて天と地が逆転した。
そんな最中にも、
「逃げなさい!! 早く!!」
私は、娘に叫んでいた。いや、私じゃない。これは女性の残った感情だ。
そして、女性と私は地面に叩きつけられた。
その瞬間、痛みと恐怖が流れ込んで来た。
そして、世界が暗転して私はどろどろとした液体に、体が沈んで行く。
怖い。これは死のイメージだ。何故か直感的に理解できた。
怖い、寒い訳じゃ無いのに凍える。
腹部からは夥しい血が流れるのが見える。
このままじゃ死んじゃう。
血が流れるのが見える?
死の恐怖が途切れ、冷静な自分にシフトする。
集中するんだ。私は一つの事しか出来ないんだと自分に言い聞かせる。
暗転して世界が暗いのに、お腹の中で出血している場所の、更に血管だけが透けているように見えていて、そこから何か、光に似た粒子が噴き出している。
気をしっかり持つんだ。
鑑定眼で見えるこれが、ここが患部なんだ。
そして漏れているのは、命だ!
何とかしなきゃ、そう思った瞬間、私は大事なことを思い出した。
何故、こんな大事なことを忘れていたのだろう。
精神世界なのか、現実世界なのか分からないが、私は力いっぱいに、
「ラケシス!!!」
今まで忘れていたその存在の名を叫んだ。
最初のコメントを投稿しよう!