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第93話 在りし日の記憶
三つ連なった山の見える海岸線は見つからない。
有力な情報も無いままに、時は湯水のように流れて行く。
そして三か月が過ぎた。
『ガタガタガタッ』
ガダ周辺に地震が起きていた。
最近は、頻繁に揺れ、民達の間でも不安の声が広がっていた。
「収まったみたいね」
と、ミラはオアシスの天幕の下で、本にしおりを挟んだ。
「そうだね。みんなは大丈夫かな?」
私は、手に持った書類から目を離し空を見上げる。
「あまり大きく無かったから大丈夫よ。それより気になって手に付かないんでしょ?」
と、ミラは私の手にある書類を眺めていた。
私は、書類を掲げて見せながら、
「あぁ、うん。待ってるのって苦手なんだよね」
と、テーブルに書類を投げた。
ミラの言う通り、仕事もなかなか手に付かない。
心配なのは地震の事だけじゃなく、むしろ捜索に出ている仲間達の事だ。
見つからない事以外に何か問題がある訳ではない。
ただ、自分が一緒ではない事が心配なのだ。
私が一緒に行って何が変わると言う訳でも無いのに、とにかく漠然と心配なのだ。
今まで私は、常に動いてきた。
元来待つ事に慣れていないのだろう。
王になって以来、待つことが増え、それがいかに辛い事なのか、改めて実感している。
「とにかく落ち着いたら?」
と、ミラは本を膝に置き、テーブルのカップに手を伸ばした。
「落ち着いてるよ?」
私の何処が落ち着いて居ないと言うのか。
ミラに首を傾げながら、私もカップを口に運ぶ。
その瞬間、
「それ、砂糖壺よ?」
と、ミラは肩を竦めていた。
私は、唇寸前の、手の内に収まる白い器を眺める。
砂糖の過剰摂取を免れた私は、
「ああ、うん、ちょっと落ち着くよ」
と、素直に認めざるを得ず、砂糖壺を置き、代わりにカップを口に運んだ。
そして、カップを傾けた瞬間だった。
『ゴゴゴゴゴゴッ』
と、今までに感じた事の無いような大きな揺れが起こった。
私は紅茶を顔面にかぶり、
「ぶふっ、これはでかいっ」
カップを捨て、咄嗟にミラを抱き寄せて地面に伏せる。
すると三十か四十数える間に、揺れは収まった。
「陛下、個性的な香水ですわね」
と、地面と私に挟まれながらミラが笑った。
「いい香りでしょ? でも、甘い香りの成分が、痒くなるから注意ね」
と、私は立ち上がり、ミラに手を差し出した。
そして、ミラの手を掴んで引き上げ、
「誰か! 各階層の班長に、状況の確認を急がせて!」
と、私は近くの騎士に命令を投げ、ミラの衣装に付いた砂を払い落とした。
「ありがとう。それと、陛下?」
「うん?」
「お着替えに参りましょうか」
と、ミラに言われて、私は自分の衣装を見下ろした。
胸元には紅茶色が広がって、着心地も非常に悪い。
「あぁ、これは少し、やんちゃな染みだね」
「地震のせいに出来ますわ」
「……そもそも地震のせいだよ」
「あら、そうでしたか。それは存じ上げませんでしたわ」
「茶番はいいから……」
「ふふ、はいはい」
それから、私達は砦の中に入り、着替えを済ませ、玉座の間で報告を待った。
各階層から挙がって来る報告には、特に悪い知らせは無かった。
だが、暫く遅れて、
「陛下、バヤン岬の村で、崖崩れが発生したとの報にございます」
と、騎士が玉座の前で床に膝を付けた。
「え、で、他に分かる事は?」
「は、幸い怪我人は無いとの事ですが、伝書鳥での報ですので、それ以上は……」
私の問い掛けに、騎士は膝を付けたまま告げた。
伝書鳥での伝言には限界があるのは分かる。
つまりは取り急ぎだったのだろう。
「不幸中の幸いだね。よし分かった。一通りの救援物資を準備して、兵を派遣して。メンバーは全員、魔抜けでね」
「ハッ! 承知しました」
私の命令に騎士は立ち上がり、胸に手を当て頭を下げてから去って行く。
「私達も、早朝には向かおう」
「ええ、分かったわ」
私はミラに告げ、玉座から立ち上がった。
今、日照時間は既に5時間程にまでなっている。
つまり日没は正午少し後という事だ。
早朝にでも出発しない限り、バヤン岬への往復は不可能だ。
だから、先に魔抜けを先行させ、私達は明日向かう段取りを組んだのだ。
「リリィ、何処か行くの?」
「うん、工房へ行ってくるよ」
「そう、じゃあ、私は明日の準備を進めておくわね」
「ありがとう。よろしくね」
私は、玉座の間にミラを残し、出入口で頭を下げるターニャとパメラの横を通り過ぎた。
私は、上げ下げ床では無く、階段で八階層から三階層に向かった。
上げ下げ床は、動かすだけで人手を割く羽目になるので、王命で使用を中止させたのだ。
実際、一々階を移動するのに命令するのは気が引ける。
そもそも楽しすぎは良くない。
「おうさま、こんにちわぁ」
と、三階層に降りて直ぐ、職人街で幼い女の子が寄って来た。
「はい、こんにちは」
私は、女の子の頭を撫でてから、三階層職人街の中を進む。
暫く女の子も付いてきたが、途中で友達を見つけて、私に手を振ってから離れて行った。
通路を挟み、向かい合わせで並ぶ工房。
通路にはみ出した道具類をよけながら私は先に進んで行く。
途中、靴工房から、ペノンさんが顔を出した。
王都で、雷角大鹿の蹄を加工して靴を作ってくれた職人さんだ。
「陛下、靴のお直しは、いつでも呼びつけてくださいね」
「ありがとう。今回もいい調子ですよ」
と、私は無精ひげの彼に手を振って通り過ぎる。
細工職人のロドさんの工房の前は、加工職人ケニオさんの工房がある。
私は、通り過ぎる途中に手を振り、笑顔が返ってくると、私も笑顔を返した。
他にも多くの工房で、多くの職人が私に向かって、笑みや、挨拶や、手振りを、あるいはその全部を送ってくれる。
こんなに気持ちの良い人たちが、私や騎士や戦士たちの装備を支えているのだ。
私も、出来る限り笑顔を返し、手を振り挨拶を向ける。
そして、私はとある工房の前にやって来た。
『カン、カン、カン』
鉄鎚が鉄床上の鉄を打つ、小気味の良い音が響いている。
私は、工房に入り、衝立の横から覗き込んだ。
集中するエルフィンは、まだ私に気が付いていない。
だから私は、そこにあった椅子にそっと腰掛けた。
程なく、『ジュッ』
と、鉄が水に浸かった音が響いた。
「よし、こんなもんか」
と、エルフィンは独り言を零してゴーグルを額に持ち上げた。
そして、私の方へと偶然体を向けた。
「あ……」
「うん、ごめん。集中してたから」
驚いて固まった様子のエルフィンに微笑みを向けると、彼は直ぐに顔を赤くして、
「す、直ぐに声掛けてくれればいいのに……」
と、慌てて、タオルに手を伸ばし、汗一杯の顔を拭い始めた。
「だって、作業を中断させたくなかったし、ほら見てて飽きないから」
私が言うと、エルフィン顔を拭く手を止め、そのままタオルで顔を隠している。
多分、はにかんでいるのだろう。
それから、エルフィンはタオルを首にかけ、
「お茶入れるよ」
と、立ち上がった。
「うん」
私が返事をすると、エルフィンは少しうれしそうに、炉に鍋を置いた。
それから凄い勢いで沸騰したお湯を、茶漉しを使い茶葉に注ぐ。
厚手の湯飲みから湯気が上がっている。
お茶の風味なんて一気に飛んでしまいそうなのに、
「どうぞ」
「ありがとう」
私の前にある工具台に置かれたお茶は、本来の風味とは違う独特の香りがして、鍛冶屋の味とでも言うのだろうか。
これはこれで、凄く美味しい。
私が両手で湯飲みを包むと、掌からじんわり温まっていく。
そして、一口含み、喉に落としてから、
「地震は、大丈夫だった?」
と、エルフィンに問い掛けた。
「うん、建物は丈夫だし、落ちるような軽いものも無いから」
「じゃあ、重い物が落ちて来るの? 逆に怖いよ」
「はは、確かに」
そして、会話の合間にお茶を口の運ぶ。
それから、二人とも無言が続く。
別に言葉に困った訳じゃない。
何となく、場の空気を楽しんでいるのだ。
そんな無言の間に、私が口を開いた。
「明日、バヤン岬に行くんだけど」
「うん」
「一緒に行ってくれるかな?」
「うん、分かった」
『何故』の一言も無く、彼は頷いた。
だから、私も頷き、彼に向かって、
「ありがとう」
と、だけ告げると、また無言の間が訪れた。
こうしていると、昔を思い出す。
僅か数年前、昔と言う程じゃないのかも知れないが、それでも遠い日の思い出に感じるのは、きっと変わりすぎた環境のせいだ。
だが、場所は変わっても、工房の空気は変わっていない。
私は、空気を吸い込み、吐き出してた。
「ご飯、行こうか」
「いいよ」
と、彼の二つ返事を聞いて立ち上がった。
工房を出ると職人街を二人で歩き、二階層の食堂に向かう。
見える景色は違ったが、ギルドの街を、二人で歩いたあの頃を思い出す。
ちょっと狭い所に差し掛かると、エルフィンが先を譲ってくれた。
途中、階段に立つ兵士に、
「ミラに、今日は食堂で取ると伝えてくれるかな?」
と、首を傾げて見せる。
すると、兵士は胸に手を当て、
「ハッ、今日は、煮込みが絶品です!」
と、礼の後、階段を上がって行く。
私はエルフィンと顔を見合わせ、
「ねぇ、エルフィン、煮込みだって」
「みたいだね、アイラさんお得意の」
と、笑い合って食堂に向かった。
食堂には、独り者が多く、身分に関係なく食事をしている。
そんな状況に、私が入って行くと、特に騎士たちが畏まる。
私は、それに手を挙げ、
「楽にしてください」
と、告げ、落ち着くのを待ってからカウンターに向かう。
「あら、リリィ。今日は下りて来たのね」
と、アイラさんがカウンターの向こうで微笑んだ。
「ええ、エルフィンと話があったので。それに、たまにはアイラさんを見ながら食べたくて」
「あら、おばさんなんて見ても仕方ないでしょうに」
と、アイラさんはトレイに湯気の上がる器を置いてくれた。
そして、パンにチーズに、後は好みで酢漬けの野菜を自分で乗せる。
それから二人で空いた席に腰掛ける。
スプーンを掴み、
「頂きます」
と、私が食べようとした、その時、
「席、ご一緒しても?」
と、突然、ライルが現れた。
そして返答も待たず、エイルが同じテーブル席に腰掛ける。
「へへ、お邪魔さん」
「二人ともおかえり、よくここが分かったね?」
と、私が首を傾げると、
「ええ、私が教えたら、飛んで行ったのよ。それ」
と、ミラも現れライルを指差した。
そして、ミラが腰掛けると、彼女の前にパメラがトレイを置いた。
「この面々で食べのも、久しぶりね」
と、ミラが言い、パメラとターニャも隣のテーブル席に腰を下ろす。
「あぁ、そう言えばそうだね」
私はミラに頷いて返す。
返答待ちで取り残されていたライルも腰を下ろし、
「まぁ、今日の所は、責めないで置くよ」
と、エルフィンに肩を竦めた。
「あら、ライル。貴方、抜け駆けだぁって、騒がないの? 少し期待していたのだけど」
と、ミラが口元を隠して笑うと、エイルも笑う。
「ちょっとミラ様、止めてもらえます? 私はそんな事言ってな――、あんまり言ってませんよ」
「あはは」
と、ライルの口ぶりに、私は笑ってしまった。
「ははは」
エルフィンも笑い、
「ふふふ」
ライルも笑いだした。
ギルドの街の団欒のように、私達のテーブルが盛り上がる。
食堂に騎士や戦士や職人も、何となく人が集まって来た。
楽し気な雰囲気に笑いが溢れ、私は久しぶりに賑やかな雰囲気で食事を取る事が出来た。
早朝、私達はバヤン岬へと出発した。
私とミラ、そしてエルフィンに、ライルとエイル。
それに護衛の騎士と戦士を、合わせて十人ほど連れている。
そして岬の港で先遣隊と合流。
「陛下、お見せしたいものが……」
先遣隊の騎士隊長が私に礼を向け、直ぐに先を指し示した。
その瞬間にはもう、私の視界の内でそれは主張していた。
「昨日の地震で、灯台を置いた岬の足元が崩れたのですが、その際にあれが……」
と、騎士隊長は続けた。
あれは、石像だろうか。
私は近寄り、震える手で、それに触れた。
崖崩れで現れたと言う石色のそれは、あまりにも精巧で、損傷も無い。
そして完全に私の記憶と一致していた。
「これは、ユキトの像だ」
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