第95話 生きよう

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第95話 生きよう

「あの、質問は一年に一回使わないと、失効しますか?」  二十五歳の誕生日を目前に控え、私は女神に、こんな質問を向けていた。  勿論ダメなら、今考え得る中で、もっとも重要な質問をするだけだが。 「そんなケチじゃねぇよ。ただ、まぁ、なんだ……」  と、考える猶予はまだ貰えるらしいのだが、歯切れの悪いアトロポスの口調に、私は首を傾げていた。 「どうか、したんですか?」 「いや、世間話だけどな。いいか、世界ってのは、現在を境に、無数の分岐があるって話は大体知ってるよな?」 「え、あ、はい。以前、私の命が助かった時、理解しました」 「ああ。でな、大まかに未来ってのは決まっていて、進むにつれ、その分岐からは絶対進めないってルートが生まれるんだ」 「はい。あの、それが一体……」 「いいから。それでな、普通の人間には、何が起因して分岐が生まれるかなんて、予測は出来ても答えは分からねぇ。だから後で、『あの時、こうすれば良かった』なんて後悔をする」  と、アトロポスは真剣な面持ちで、私に視線を向けた。  私は、そんな彼女に微笑みを返す。 「アトロポス、案外優しいですよね」 「ああ? この流れで意味わかんねぇぞ」 「いや、だって、気を遣ってくれてるんですよね? たぶんだけど、予言者の事を言ってるのですよね?」  美しき女神は、その見た目とは裏腹に、粗暴な感じで、ガシガシと頭を掻いた。 「あぁ。そうだよ、お前の言う通りだ」  私は、深く頷き、彼女の顔を見詰めた。 「どうぞ。多分凄い事を聞いても、その場は落ち込むけど、暇も無いから直ぐに立ち直ると思うし」 「じゃあ、言うが、此処まで酷い未来を引いたのは、予言者で在るお前のせいなんだぜ?」  女神は眉間に力を込めて、私を見ている。  私は、それに微笑みを返す。 「でしょうね」 「でしょうねってお前……」 「何となくだけど、未来を変え続けたら、どっかで皺寄せが来る気がしたんです。と言っても、そう思ったのは、ほんとに最近ですけど」 「それを分かってて、お前……。お前自身も、この世界で変質したのかもな」 「かもですね。でも、延々と魔王を、それらを倒して世界を維持するだけのループより、ここらで、一度、大きな困難を超えて、この世界自体が、【ねじれ】の連鎖を断ち切ったっていいですよね?」  私の放った疑問符の後、女神は暫く私を見詰めていた。 「お前、急に、達観しすぎてやしないか?」 「そうですかね? 私が存在したから、真魔大災害(アポカリプシス)が起きたとさえ、今は思って居ますから」 「それは暴論だな。で、【ねじれ】を断ち切れたとして、この世界の人間からも、【ねじれ】が生まれるぜ?」 「それは、その時の人々が何とかすればいい。人は、それくらいの強さも優しさも持ち合わせているのだから」 「じゃあ、その後の話はいい。で【ねじれ】の連鎖とやらを、断ち切るための、その刃は?」 「私の、命です。真魔大災害(アポカリプシス)の起因が私なら、私自身で(つぐな)うしかないから」  そう、私は女神に、変わらない笑みを向けた。  すると、女神は大きくため息を落とし、小さく横に首を振っていた。 「何故、そう思ったかも問題だが、暴論だっつったろ。結局、自己犠牲なんてよ、周りに、悔いと、英雄としてのお前の名が残るくらいなもんだぜ。お前がもう存在しない世界によ」 「短命を選んだ私の命の、最も有効な使い道だと思いますけど」 「はぁ、そうだったな。短命なんて選ばなきゃよ。俺の前に居るバカ娘の生き方も、少しは変わったのかね?」 「そんなの、選んでなかったらなんて、分かる訳無いじゃないですか。それに状況も、適性だって違っただろうし」 「そうかね? まあ、案外変わらなかったかもな」  そこで、緞帳が落ちて来た。  が、アトロポスは、落ちて来た視界をすべて塞ぐような緞帳を、片手で受け止め、 「忘れてたぜ。クロ姉、クロートーが会いたがってたぜ。その気になったら、呼んでみな」  言い終えて、彼女は手を放す。  ふぅ、と、私は息を吐き出した。 「ミラ、抱き締めていい?」 「御心のままに」  私は、一番最初に出来上がった見張り台の上で、夕暮れを浴びながらミラを抱き締めていた。 「何か、心配事?」 「ううん、ミラの分まで抱き締めるのが、私の役目だからさ」 「役目だから?」 「うそ。抱きしめたいから」  最近では、日照時間も三時間を切り、凍えるような長い夜が私達を苦しめている。  それでも、私達は、生きるために戦い、そして生きるために温め合った。  私は、二十五歳を迎えた。  この頃、私は死に対する恐怖を強く感じる様になった。  もともと有った事だが、それがより濃く、深くなったのだ。  自分を奮い立たせ、言い聞かせて貯蔵した勇気は見る見る底を突き、その度、私は内から凍えるような感覚に身悶える。  残された時間が少なくなるにつれ、私は覚悟が決まるのだと思ってたのに、実際はその逆で、恐怖や悲しみが私の体を強張(こわば)らせている。  それでも、みんなの前では勇気を振り絞る。  見張り台から進行具合を眺めるライルに、私はお弁当を差し入れた。 「はい、御届け物ですよ? 監督」 「あぁ、ありがとう。どうなる事かと思ったけど、工期は予定通り行けそうだよ」 「さすがライルだよ! まだ出来る事が有ればどんどん立案して?」 「うん、分かったけど、リリィ?」 「あれ、私、なんか変な事言った?」 「いや、そうじゃないけど……」  ライルが訝し気な表情をしてる時は、何かしら思っている時だ。  私は元気に笑って、 「じゃあ、まだやる事あるから」  と、手を振って、見張り台から退散した。  防御壁は着々と出来上がりつつあった。  崖と崖の間を繋ぐ防御壁は、海からの侵攻を阻むように作られている。  そして頑強なフォルムの約八割ほどが姿を晒していた。  前世の技術でも、重機を使って何年にも及ぶような工事だ。  それを、僅か二年余りで作り上げようとは、魔力や身体能力の高さに()る所だろう。  私とミラ、そして仲間たちが、見張り台から見守る中、 「放射実験開始!」  定刻通り、現場の班長の掛け声で、壁から火炎が放射された。  夜闇を炎が勢いよく照らしている。 『ブファ、ブファ』  と、順に噴出が始まり、火炎放射が壁に横一列で並んだ。  防御であり攻撃でもある火炎放射は、ガダ砦にも使われたブレスト・ハークの技術だ。  他にも防御壁の頂上には、超大バリスタと、投石機が海の方角を睨んでいる。 「私達が、ここに準備したせいで、未来がまた変わったらどうしよう」  私は、見張り台の壁石に肘を置いて、暗い夜の海を眺めながら呟きを零した。 「そうなったら、そうなった時だよ」  と、私の小さな声をライルが拾い上げる。  私が、そんなライルの横顔を眺めていると、 「どうせ、勝たなければ終わりなんでしょ? 思いっ切りやるだけだよ」  と、ソニアが笑っていた。  私は、逆の壁石に(もた)れ掛かるソニアを見詰める。 「ソニアってさ、昔からそうだよね。まっすぐっていうか」 「まあ、考えるより体が動く方だし。リリィは流石相棒。よく知ってるね」 「そりゃ、付き合いも長いしさ……」 「そんな相棒の陛下に、頼みがあるんだけど」 「相棒の陛下って、意味不明。変な言葉作らないでよ。で、何?」 「ああ、私、結婚するから、見届けてよ」 「ああ、うん。……え?」 「「「え?」」」  その場にいた恐らくは全員がソニアを見た。 「いや、だって、結婚の約束は縁起が悪いって言うから、なら戦争の前にするしか無いじゃない」  と、ソニアはみんなの反応に不服そうに肩を竦めて言ったが、問題は其処じゃない。 「ごめん、そうじゃなくて、相手は?」 「相手は、うん、まあ、トーガ。幼馴染だし、私を庇った時、アイツかっこよかったし?」  ソニアは、そっぽを向きながら赤くなっていた。 「凄い、トーガさん、ソニアを……。なんか、凄く、うん、いいね」  語彙力がどっか行った私は、目頭が熱くなって、人差し指と親指を当てていた。 「リリィ、はい」  と、ミラが出したハンカチを私は受け取り、すぐさま目頭を覆った。  そして、婚姻の日は直ぐに訪れた。  場所は、ガダ砦のオアシス。  急遽設けられた祭壇の中央には私が立ち、脇にルアンとミラが控えている。  正面に、白いドレスのソニアと、淡い黄色のマントに鳥の羽をあしらったマール王国の正装で身を包んだトーガさんが立っている。  余裕の笑みのソニアを眺めながら、私は緊張を隠し、 「ここに、ソニアとトーガの婚姻を祝福する。誓いの――、えー」  と、私が言い終える前に、目の前の二人は、フライングで唇を重ねていた。  その様子と、私の反応にミラもルアンも笑った。  そして、 「「おぉおぉぉぉ」」  割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こった。  カダ組のメンバーは勿論、ギルドの仲間達や、ソニアと共に戦った、希望の因子(ファクターズ)の面々も大喜びだ。 「ソニアはさ、何時も一歩先を行くんだよなぁ」 「あら羨ましいの?」  私の呟きに、ミラが幸せそうな二人を眺めながら問いかけて来た。 「どうだろ。でも、幸せそうなのは嬉しいかな」 「貴女はやはり、素敵な王様ね」  それからなんと、ソニア達に触発されたのか、婚姻ラッシュが起こったのだ。  戦いの前に婚約すると縁起が悪い。  そんな風習を、前に私が漏らしたせいで、みんなが一斉に結婚を始めたのだ。  私は、日に何組も、幸せそうな挙式を見届けた。  みんな守りたい者を、死ねない理由を作っているのだ。 「貴方達は、いいの?」  と、とある戦士の婚礼の時、私はサキとドゥーイに聞いた。 「俺たちは、そんなんじゃ無いからな、なぁ?」 「私は、ドゥーイがしたければ、してもいいわ」 「え、そうなのか?」 「ええ」  此処にも、絆で結ばれた二人がいる。  沢山の負けられない理由を眺めながら、私の時は過ぎて行く。  勿論過ぎた時間の分だけ、勝つための準備をしてきた。  完成した防御壁を見下ろす頃、また一年が過ぎて、私は二十六歳を迎えていた。  日照時間は僅かに一時間。  夜の内に海まで氷に変わる程、世界は凍えていた。  不思議な事に満月の夜、青い月は出ているのに闇犬も巨人も現れなくなった。  だが、それが逆に私達の不安を掻き立てている。  まだ薄氷の内に、船は離れた仮設港に移された。  この頃には、戦えない仲間を家畜の世話と備蓄の管理役としてガダ砦に残し、バヤン岬改め、バヤン要塞にほぼ戦える人材を移動させていた。  いや、むしろ戦いに慣れてないご婦人までも、 「矢くらいは運べますわ」  と、夫と一緒に戦う事を選んでいた。  それも一人や二人では無く、戦いに志願する者は、総人口約千四百人中、千三百人余りにも(のぼ)った。  幼い子供や、その世話をする老人、今現在、乳児を抱える母親は、戦闘への参加を禁じた。  すると、それ以外の大半が志願してきた。  そして志願した者達のほとんどが、まさしく子供や家族を守りたいと言ったのだ。  私達は、すべての準備を終えた。  そして、海は凍て付き、世界の全てを夜が支配した日、遥か彼方に黒い集団を認めた。  バヤン要塞の頂上広場に、戦う者全てを集め、私は設けられた壇上に立つ。 「楽しい時があって、悲しい時もあって、嬉しい時もあって、怒れる時があった。そんなふうに生きて来た日が、ある日突然壊れました。色々を分かち合った人々が突然消え、残された私達は、悲しみに暮れました。それでも、生きて来ました。何故生きて来たか、生きて来れたのか。それは多くの仲間たちがいた事と。こんな世界になる前、私自身が、色々な人に愛され、生かされて来たからです。だから、私は死にたくもないし、死ねないのです」  死に近い私が、死なない理由を熱弁する。  勿論、嘘偽りなく本心だ。 「覚悟を決める。私はこの言葉が嫌いです。勿論、その意味の尊さは分かります。決死の覚悟と言う言葉も大嫌いです。勿論、言葉ですから意味は色々あるのは分かります。だけど、私達は、死ぬために戦うんじゃない。生きるために戦うのです」  何を言っていいのか纏まらないまま、私は結局思うがままを、みんなに告げていた。 「誰かのために戦う事。それは尊い事です。私も、大切な人の為に戦います。でも、その前に考えてみてください。貴方が人を想うように、誰かも貴方を想い、貴方のために戦っているかも知れないと言う事を。顧みてください。貴方の愛する人を、貴方を愛する人を」  これは、私が学んできた事だ。  私は、胸に手を当て、込み上げる気持ちの中から、言葉をつまみ上げる。  そして、一段下に立つ、ミラや、ソニアや、仲間たちを眺め見た。 「貴方自身が貴方のために戦ってください。そして貴方を想う人の為に、貴方自身を守ってください。誰かの為に死ぬ覚悟より、誰かの為に生きる未来を、私は願います」  私は剣を振り上げた。 「生きよう!!」  私に残された時間は、一ヶ月を切っている。  そして、決戦が始まった。
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