第98話 さよならの覚悟

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第98話 さよならの覚悟

 私は、この世界の存在理由が不満だった。  何故この世界が、他の世界の尻拭いをしなくてはいけないのか。  割れ目から入り込んでくる地球の【ねじれ】、そんなもの、この世界には何の関係も無いのに。  と、何度思った事だろう。  要塞の前には、此方を見上げる黒い魔王。  その異質な存在に、誰もが目を奪われていた。 『ズドォン』  だが、巨人が要塞の壁を殴り始めた瞬間、呪縛が解けた。 「お、おい、味方は全員回収したんだろ? な、何故遠距離攻撃が止まったままなんだ?」 「え、ああ、弓隊 射て!」 「超大バリスタ発射!」 「投石開始!」  と、異常から抜け出した仲間たちが行動を再開する。  そんな声を耳に残しながら、私は魔王から目を離さなかった。  魔王を覆う黒色に(ひび)が広がり、そしてポロポロと剥げ落ち始めている。  それと同時に、ユキトの石像にも亀裂が入っていた。  石像の一か所が崩れ始めると、これまた同時に魔王の同じ場所が剥がれ落ちる。  魔王の黒の中から、人の色が現れ始めた。  そして、魔王の口元の黒が落ちると、 「百合恵、会いたかったよ」  と、私に向け、魔王は肉声を放った。 「百合恵なんて、もういないよ?」  私は、魔王に向け、窓から声を落とした。  不思議な事に、魔王の半径十メートルほどには、遠距離攻撃の一切が到達していなかった。  それどころか、闇の軍勢の一匹すらも、魔王の近くには存在していない。  あるのは崩れゆく石像だけだ。  次第にユキトの体を()()()()ていく真魔王(アポトーシス)を眺めながら、私は考えている。  記憶の中で、一つだけ分からない事があったのだ。  もともと真魔王(アポトーシス)は、ユキトの姿をしていた。  それが、本来のあるべき姿なのだろう。  だが、それが()()()()()なのか。  私は、それを確認しなくてはいけない。  だから、 「ラケシス」  と、始まりの、女神の名を呼んだ。  一瞬で世界の風景が変わり、白い世界にカウンター。 「来る頃だと思ってました」  と、その向こう側に、本棚に手を伸ばすラケシスの姿が有った。 「初めて此処へ来た時には、ユキトはもう、存在していなかったんですね?」  と、私はカウンターに歩み寄り、ラケシスの背に声を当てた。  すると、彼女は手を止め、肩越しに私を見降ろしてから、ゆっくりと振り返った。 「早急に処理する必要が有ったのです。あのまま【ねじれ】を放置すれば、世界大戦以上の混乱が起こる所だったのです」 「世界大戦が起きた原因も?」 「ええ。だから私達は亀裂から【ねじれ】を、新たに作った異世界に捨てました」 「捨てたって……、其れの何処に、ユキトと関係が?」 「ユキトは、貴女に会う前に他界していました。その接点は、僅かな遺影だけのはずだった。その死に方は有り得ないもので、【ねじれ】を捨てるために作った亀裂に、当時十七歳のユキトは足を滑らせ転落したのです。本来割れ目は、触れるどころか、見る事すら(かな)わないのにです。そして地表に激突して死にました。しかし、その時はまだ、彼は本当の死を迎えてはいなかった」  私は、幼い記憶と、夢にみた葬儀の風景、誰かの葬儀を思い出した。  本当なら幼い私の記憶にも残らないような関係だったのだ。  だが、聞いた言葉に、あまりの酷い内容に、私は憤り、想像できない恐怖に背筋が凍る思いだった。  そして、聞きなれない言葉に首を傾げた。 「本当の死?」 「ええ。肉体の死では無く、精神の死を指します」 「ユキトの精神は、地球から捨てられる【ねじれ】を一身に受けた結果、あの世界で体を持ち、魔王になったのです」 「……そんな、酷い」 「ええ、酷いですね。ですが、事故だったのです。私達が干渉する間も無く、亀裂の向こう側に落ちてしまった」 「私達の世界の、……昔の話ですね?」 「ええ。そして生まれた魔王を、同じ世界に生きる者が倒した。その時、サイクルが生まれたのです。それまでは簡易的な【ねじれ】の収容場に過ぎなかった世界に起きた変革でした。魔王は【ねじれ】を消費して復活、闇の眷属も同じく。それを、貴女方の世界の者が倒し、再び【ねじれ】を収容する事が出来る。その仕組みを、地球の【ねじれ】を処理する方法として、私達は利用する事にしたのです」 「最低だ……。本当に酷い!」  私は、彼女を睨みつけた。  だが、女神は変わらず冷淡な表情で私を見詰めていた。 「ある日、魔王の体は封印されました。その時、精神の一部が逃げ出し、割れ目から逆流して、地球へと逃げ出そうとしたのです」 「それを、私が……助けてしまったんだ」 「ええ、そして、貴女の精神に棲み付いた」  ラケシスの言葉の後、私は両手で頭を押さえた。  記憶が鮮明に蘇り始めたのだ。  そして脳裏を景色が早送りで流れていく。  あの時、ファミレスで、 「ねぇ、期末どうだった?」  と、語り掛ける先で、姿が消えていく。  誰も座っていなかったのだ。  バスの中で、 「あのおじさん、なんでじろじろ見てるんだろ?」  と、誰もいないシートに話しかける私。  公園でも、通学路でも、ユキトが居たシーンの全てから彼の姿が消えた。  一緒に乗った観覧車も、美術館も、体育館で目が合ったあの時も、彼はいなかったのだ。  そして、モノレールの切符売り場で、 「ユキト、切符は? いらないの? へんなの」  一人で車両の一番前に乗り、私は、死んだのだ。  それこそが、有り得ない【ねじれ】の作用で。 「あはは……。辛いなぁ……」  回想が途切れた瞬間、私の四肢から力が抜けていく。  私は、カウンターに掴まるように(もた)れた。 「私は、死んだ貴女から魔王を引きはがし、地球に戻すつもりでした。ですが、貴方は完全に魅入られていた。精神に魔王が絡みついていたのです。だから、一度、真っ新な状態で生まれてもらう必要があった」 「そっか、仕組んでたんだ? 異世界を選ぶように」 「そう思って頂いて結構です。実際、地球での繋がりが消えてしまえば、魔王と貴女は離れますから。後は、貴女の記憶が薄れ、精神のダメージが無くなった頃合いで地球に戻せば終わりだと思って居ましたが」 「予定が狂った?」 「ええ。まさか貴女が短命を選ぶとは思いませんでしたので」 「私に選ばせないように仕組むのは?」 「それは出来ませんし、出来てもしません」  私は、カウンターに置いた手を握って、開く。  実際、ユキトの事がどんどんと忘れていく時期は有った。  そして私は、二十六年を顧みていた。 「短命って、本当は、他にも意味があったんでしょ?」 「ええ。短命は、本来、持てる適性の数を増やすためのモノではなく、一生を凝縮して魔王を倒すために作られたのです。貴女はそれを、選んでしまった」 「鑑定で【短命】が見えなかった理由は?」 「発現していないからです。持っているだけで、条件を満たしていませんから」 「はは……、まさか……じゃあ、私は、死なないの?」 「ええ。【短命】の恩恵を受けて居ませんから。この後も、貴女は生きますよ。人も獣も息絶えた世界で、魔王と共に未来永劫ね。魔王は忘れる事なく、貴女を待っていましたから。そして、【ねじれ】を消費しなくなったこの世界は処理場としての役目を終え、夜のまますべてが静止する」 『ドンッ』  私は、思いっきりカウンターを叩いた。 「そんなの、そんな未来に! なんの意味があるの!?」  女神は微動だにしないで、平静な顔が私を見ていた。 「意味なんて関係ない。ただ、それがこの先に見える結果です」 「じゃあ! その魔王を倒す方法を! 命なんていらない!」  と、私はもう一度カウンターを叩いた。 「それを、私は答える事が出来ません」  女神は、首を静かに横へと振った。 「じゃあ、アトロポスを――」 「クロートーに会う事をお勧めします」  私の言葉はラケシスの食い気味の言葉に遮られた。 「クロートーに会う事に、一体何の意味が……」 「いいから、会えつってんだろ」  と、刹那、女神の雰囲気が変わった。 「アトロポス……」  女神は眼鏡を外し、カウンターに置いてから私の胸倉を掴んだ。 「お前の事を想う人の為に、お前のために会え、いいな?」  そう言い、アトロポスは肩を竦めて私を開放した。  私は、彼女の言に一瞬戸惑い、それから頷いた。 「分かりました。クロートーに会わせてください」  その瞬間、 「はぁ」  と、目の前の女神が大きな溜息を落とした。 「クロートー?」 「ああ、そうだよ。で、お前は、何が知りたいのさ」 「いや、会いたがってるって……」 「そんな事、誰が言ってたんだよ。まあ、いいや、とにかく、何か聞いてみなよ」 「じゃあ、魔王の倒し――」 「無いよ、そんなもん」  と、食い気味な女神に私の言葉はかき消された。  本当に腹立たしい女神だ。  私は呆れながら首を横に振り、 「じゃあ、一体、貴女は何のために?」  と、問いかけた。 「なぁ、ものは相談なんだけどさ、お前、自殺しない? 今なら多分間に合うからさ」 「え、言ってる意味が……」 「それなら、お前は助かるって言ってるんだよ。気が付けよバーカ」 「クロートー?」 「はは、本当はよう、クロ姉が一番お前の事心配してたんだぜ? 口は最悪だが、慈悲の女神だからよ」 「うるさい、お前は出て来るなよ! 今は僕の番だろ!?」 「へいへい」  と、私の前で、コロコロ雰囲気が変わる女神。  口調で誰がしゃべったかは分かったが……。 「あの、一体、どう言う事です?」  と、私の腑に落ちない気持ちは顔に出ていただろう。 「お前は、地球の子だ。異世界で取り残される必要はないって言ってるんだ。今死ねば、なんとか引き上げて地球に戻せるからさ」 「でも、それじゃ、処分場を失う事に成るんじゃ?」 「そんなもの、どうでもいいよ! お前は地球の子だ。この世界の役目を終え、早く戻るんだよっ!」  と、女神クロートーは子供のように地団駄を踏んだ。 「あの、じゃあ、赤い玉を渡そうとしたのって」 「あの時は、まだ魔王を倒して、処分場を維持できる時だったし、お前を早く戻らせたかったって言うか……」  先ほどまでの腹立たしさがすっと消えた。  私は、顎に手を当て、そして直ぐに肩を竦めていた。 「やっぱり神様ですね」 「はぁ?」 「私の為を思ってでしょうけど、命ってそんなに簡単じゃないから。大切な人も一杯居るし。でも、私を思ってだったのですね、クロートー、ありがとうございます。それと、ごめんなさい」  と、私は、今までの勘違いと、提案を断る意味を込めて深く頭を下げた。 「……戻れなくなるよ。下手したら、死ぬ事すら出来なくなる。いいのかい?」 「はい。あ、いえ、みんなが居ない世界で生きていくのは嫌だけど……」 「ああ、どうしても倒したい?」 「はい」 「どんなに困難でも?」 「はい」 「……」  沈黙が生まれた。  クロートーは私をじっと見詰めている。  そして、彼女が口を開く。 「それをすれば、お前はさ、輪廻からも外れて、完全な死を迎える事になるとしてもかい?」 「そう、なんですね。そりゃ、自分が消えてしまうのは、凄く怖い。転生できるって分かってれば、少しだけ気持ちが楽になるのも分かります。でも、天秤に乗せたなら、みんなが生きてる方が勝つかなって。私の、正直な気持ちです」 「……。そうだ、自殺して神になれよ、そしたら、次の文明でうまくやれば、この世界だって持ち直すかも知れないよ」  と、クロートーの提案に、私は首を横に振った。 「そうじゃないんですよ。今が重要なんです。だって、私、みんなの事が好きだから」  そして、私はもう一度深く頭を下げた。  すると、 「はあぁ」  と、クロートーは、今までで一番深いため息をついた。  そして彼女は、私の前に赤い玉を置いた。  平らなカウンターで、微動も無く留まる赤い玉。 「世界を鑑定して潜るんだ。そして天空に見える、割れ目にコレを使うんだ」  と、クロートーは私に向けて、指先で赤い玉を弾いた。  ビー玉よりふた回り程大きな球を、私は片手で受け止めた。  その瞬間、私の中に【短命】が発現した。  聞いていた分、ほんの少しだけショックは軽い。 「……、と言うか、世界を鑑定?」 「今のお前なら出来るよ。精神世界のお前なら空も飛べる。そして、命を圧縮してさ……ぶっ飛ばせばいい。そしたら、もう魔王は復活しない……から、お前の仲間達でも、倒せるさ」  女神が口籠りながら言った。 「でも、それじゃあ、地球との繋がりも無く成るんじゃ?」 「はん、ズズズッ。どうせ生命が滅亡したら、処理場は終わりさ、……同じ事だよ」  私は、彼女を眺めながら首を傾げ、 「泣いてるの?」  と、問い掛けた。 「は? 僕が? 冗談だろ、泣いてる訳無いじゃん。とにかくだ、お前は、命をなんだと思ってるんだよって話。肉体の死じゃなくて、精神の死は、永遠の死なんだぞ?」  と、語る女神は、私に背を向けた。  そして、後ろ姿で目を擦っているようにも見えた。 「それって神様理論ですよ。普通は肉体が終わったら、それで終わりなんです。私は、少し得しちゃったけど」 「得だって?」 「はい、転生して、沢山素敵な人達と会えたから……」  と、言葉にした瞬間、私の目から涙があふれ始めた。  覚悟なんて言葉は嫌いだ。  でも、私は覚悟を決めようと思う。  そして大好きな人を想ったら、どうしようもなく泣けてきたのだ。 「う、う、うわぁぁぁぁん」 「この場所に、時間なんて関係ないからさ、好きなだけ泣きなよ」  と、背を向けたままのクロートーは言った。  私は思いっ切り泣いた。  もう会えないと思うとまた涙があふれる。  自分が消える事も悲しかったが、それ以上に会えなくなる事が辛いと思ったのだ。  そして、私は嫌いな覚悟を決めた。  連鎖を断ち切り、大好きな人達に別れを告げよう。
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