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第99話 命
要塞の兵器が氷上の闇を砕く。
だが、闇は留まる所を知らず、要塞目掛けて猛攻を仕掛けて来ている。
火炎放射の中を、鎧の巨人が進み来る。
そして鎧が溶けて無くなるより早く、鎧の巨人を盾にして他の巨人が要塞の壁を殴った。
「二番、六番噴出孔、炎が止まりました!」
報告の声が響いてくる。
「二番、六番の上に火炎弓隊を移動! 踏ん張って!」
と、ライルが伝令を走らせた。
「もう一度私が出て、敵を要塞から引き離すわ。橋下ろして!」
と、ソニアが合図に手を挙げる瞬間、
「待ってソニア」
私は彼女を呼び止めた。
「リリィ? うん。何か作戦?」
ソニアは振り返り、首を傾げた。
私は、頷き、
「みんなも聞いて!」
と、私は声を、二階層にいる仲間全部に向けた。
戦士や騎士は一斉に屈んだ。
希望の子達も屈み、シャロンも腰を下ろした。
戦闘は依然激しく続いている最中、
「これは、必勝の予言です」
と、私が告げると、辺りが騒めいた。
私は、直ぐに手を挙げて制して、
「魔王は倒しても復活します。闇も、根本を絶たなければ同じでしょう」
みんなを見渡した。
巨人の猛攻に、また要塞が揺れた。
だが、その場の全員は、私の声に耳を傾けている。
「今から、私が、その根本を断ちに行きます。合図をしたら、皆さんは百数えて、最後の戦いを始めてください。本当にこれが最後なんです。そして、真魔王は倒れ、真魔大災害は終わりを告げるでしょう」
と、私は尤もらしい言葉を並べる。
すると、戦場の喧騒が響く中、静まった二階層の中で体の大きな戦士が手を挙げた。
「陛下、我々は勝てるのでしょうか?」
大きな体の戦士が漏らした不安げな言葉に、私は微笑みを向け、
「もちろんです。予言には、我々の大勝利が見えました」
と、自信たっぷりに告げると、戦士の顔は喜びに破顔した。
「指揮は、ヴァルコ。希望の子達のみんなもお願いします。それと、合図の前に、非戦闘員を要塞上層に上げ、合図の後に、正門も裏門も開放して、魔獣に道を開けてください。その後は、二階層に上がる階段を封鎖」
「陛下は、何処へ行かれるのですか?」
と、問い掛けて来たのはライルだった。
「準備をするために、屋上に行きます。暫くは降りてこないと思いますが、よろしくお願いします」
そして、一斉に戦闘の準備が始まり、伝令が動き出した。
「シャロンも、お願いね」
と、私は、屈み純白の毛並みを抱き締める。
彼女は分かっているのだろう、私の耳元で、
「クゥゥン」
と、小さく鳴いていた。
「ありがとう」
小さく呟き、私は立ち上がった。
私は、早々に階段へと向かった。
窓の外では、真魔王の黒が剥げ落ち続けている。
もう殆どユキトの姿を取り戻していた。
本当は、みんなに一言ずつ感謝でも伝えたかったが、時間もあまりない。
それに言葉を交わしたら、別れが辛くて、歩みを止めてしまうだろう。
だから、私はそのまま何も言わずに階段を上がり始めた。
表情を笑顔で固め、私の人生で最高のポーカーフェイス。
すると階段をゆっくり上がる私の背後に、ライルが追いかけて来た。
そう言えば、騙せない人が一人だけ居たっけ。
「黙っててくれて、ありがとう」
私は階段を上がりながら、背後の彼に告げた。
「私は、君が好きなんだ。だから、いや、だからじゃないな。なんていうか、その、……君の背負った物を、一緒に背負いたかったんだ」
「ふふ、分かってないな。それじゃぁ私が辛いんだよ? でも、ありがとうね」
私が階段を上がる速度と同じ速さで、ライルの足音も響いている。
「それは、やっぱり覚悟なんだね? 君は……」
「それが分かるなら、もう来ないでよ!」
私は、背を向けたまま思いっ切り叫んでいた。
そして、私が再び階段を昇り始めると、彼の足音は止まっていた。
それでいいのだ。
ライルも私もきっと辛くなるだけだから。
数段上がり、途中の踊り場に差し掛かった瞬間、
「僕なら止まらない!!」
と、駆け上がって来る足音が私に迫った。
その気配はライルを追い越し、まっすぐ私を背中から抱きしめた。
力強い腕が私の体を強く押さえ付けている。
「エルフィン……。ダメだよ、あんまり時間がないんだ」
「じゃあ、僕も一緒に行くよ」
「もう、我儘言わないで? あ、そうだ、待っててくれるなら、今、ご褒美にキスしてあげるよ」
「僕は、別れのキスなら、絶対いらない」
もう一人、騙せない人が居たらしい。
提案も不発に終わり、恥かしさだけが残って顔が熱い。
私のポーカーフェースは、自分が思って居るほど出来てなかったのだろうか。
「時間がないって言ったでしょ? お願い行かせて?」
「一緒に行く」
譲らない彼の手は力強い。
私は、仕方なく頷き、
「分かったよ。屋上、一緒に来て?」
と、言った所で、エルフィンの手が緩んだ。
そして私は、彼の囲みから抜け出した。
「くそくそくそ!!」
と、ライルの声だった。
「ライル、どうしたの?」
「なんて、私は意気地なしなんだ! 分かった振りして、足を止めてしまった。ごめん、今の無しだ。エルフィンの真似じゃないよ! 私もついて行く!」
と、エルフィンにライルが並んだ。
「分かったから、二人とも来て?」
と、私はどうしようもなく優しい駄々っ子たちを連れて、再び階段を上り始めた。
最上階を抜け、屋上に差し掛かると、雪が降りだしていた。
吐く息は何時に無く白く、凍てつく空気が頬を刺した。
極寒が度を越している。
「伝令準備。合図したら各所に始まりを告げてください」
と、私はエルフィンとライルに見守られながら見張りの騎士に告げた。
「リリィ、何をするにせよ。諦めるのだけはやめてほしいんだ。今までだって、君は奇跡を起こして来たんだから」
と、ライルが言った。
「絶対戻って来て、僕は待ってるから」
エルフィンは、何度も頷いて言った。
死ぬ瞬間を見せたくないと言う気持ちは、マイノリティだろうか。
私はそんな事を考えながら、二人を眺めた。
そして、覚悟は決めた。
だが、諦めた訳じゃないから、これは嘘じゃないと自分にでっちあげる。
私は、二人に、微笑んでから頷いた。
これから、私は世界を鑑定する。
それが、私の終了の始まりなのだ。
私は、手を挙げる。
「伝令、合図を!」
と、言い残し、私は世界へと潜って行った。
そこは、森林地帯だった。
青々とした美しい森林地帯をキラキラとした清流が流れている。
馬に似た動物は、美しい毛並みを靡かせ走って行く。
鳥は囀り、花々の上を蝶が飛んでいた。
その世界に、人間の気配はまだ無かった。
上空では、凄い勢いで、月と太陽が入れ替わる。
それと同じく、地上の風景も流れる様に変わって行く。
時間がどんどん流れていく。
程なく、初めて人を見かけた。
動物の毛皮を着た女性だ。
この辺りで、時間の流れが少しだけ緩やかになった。
女性は、小川で水を汲んで去って行く。
それから女性は何度も水を汲みに来た。
女性は次第に歳を取っていく。
気が付けば、違う人物が水を汲みに来るようになり、身なりも変わっていた。
この世界がすごい勢いで進んでいる。
どれだけでも眺めて居られそうだったが、ここで止め、私は地面を蹴って空に上がった。
そして、上空から見えるその世界は、途轍もなく美しい世界だった。
青い空に白い入道雲が広がったり、雨雲が雨粒を大地に落とした。
虹が掛かり、鳥がアーチを追いかけている。
と、その時だった。
『バリバリバリ』
と、天が、薄氷でも割る様な音を響かせて割れた。
そこから黒い粒が降り始める。
【ねじれ】を、この世界に捨て始めたのだ。
そして、割れ目から落ちる人影が見えた。
私は、それを追って飛んだ。
「嫌だ、助けてよ!」
青年と呼ぶにはまだ若い。
あれが、ユキトだ。
私は、一瞬で鳥に成ってユキトに近寄った。
そして落ちて来るユキトと並んで飛びながら、人の姿に戻って手を伸ばした。
ユキトも私に手を伸ばす。
そして二人の手が、重なる瞬間、手はすり抜けた。
恐怖と憎悪が【ねじれ】となってユキトから噴き出した。
そして、助けられないまま、ユキトは地表に接近。
私は目を反らしていた。
「うわぁあああぁぁぁ」
それはユキトの咆哮だった。
既に衝突したはずのユキトが吠えているのだ。
そこで、私は初めて目を向けた。
すると、黒が降り注ぎユキトの有った場所を埋め尽くしていた。
有り得ない事を、【ねじれ】が起こすなら、彼も被害者だったのだろう。
黒を纏った彼が立ち上がると、禍々しい空気が辺りを包んで行った。
それからまた世界が高速で動き始めた。
魔王となったユキトは、獣の群れに倒された。
そして、しばらくして復活した魔王が、人に滅ぼされた。
次の魔王が現れると、世界の半分までを闇に染めたが、現れた人間の集団に倒された。
そして、土を使う魔獣が、魔王を石像にして封印していた。
すると、封印された石像から何か黒い影が抜けだし、天へと割れ目へと向かって行く。
それからしばらくして、魔王は氷の大地で復活すると、闇の軍勢と、魔獣の戦いになった……。そして、現れたコビーの命と引き換えに、氷漬けとなって海に沈んで行った。
また暫くが経ち、パパの、オウロの命と引き換えに、魔王は再び倒された。
私は、初めて魔王が可哀想に思えた。
ユキトは、魔王は、復活する度、繰り返し倒されて来たのだ。
憐れむべきではないのかも知れない。
だが、彼はただ知らずに割れ目から落ちて、この悲惨な悪夢を繰り返しているのだ。
そして時は流れ、夜が次第に長くなった。
真魔大災害が始まったのだ。
景色が現在に近く成って行く。
そして、気が付けば私の足下には岬が有った。
景色の移り変わりが、時間の流れが、さらに緩やかになった。
眼下では高速で船が出て行き、そして帰って来る。
それを十数回見下ろしていると、崖が崩れ石像が現れた。
そうか、この場所は、魔王が石に封印された場所だったのだ。
直ぐに、人が要塞を作り始めた。
突然、海が倍速で凍って行き、闇の軍勢が現れ、戦いが始まった。
そして、シャロンを先頭に、此処でも魔王は数度倒される。
時間が現在に追いついたのだ。
本来の姿に戻りつつある真魔王。
見上げれば青い月の横に、ぱっくりと割れ目が広がっている。
私は、要塞を見下ろし、
「みんな、さようなら」
と、声を零してから、上空を目指した。
涙で目が霞む。
もうすぐお別れだ。
と、その時だった。
「待ちなさい、リリィ」
と、この世界で呼び止められたのだ。
私は、足下に視線を向けた。
その声は、やはりミラだった。
「ミラ、どうして?」
「置いて行くのは許さないって言ったのだけれど?」
「そうだけど……」
「いいわ。一緒に行きましょ?」
「でも……」
「でも、何かしら? もう、かえって来れなくなるって、そう言いたいのかしら? それでもいいのよ。私は、お前と一緒に行くの。たとえ、それが終わりだとしてもね」
「ミラ……」
「それに、もう帰れないし、お前の居ない世界に興味なんて無いのだから」
と、ミラは、私の手を右手で握った。
「その手……」
「だって、一本では、お前を抱き締めるには足りないから」
「むちゃくちゃだよ」
「それをお前が言うの?」
「ぷっ、あはは」
「ふふ」
何故か笑いが込み上げて来て、私達は顔を見合わせて笑っていた。
そして、二人で手を繋ぎ、割れ目の近くまで一気に飛んだ。
そして要塞を遥かに見下ろしながら、思い出の品々に触れた。
「ママのペンダントでしょ」
「コビーの思い出でもあったわね」
「うん。それと、篭手と装甲靴」
「職人たちと、聖獣の力ね」
「だね。で、オジさんのをエルフィンに直してもらった思い出の剣」
「独特な形よね。リリィに似合ってたわ」
「えへ、ありがとう。そして、モユルさんに貰ったブローチ」
「結局、そのブローチの花の名前、何だったのかしら?」
「ああ、調べて無かったね。あとはソニアのリボン」
「彼女なら、私達が居なくてもきっと大丈夫ね」
「うん、そうだね。彼女ならきっといい王様になるよ。でも、ミラ、本当にいいの?」
「何が?」
「死んじゃうんだよ?」
「私は、お前と生きるために生まれたの。死ぬ時も一緒でいいでしょ?」
「ミラ……」
「じゃあ、行くよ」
「ええ、行きましょ」
私はミラと身を寄せ合い、手を貝殻繋ぎで合わせた。
そして、赤い玉を右手で握り、割れ目へと突き出した。
これで、本当にさようならだ。
私は大好きなミラを突き放す事が出来なかった。
だから、二人で逝く事にした。
「仮にね、生き残れたらどうする?」
「え?」
「仮によ」
「分かんないけど、考えたいかな」
「考えたい?」
「これからする事を、一杯考えたいって事」
「変なの」
そして、赤い玉の右手に、力を込めた。
と、その時だった。
「僕も付き合うよ」
と、私の右手に手が重なった。
そこには、金髪の美青年がいた。
「シューゴ……」
すると、ミラは微笑んだ。
「あら、察して来たのかしら?」
「まあね?」
「いけ好かない奴だったけど、許してあげるわ」
と、ミラは微笑んだまま頷いたのだ。
「シューゴ、あの、どうして?」
と、私が恐る恐る問いかけると、彼は肩を竦めながら、置いた手とは逆の手を持ち上げた。
「母さんの形見だったからね」
「それって……」
と、その手には見た事のある指輪が嵌っていた。
「借りを返したかっただけさ」
「あの、でも、一体、二人とも何を言ってるの?」
と、私が首を傾げたその時だった。
「どれ、間に合ったのう」
と、皺の多い手が私の手に重なった。
「ルクルカお婆さん……、どうして?」
「リリィ。私にも手伝わせて?」
「ああ、俺にもな」
と、私の顔を覗き込みながら、ママが手を振り、パパが笑った。
そして、私の背後に回り、二人の手が私の肩に乗った。
「リリィ、言っただろ? 俺たちは何時だってお前の後ろに居るってな」
「オジさん……」
「そうよ。リリィ。ずっと見て来たんだから」
「アネッタさん……」
オジさんとアネッタさんは、私の前を通りすぎた。
そして私の背後に回って、パパとママに並んで、私に触れた。
「お父様、これが私の大切なリリィよ」
「お初にお目にかかります。ミラの父です」
と、ミラの傍らに石工らしい逞しい男性が立った。
「あ、ミラのお父様……。でも、これって一体どういう……」
と、懐かしい顔ぶれと縁者に、私は嬉しさと困惑が入り混じっていた。
「あら、分からないかしら?」
と、聞いたことのある声の主が、白い髪を揺らして私の前に立った。
「コビー……」
「これは、お初と言うのかしら? 貴女の事よく知ってるけれど」
夢の中で会った女性が、あのか細くて優しい彼女が、私に向かって微笑んでいる。
「コビー、あの、元気そうで……。というか、其れより、一体どういう事なんですか?」
「死人に元気も無いけれど、ほら、後ろを見て?」
「後ろ?」
と、私が振り返ると、そこには視界を埋め尽くすほどの人がいた。
「こ、これは……?」
人だけでは無い。
雷角大鹿や、魔獣達までがいた。
門番さんや、ハンスや、関所の衛兵さんもいる。
王母様や、本屋の店主さん。
ギルドの街のみんなまでいる。
「かつて私は、肉体を燃やしたけれど、貴女は精神を燃やそうとしている。それってね、凄い事だけど、貴女だけが背負う必要はないの。この世界のみんなで背負いましょ?」
と、コビーが笑った。
「そうそう。そして分け合って、みんなで補い合えば?」
と、オジさんの背後から、ブルーこと、ブレスト・ハークが顔を覗かせた。
「ブルーまで……」
私は、胸の奥から込み上げてくる気持ちを抑え、一杯に広がった命の一つ一つを眺めた。
「今、この世界の全ての生命が、君の味方だよ。そして、みんなで少しずつ背負って、みんなが少しずつ精神を消費する。だから、君は、これからを生きて?」
と、シューゴが笑った。
「さぁ、リリィ、やりましょう」
ミラも微笑んだ。
「さぁ、リリィ」「リリィ!」「リリィ!」「リリィ!」
コビーが、ブルーが、パパとママが、オジさんや、アネッタさんが。
「ガオゥ」「グルゥ」
魔獣達も鳴いている。
「「リリィ!」」
そして、みんなが私の名を呼んだ。
それは声なのか、心なのか、
『生きて』
と、私の体にも、心にも、響いていた。
その時、右手の玉が弾けた。
『カッ』
世界は、眩いほどの光に包まれる。
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