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第01話 【短命】を選んだ私
初恋は実らない。
テレビドラマの中や漫画や、あるいは小説の中で何度も聞いたセリフ。
現実でも聞いた。
今日、初恋の彼と初めてのデート。
私は彼の手を強く握る。
私の好きな物語の主人公は、最後には初恋の人と結ばれた。
何にだって例外はあるんだ。
だから私だって、この恋を実らせたいんだ。
『ドォォン』
何処かで凄く大きな音が聞こえた。
私……何してたんだっけ?
辺りは、ただ暗くて……。
ふわって、浮遊感が有って。
瞬きを繰り返していたら、徐々に明るくなってきて……。
「――統計では、約二割の男女が初恋で結ばれていると言われていますが、心理学的に言えば、其れは思い込みの産物であるそうです。実際、人が初めて恋をするのは幼少期。その曖昧な記憶領域の情報は一時保留され、思春期の恋を脳が都合よく『これは初恋だったんだ』と置き換えてしまう。言い換えれば結婚までのプロセスを美化した結果の産物という事に他なりません」
直ぐ近くから、すらすらと早口で喋る声が聞こえて来た。
いつの間にか、目の前には大きな黒いカウンターがあって、その向こう側には長い黒髪の女性が背中を向けて立っている。
その向こうには大きくて立派な本棚があって、その女性はギッシリ詰まった本棚から探し物をしている様子だった。
「あ、あの?」
私は、その女性に控えめに声をかけたけれど、女性は背を向けたままだった。
女性は、すーっと息継をして、
「幼少期における好きになる人物は、大抵の場合、既に結ばれる可能性の少ない人物が多い。幼稚園の教諭であったり、近所の成人異性であったり。なんだったら同性の場合だってある。この事から言えるのは、可能性はゼロではありませんが、初恋が実る可能性は限りなく低いと言えますね」
と、また早口で言った。
「あの!」
私は言葉の区切りを狙って、少しだけ強く声を投げた。
すると女性は振り返り、白いブラウスと袖カバーの位置を直してから、私に眼鏡越しの視線を向ける。
「あぁ、失礼しました。戸松百合恵さんでよろしいですね?」
「え、はい。あの、そうですけど、此処は何処でしょうか」
私は、恐る恐る問いかけた。すると、女性は、
「現状確認ですね。分かりました」
と、本棚から迷わず薄い本を一冊手に取り、開いて文字を指でなぞった。
「戸松百合恵さん。高校二年生、十七歳、文学部。成績は学年では10位以内。中学の頃からの同級生、桐谷幸人さんと恋愛に発展。その後、初のデートで観光地のモノレール衝突事故に遭い、そのまま即死されました。そして此処は死後の世界です」
女性の言葉に、何故そんな事まで知っているのだろう? と思ったけど、それどころじゃ無かった。
「死っ、え、あの、じゃあ、幸人は?」
「隣にいらっしゃいますよ。たまにいるんですよ、二人で来てしまう方々。で、桐谷幸人さんには、既に現状をお話ししてあります」
女性が手のひらで指し示すと……、あれ。
私よりほんの少しだけ背の高い、外側に跳ねるような癖っ毛の幸人は、隣で私と手を繫いでいた。
幸人は妙に真顔だった。
多分死んだ事もだけど、突然私が隣に居た事にも驚いたから、感情が追い付いて無いっていうか、こんな経験したことないから……。
幸人は私の顔を見て、それから握った手を見て、
「百合恵……」
と、私の名前を呼んでくれた。
私は、離さないよう幸人の手をぎゅっと握る。
でも、何故だろう、手に、触れた皮膚に、妙な違和感を感じた。
「貴方方の死因は、粗あり得ません。モノレールの衝突事故自体も有り得ないのに、収容人数120名の車両に、乗客は僅か二人。平均42名の乗客が乗るモノレールに僅か二人ですよ? そしてその二人が即死。この確率は、おおよそ高額ジャンボ宝くじが一枚かっただけで当たる確率よりも遥かに低い計算となります。ちなみに、宝くじは二千万分の一です。今回は億万分の一以下。何かのはずみで、運命がねじ曲がったのかも知れません。まぁ、お互い見詰め合っていたせいで、死んだことも気が付かなかったご様子ですが、苦しまなかった事は幸いでしょう」
また女性は早口で言うと、私に視線を合わせたまま、何か言うのを待っている様子だった。
「あの、私達は、一体どうなるのでしょうか?」
私の中に生まれた当然の疑問。
すると、女性は一度頷いた。
「勿論、これから転生処理がなされます。それに際し、貴方方には特殊な事案として、特典が与えられます」
幸人は、どう思っているんだろう?
そんな事を気にしながら私は問いかける。
「特典……ですか?」
「ええ。特典として、貴方方の望む形に添って転生処理を行います。地球で、新たな人生を幸せに暮らすと良いでしょう」
「新たな人生って、あの、記憶はどうなるのですか?」
と、疑問を投げる私は、幸人の手をさらに強く握っていた。
「百合恵?」
幸人も、私を心配している様子だけど……。
「当然リセットされます」
女性は、眼鏡をクイっと持ち上げて言った。
せっかく始まったばかりの恋なのに。だから、私は力いっぱい言った。
「嫌です!!」
「百合恵……」
と、幸人も私の手を強く握り返してきた。
「ふむ。貴女は、記憶を引き継いだまま転生したいと、そう言う事ですね?」
女性は、あからさまに呆れたような表情で言った。
私は自分の胸に片手を当てて、
「絶対、幸人と幸せになりたいんです!!」
って、女性に叫んでいた。
「解りました。その場合、地球では生まれる事が出来ませんが、よろしいですね?」
「え、そう……なんですか?」
「当然でしょう? 記憶を持って、同じ世界に生まれれば、どれほどの弊害が出るのかお分かりになりますか? いろいろを加味しても、地球はそう言った事象に不向きですので」
女性の言った事も何となく分る。
多分、現代の日本だったら、それは精神病かオカルトの類で、私でも変に思う。
私が、幸人の顔を見詰めると、頷いてくれた。
幸人だって気持ちはきっと同じはずだから。私は、女性に向かい、
「それで構いません。違う世界に、記憶を持って生まれたいです」
女性は、私と幸人を順に見て、
「解りました。手続きは個別になりますので、今生ではお別れとなります。記憶を引き継げば、来世でまた会えるかもしれませんが、きちっと別れをする事をお勧めしま――」
女性の言葉が言い終わる前に、私は、思いっきり幸人を抱きしめていた。
「初めてのハグがこんな場所で、……ごめんね」
「百合恵……」
「あは、幸人、私の名前呼んでばっかりだね。でも、嬉しい。大好きだよ。また会おうね」
私もだけど、幸人も震えていた。
死んだからなのかな、やっぱり不思議な感覚がぬぐえないけど。
私達は、そのまま暫く抱き合った。
はずなのに、……気が付くと幸人はいなくなっていた。
この腕で、しっかり抱きしめていたはずなのに……。
「桐谷幸人さんは、手続きに行かれましたよ。では、此方も始めましょうか」
と、女性が指差す先に、丸テーブルと椅子が現れた。
「そう、……なんですね」
温もりが消えた不安。
この感覚は、嘘じゃない。だから、また会える。
そう自分に言い聞かせる。
改めて見渡すと、ここは不思議な空間だった。
カウンターと本棚。そしていつの間にか現れたテーブルセットしかない。
あとは床なのか地面なのか分からないけど真っ白で、空もずっと遠くまで白くて。
「どうか、なさいましたか?」
気が付けば、女性が首を傾げながら椅子を指し示している。
「あ、すいません」
私は、余所見を止め、急ぎ気味で椅子に座った。
それから女性は丸テーブルの上に、大きくて茶色い表紙の本を広げた。
「記憶を引き継ぐのなら、これから行く世界の情勢を知っておくが良いでしょう。本来なら記憶の引継ぎもお勧めしませんが」
「そうなんですね。あの今更かもしれませんけど、貴女の事なんてお呼びしたら?」
私は本を一度見て、それから女性を見上げて言った。
よく見れば眼鏡の向こうには凄く澄んだ青い瞳が有って、顔だちもすごく綺麗で、そんな女性が私に視線を合わせて小さく頷く。
「あぁ、あまり問われる事が無いので、名乗るのを忘れてました。私の名は、ラケシス」
今更だけど声も美しくて、凛と紡がれた名前。
私は、その名前に聞き覚えがあった。
「え、あ、女神さまだったのですね」
「私の名をご存知なのですね」
「はい、あの、文学部でも、そう言うお話は好きで、良くしてました」
ラケシスとは、ギリシャ神話の登場する運命の三女神の一柱だ。
そしてラケシスは、運命を割り当てる女神と言われている。
「まぁ、この状況が、かなりレアなケースだとは理解してくださいね」
と、ラケシスは白くて細い指先で本を差した。
私は頷いて、その本に目を通す。
「あ、魔法とか魔物がいる世界なんだ。あの、ラケシス様?」
「敬称は不要ですよ。で、なんでしょう?」
「はい、あの、何か特別なスキルだとか、頂けるんですか?」
「何故?」
「何故って、あの、可哀想だから、特別にとか」
少し、打算はあった。
特別なケースだと何度も言われ、ひょっとしたらと期待する。
「なるほど、しかし、可哀想というなら、紛争地帯の流れ弾で死んだ花売り少女の方が可哀想だと思いますが?」
「それは……うん、そうですけど……」
「死とは、平等なのです。死に方で哀れみ、来世を優位にしたなら、品行方正に天寿を全うした人は、不幸になるのですか? 違うでしょう? 勘違いしてはいけません。幸せになるかどうかは、貴女の行動次第なのです」
全くもってラケシスの言う通りだ。
「……ごめんなさい」
ぐうの音も出ない。私は素直に頭を下げる。
すると、ラケシスは私の肩をとんとんとノックした。
私は、頭を上げてラキシスの顔を見ると、彼女は人差し指を立てる。
「しかし、事実、運命がねじ曲がって死んだ可能性は否定できません。ですから、選ぶ権利は差し上げましょう」
「選ぶ権利……ですか?」
それから、私の前にもう一冊、手帳サイズの黒い本が置かれた。
「あの、これは?」
私が問い掛けると、ラケシスは、まずは読めと言わんばかりに、その本を手のひらで指し示した。
だから私は、本を手に取って開く。
その本の中は、ページの色が白と黒に分かれていた。
「白いページに記された付与可能なステータスがポジティブ。黒いページがネガティブ。黒いページのステータスを選べば、貴女の人生にマイナス要素として付与されます。ですので、帳尻合わせにマイナス要素の分だけ、貴女に白いページのポジティブステータスを与えましょう。よく考えるのです。そして、記憶の引継ぎも、本当に良いのか考えるのです」
ラケシスは、教科書を読む生徒に教える教師みたいに説明してくれた。
よく見ると、黒いページのステータスの後ろには、1から10までの数字が振ってある。
これは、多い数字を選べば、その数だけポジティブステータスを選べるんだって、直ぐに分かった。
それと、気になった事を聞いて見る。
「あの記憶の引継ぎの、何が一体ダメなんですか?」
ラケシスは、眼鏡レンズの向こうから、じっと私を見詰める。
「貴女は、平和な日本の価値観を持ったまま、生きるのも厳しい世界に行くのですよ? この意味をよく考えて下さい」
私にはラケシスの言った意味が理解できなかった。
言葉の意味は分かるけど、それがどれほど重要な事なんだろう?
それから、私は暫く本を眺め、
「ラケシス、私は、このネガティブステータスを選びます」
と、ページを指差し、ラケシスの顔を見上げた。
ラケシスは、息を吸うと、はぁ、と深いため息をついた。
「本気ですか?」
「はい、あの、幸人を幸せにしたいから、多く得られた方が良いかなって……」
私は、【短命】というステータスを指差している。後ろの数字は10。
ラケシスは、呆れたように小さく首を横に振る。
「普通に暮らしても死ぬかもしれない世界で、運よく生き残れても27歳で死ぬのですよ? 良いですか? 多くのステータスを得ても、其れを伸ばす前に死ぬかもしれないのですよ?」
「でも、これでいいんです。私、よぼよぼになってまで、生きたいと思わないし」
「……そうですか、分かりました」
と、頷くラケシスの表情は、どこか悲し気に見えた。
なぜ、そんな悲しそうな顔をするのだろう?
ラケシスの表情の意味は分からなかったけど、私は【短命】を選んだことで、ポジティブなステータスを十個も持つ事が出来る。
剣術適性と体術適性と魔法適性と鑑定力と、白いページから選んでいく。
後は何を選ぼうか? 悩んでいると、ラケシスはカウンターに戻って、
「向こうに行ってから選んでも構いませんよ。その時は、私を呼べばいい。どうせ、十個は持て余すと思いますが。あぁ、それと、これから行く世界は、地球と同じ時間を用いています。27回目の誕生日を迎えると命が尽きますので、ゆめゆめ忘れる事の無きよう」
と、言いながら、ラケシスはカウンターで薄い本を閉じた。
その瞬間に、なんだか意識が遠のいていく。
あぁ、私、転生するんだ。
朦朧とする意識の中、視界の端に映るラケシスは、
「愚かな……」
と、小さな声で言った気がした。
どう言う意味だろう? なんて考える間は無かった。
そして、疲れ果てて眠る様に、私、戸松百合恵の人生は終わった。
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