アンジェラの森

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 辛うじて残っている“道”らしきものをそろそろと歩きながら、足元を注意深く観察した。今は初夏だが、この森は常緑樹ばかりなのか冬であっても葉が落ちているのを見たことがない。そのせいか地面はどこか湿ってぬかるんでおり、歩くたびにずるずるとスニーカーが滑りそうになって少しだけ焦った。  聞こえるのは葉擦れの音と、靴が小枝を踏みしめる音、私と彼の息遣いばかり。まだ辛うじて夕陽が差し込んできているので真っ暗ではないが、夜になったら歩くのもままならなくなるだろうことは予想できた。帰りたいのなら、早めに探索を終える必要があるだろう。夕陽でさえこの程度しか足元に射さないのに、果たして頼りない月明かりだけで視界を確保することができるかどうか。 「うーん、うーん」  キラキラしているもの、をひたすら探す、探す。しかし、彼が言う“自分の家への帰り道”をいくら歩き続けても、それらしいものが落ちている様子はなかった。 「見つからねえなあ。落としたんじゃないのかなあ」 「落としたんじゃないってどういうこと?」 「いやあ、オイラは非常に忘れっぽいからな。ひょっとしたら、家に置きっぱなしで忘れただけかもしれねえ。確認しに戻ってもいいか?」 「いいよ」  私があっさり言うと、彼は少しだけ呆れたような顔をした。 「お前さん、もう少し人を疑うってことを覚えた方がいいぞ?この真っ暗な森が恐ろしくはないのか?」  意外だった。その森に棲んでいるであろう少年に、そのようなことを言われようとは。 「怖くないよ。もっと怖いものを知ってるから」 「もっと怖いもの?」 「うん」  私はじっと自分の手を見る。肌荒れして、茶色の痣が浮き上がる、お世辞にも綺麗とは呼べない手を。  先ほど彼が、躊躇いなく握ってくれた手を。 「私は、人間が一番怖いから。それに比べたら、あなたは全然怖くない」  一体彼は、何を思ったのだろう。そうか、とそれだけを呟くと――私の手を再び引っ張ったのだった。  彼は知らないだろう。そんなありきたりな所作が、どれほど私の心を震わせるかなんてことは。 「家に案内するよ、来てくれや」  そして私は、彼が住んでいるという、あばら家のような家に辿りついたのである。
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