救急隊員との会話

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救急隊員との会話

#3  救急車の中は、幼い頃、働く車図鑑で見ていたが、想像していたよりずっと狭い。というより、必要なものが効率的に配置されているという印象だ。  さまざまな機器のひとつひとつを。これはなんですかと聞きたい衝動にかられたが、さすがにそれははばかられた。僕は急病人なのだ。    腕には、救急車に乗った時からずっと血圧計が巻かれている。一定間隔で膨らんではしぼみ、膨らんではしぼむを繰り返し、その都度に血圧の上下と脈拍を隊員がチャックしているようだ。血圧の上昇は心筋梗塞の進行と深く関係があるからだろう。  寝たままの姿勢で、隊員に聞く。 「ひょっとして、僕、死ぬかもですか」  不安がそう言わせた。 「大丈夫ですよ、すぐに着きますから」 「何分ですか」 「そうですね、10分ですかね。でもよかったですよ、1ヶ月前ならタライ回しになっているところです。内科的な病気の救急車の出動も1週間ぶりです」 「内科的・・・」 「ケガ人はいるので」  最近の報道番組のメインテーマは世界のコロナの終焉だ。せっかくだから、このチャンスにどうしても聞いてみたいことがあった。 「コロナの終息と同時に、病気が、つまり、患者が急激に減少しているとニュースが流れてますけど、ほんとですか」  1秒、2秒。  2秒以上返事がない場合、相手は少し困っているんだということを、小学生の時に学んだ。  数字はわかりやすい。曖昧じゃない。 「・・・そうですね。救急隊員になって15年になりますけど、こんなこと初めてです。病気による出動ゼロなんて」 「ゼロ?」 「ええ、この1ヶ月間。出動があるのはケガだけですね、いまは」  2025年。    最終変異ともいわれた新型コロナのパンデミック、通称devil Kobitto25。  人類は崩壊するとまで言われたのは、つい3か月前のことだった。  ところが、ある日を境にまるで嘘のようにコロナは消えていき、日本のみならず、瞬く間に各国で0人となった。  それはまるで、コロナを洗浄する雨が世界中に降り注いだような感じだった。  医師も科学者も専門家も、さまざまな要因をコメントしていたが、どれも説得力に欠けるものばかりだった。  6年にわたる世界を苦しめたコロナの時代は、あっけなく終わってしまったのだ。  ところが、だ。  世界の転換期は、それだけでは終わらずにいる。  かつて誰も想像もし得なかった未来へ人類を導こうとしていた。 「今日は車が少なくてよかった」  隊員の言葉に、僕は答える。 「132台とすれ違いました」 「ハハハ、まぁ、それくらいですかね」  隊員は笑ったが、それくらい、ではない。  正確に、132台とすれ違ったから132台と答えたのに。  窓の外は見えない。だけど救急車が出てから、すれ違う車の走行音を車両別に頭の片隅でカウントしてきたから、間違いはない。  乗用車115台、トラック12台、特殊車両3台。そのほかバイク2台。1台のバイクは空気圧がわずかに足りていなかった。    僕の聴覚は小さな頃から特殊だった。  幼稚園の時、絶対音階があるとも言われたが、家にピアノはなかったし、ピアニストを目指してもいなかったから、意味はなかった。すべての音が音階で聞こえてしまうのは、慣れるまではわずらわしかった。    隊員が座っているだろう右上方向に少しだけ顔を向ける。 「心筋梗塞の死亡率って何%ですか」  顔はまったく見えなかったが、足元の方にいるだろうもうひとつの救急隊員と顔を見合わせ、それから僕に視線を戻すのがわかった。 「そういうことに関しては、ドクターに聞いてもらっていいですか。ただ、古いデータですけど、入院の死亡率は世界で4番目ですね」 「1位はメキシコ、ラトビア、シンガポール、そして日本。2019年のデータ」 「ああ、そうだったですかね、よく知っていますねぇ」 「たまたま知っていました」 「たまたま知っていることなんですか。へえ」    頭の中のファイルには、過去に目にしたすべての記憶が収まっている。おそらく医療に関するデータは、小学校の高学年の頃、人間の体の構造に関心を持っていたから、父が持っていた専門書を読んで記憶したものだろう。  心筋梗塞は、日本での死亡率はガンに次いで2番目だが、世界では未だ、死亡率1位だ。 「いいですか」    僕には聞きたいことがまだまだある。 「どうぞ」 「救急車の中で亡くなる人の確率って何%ですか」  救急車の中の空気が固くなった気がした。空気が硬くなる。物理的な意味じゃない。感覚の話。 「気になりますか」 「気になるというか・・・」 「そんなに多くはないです」 「データで証明してくれますか」 「データ・・・」  数字のデータで示されないとピンと来ないのは小さな頃からだった。  データの質問をすると相手によっては不機嫌になることもよくあった。特に教師がそうだった。  そんことは今は知らなくていいとか、何も言わずに冷たい視線を向けられたこともある。知らないなら知らないと言ってくれればよかったのに。  低学年の頃、クラスでの僕は明らかに浮いていた。発言もそうだし、行動も他の子と違っていた。僕は自分が興味あることだけをしていたかったけれど、学校はそういう場ではなかった。  日本では、皆が等しく学び、行動し、規格化された商品を製造するような教育が重んじられている。  目立っちゃいけない。浮いていてもいけない。横並びしてどんぐりの背比べをすることが正しかった。  母からは、どこにでもいる子供として振舞うようにと言われてきた。  それはある意味において正しかったのかもしれない。  僕の心はいつも、虚しかったけれど。  隊員は僕の質問に、ちょっと困ったような顔をしてから、口を開く。 「データではちょっと・・・。でも、かなり少ないですよ。コロナ禍の時期を除けばですけど」  かなり、だいぶ、だいたい、おおかた、なんとなく、一般的に、普通は、約・・・そんな曖昧なものはデータじゃない。正確なデータだけが、僕には意味を持つ。    隊員の声のトーンが変わった。  音階的には、2音分上がった。 「しばらく学校を休むことになりますね。受験生ですよね」 「そうなりますね」 「勉強の遅れ、気になりますよね」  まったく気にならないというのが、正直な答えだった。  高校で学ぶ学習過程は、小学校の低学年の頃にはすでに終わっていた。  だから普段の授業は退屈でつまらなかった。  教師の話しを聞いているふりをして、頭の中では、ミレニアム懸賞問題を解いたりしていた。ミレニアム懸賞問題とは、100万ドルの懸賞がかけられている7つの数学の難問だ。  ポアンカレ予想については僕も小学校の頃に解いたが、すでにグレゴリー・ベレルマンという人によって証明されていると聞き、ちょっとショックだったことを覚えている。    数学の難問を考えていると、まるで別の惑星にひとりいるような感覚になる。授業から遥か遠く、数字の宇宙を旅している時、ふいに教師に質問され、おかしなことを口走ってしまうこともよくあった。  変な奴とみんなが思うのは、当然だ。  普通を装って来たけれど、僕はやはり変なやつなのだ。  人に合わせることなく好きに生きたいと思ったことは何度もあるけれど、その都度、怖くなって、できなかった。   この小さな町では、異端していることは差別につながり、生き辛さになる。  母が心配する気持ちも、よくわかる。    カミングアウトしたら、みんなは僕ことを、どう思うだろうか・・・。     「もうすぐ着きますよ、平野さん」 「何分後ですか」 「3分くらいです」 「くらいということは、3分ではつかない可能性も0ではないということですね」 「ええ、まあ・・・そうですね」  救急車のスピード(体感)と秋本病院からの時間をざっと計算してみる。    距離にして11キロ走ったことになる。時速は体感によるものだから正確とはいえないが、大きく外れてはいないだろう。  救急車に乗ることなんてそうあることじゃないから、いろいろ聞きたいことは山ほどあったが、隊員が僕の言葉が塞ぐ。 「いまはあまり喋らない方がいい。喋るだけで心臓に負荷がかかります」  一度空けた口を、僕はゆっくりと閉じる。    そうだ、僕は生死の狭間にあったんだ。  脈が、飛んだ。  通称、不整脈。
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