第七章『南の訪問者』

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第七章『南の訪問者』

四月……俺が歌舞伎町で金を稼ぎ、社会人として活動をするようになってから二回目の春がやってきた。 寒かった頃の三月は過ぎ去り、コンビニエンスストアからはおでんや肉まんが消え、愛のメロディが流れる時刻も十八時となり、漸く春本番が始まる月となる。 同時に学校では新学期が始まり、学生だった者は社会人となり、新たな生活を送る為のスタートラインを踏み出す月ともなる。 しかし、俺のような既に社会人となっている者にとっては何も変わらない……公園に咲き乱れる桜も、俺達にとってはまた春がやってきたのかと自覚する為の目安でしか無い。 朝起きて、仕事をして、帰ってきて、寝る……新しい事をしない限り、そのテンプレートが崩れる事は一生無い……。 新宿にてそれぞれの目的地へと向かう、目が死んだ大人達は……今日も季節関係なく、その決められた予定に沿って死ぬまで生き続ける。 今日も様々なスーツや服の色に、新宿の交差点の横断歩道が染っていく……。 そしてそれに紛れる俺……俺もここにいる大人達のように、一生変わらぬまま生きていくのだと思った。 仁藤大和……職業は一応極道であるのだが、出世もしないまま様々な日雇いのアルバイトの生活を送り続け、フリーターのような生活を送っている。 これまでの一年間、自分は本当に極道であるのか分からなくなってしまう程に、一般人(カタギ)と同じような日雇い生活を送ってきた。 今年度の春も、そうして生活をしていくのだと思った……。 ……しかし、俺が今向かっているのはいつもの仕事場である工場では無い。 コンビニでも無い。 工事現場でも無い。 ……やってきたのは、俺が所属している皇組が営業している歌舞伎町内のとある飲食店だ。 「はぁ……」 今手に持っているのは、普段からは絶対に持ち歩く事なんて無い漆黒のセカンドバッグ。 ……俺が今やろうとしている事は、自組が営業している店を回って週末に行うという集金である。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「……失礼します」 戸を開けた瞬間に、脂の臭いが鼻を刺す。 その飲食店とはラーメン屋……準備中の札を無視して入ってきた為に、当然カウンター席には誰もいない。 「……ちょっと、今は準備中だぞ。表の看板が見えなかったのか?」 麺を湯切りすると共に、こちらを睨みつけている、タオルで頭を巻いた小太りの中年店主。 変な奴だと思われないよう……すかさず己の身分と目的の旨を店主に伝える。 「こんにちは、皇組の者です……集金にやってきました」 「集金? ああ……もうそんな時期だったなぁ」 「……お忙しい中お邪魔してすみません」 「今金出すから……ちょっと待ってろ」 俺のスーツについた皇組の代紋バッジを確認した後、厨房の奥に消える店主…… 集金、集金と言っても……今実行しているのは、ヤクザでよく聞くみかじめ料回収とかでは無い。 暴力団対策法……通称暴対法とやらで、皇組は歌舞伎町を仕切っている極道と言われているのだが、法律に縛られて肩身を狭くしながら活動しているのだと聞く。 なのでヤクザらしい事は何も出来ない……店主からお金を受け取るのは、皇組が営業を許可しているからでは無い……皇組がボディーガードとなって店を守ってやっているからでは無い…… ……ただそのラーメン屋は、皇組という団体から営業しているお店なので、皇組という会社を続けていく為に、売上金を少しだけ頂いているという事なのだ。 「ほら、持ってけ」 「……ありがとうございます」 それからボスンと、俺の手の上に札束を乗せてくる店主。 俺が下手に出ているからなのか、ヤクザであるのに若いから舐められているのか……店主の顔はとても不機嫌そうだ。 俺の他にも、皇組の集金役は沢山いる……その者達は最早みかじめ料を回収するが如く、ドアを蹴破って入ったり、脅すかのようにして店主から金を回収していたのだろうか。 「……用が済んだらとっとと出てってくれ」 「……失礼しました」 ……でも俺は、そんな乱暴なやり方はしたくない。 一応はいけない事では無いはずなのに……ただでさえ金を受け取る事で罪悪感が湧き、徐々に極道としての心へと蝕まれていく気がしているのだ。 それで乱暴な事をしてしまったら……その時点で、極道としての在り方が完成されてしまうような気もする。 「……失礼します」 「……失礼しました」 「失礼します……」 「失礼しました……」 俺は絶対に……完全な極道(クロ)には染まらない。 形としては既に極道に染まってしまったが……カタギの時の気持ちは、極道のくせにフリーターのように働いているという実感で保ち続けていた。 金を稼ぐのは本業に比べて少なすぎるが……それでも日雇いの方が、罪悪感無く正々堂々と汗を流しながら働く事が出来る。 「チッ……」 各店をハシゴして金を回収していく度に……店主から飛んでくる舌打ちが嬉しく思える。 態度がどうあれ、この人達は俺の事を怖がっていない……極道ではなく一般人のように蔑んでいる。 その気持ちが……俺はまだいつでも一般人に戻れるのだと、思わせてくれた。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「……ふぅ」 ……それから数十件の店を回った後、皇組が営業する店全てからの集金を終えた。 金は命よりも重いと、誰かは言っていた……枚数を確認したいが周囲からの視線が気になってファスナーを開ける事が出来ず、かなり重くなったセカンドバッグを抱えて、組長が待つ花見通りにある事務所へと戻る。 ……結局中身が確認出来ないまま事務所の前まで来てしまった。 小型のビルに入り、エレベーターを使わずに階段を使って二階へと上がる。 「……へっくし!!」 事務所のドアを開けた瞬間、俺がただいまと言い出す前に、クシャミの音がその空間内で響き渡った。 「……大丈夫ですか」 「……あら大和戻ったのねぇ、おかえり〜」 「……ただいま戻りました」 事務所の奥にて、一番大きな机の席に座りながら、ティッシュで鼻を包んで俺の名を呼んだ者の名は皇斬江(きりえ)。 この皇組を仕切っている女性の組長であり……数年前、とある理由で故郷からこの街まで逃げ出してきた、俺を拾った育ての母親でもある人だ。 現在、俺は拾って貰い、育てて貰った恩返しとしてシノギで稼いだ金を、斬江に返済させられている最中なのだ。 「風邪ですか?」 「いいえ……花粉症よ。 ったく、目は痒いし、鼻は痒いし、鼻水もくしゃみも止まらないし最悪だわ……」 「薬、買ってきましょうか?」 「ううん、さっき飲んだ所だし、まだ大丈夫よ……ありがとう」 心配している気持ちが斬江に伝わったのか、彼女は微笑みながら俺の頭を撫でてきた。 俺にとって、斬江は本当に母親のような人だが……同時に組を率いている極道なだけあって、この街で最も怒らせてはいけない相手でもある。 今は優しい彼女の手だが、時によっては俺の身体を粛清させる凶器ともなり得るのだ。 ……相手がフワフワしている三十代の女性だからと言って、絶対に油断してはならない。 「集金は終わった?」 「はい……これです」 斬江からの質問に対して、俺は速やかにセカンドバッグを彼女に手渡した。 ファスナーを開けて、中身の金額を確認しようとしている斬江の姿を見た所で、それまでに鼓動していた心臓のテンポが最高潮まで達した。 「……うんうん、丁度ぴったりだわぁ。よく頑張ったわねえ大和〜」 数えている間は真顔だった刹那……斬江の笑顔が元に戻り、彼女はまた俺の頭を撫でる。 「ありがとうございます……」 「……初めての集金はどうだったぁ?」 「……集金しに来たとお伝えしたら、特に抵抗される事も無く皆さんからお支払い頂けた為に……どのお店でも順調に集金が出来ました」 「……そぉ、良かったわねぇ」 「お店の人達が嫌がって、乱暴な事とかされなかったみたいだから良かったわ」 そう言いながら斬江は俺の身体を抱きしめた。 スーツから匂うと香水と、出会った時から変わらない彼女のふんわりとした匂いが混ざった物が俺の鼻を擽る。 「はい……俺の方からも、乱暴な手口で取引を行わなかったからだと思います」 「うんうん、出来れば平和が一番ねえ」 このような感じに……斬江は時々優しくなる。 純粋に俺の体調を気遣って心配しているのか、金を稼ぐ為の駒を失うのを恐れているのか……その真相は分からないが、優しくされて悪い気はしない。 これで何か大きな失敗でもした時には……最終的に斬江に拳銃を向けられたりと、愛されていたと思っていたのに殺されるような結末でも待っていたりするのだろうか。 「……取り敢えず今日のシノギは終わりでいいわ、お疲れ様」 「……ありがとうございます」 「とりあえず今日はお試しって事で、集金のお仕事をして貰ったけど……明日からはまた普段通りに、日雇いのお仕事をして貰うから」 「……お願いします」 そうして仕事が終わり、極道へと心が変わっていく拷問から解放されて、俺は心の中で胸を撫で下ろした。 仕事が終わると、俺は決まって毎日にとある場所へと向かう。 「それで……今日も行ってくるんでしょう」 「……はい、行ってきます」 斬江は俺の毎日のスケジュールを把握しており、俺がこれからどこへ行こうとしているのかもお見通しだ。 その場所に行く理由とは……歌舞伎町に来てから出来た友人達と会う為である。 その友人達は、殆どが女性ばかりであり……その中に一人、クリスマスの時に出来た恋人もいる。 「またデートでもしてくるの?」 その事も当然、斬江には把握をされている。 「まぁエッチとかしたり好きにしてもいいけど……子供だけは作らないようにするのよ〜」 そして黒百合に行こうとする度に、斬江は俺に直球すぎる注意喚起を促してくる。 極道と同時に、未だに借金を返し続けている身……何よりも子供や彼女の為に、彼女を孕ませる気は毛頭ない。 「分かっています……それでは行ってきます」 「ええ、行ってらっしゃい。 気をつけてね」 そうして俺は斬江から出口まで見送られて、まるで小学校から帰ってきて直ぐに、友達の所へと遊びに行くようなノリで事務所があるビルから出てきた。 それから仕事を終えた疲労感を、これから友人達と会うのだという期待へと変えて、その者達が待つ、東通りにあるカラオケバーへと向かったのであった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ……黒百合の使徒。 センスが禍々しい、初見の客を寄せつけないビジュアルさ加減を醸し出しているそれが、そのバーの店名だ。 ランチ以外に、空が暗くなる時間帯に開店するバー……店内からは既に、数人の話し声が聞こえてきて賑わっている。 俺も彼女達の会話に混ざろうと、ドアに取り付けられているベルを鳴らしながら店内へと入った……。 「おっ、来たわね」 ……店内はビジュアル系な店名とは似合わない、迷彩柄の壁紙や床、カウンターの後ろには様々なモデルガンが掛けられていたり、ミリタリー系のインテリアが置かれていたりしている。 初見でこの店に来た客は、ここはガンショップでは無いのかと勘違いしてしまう事だろう。 入るや否や、その店のマスターに入店を気付かれて声を掛けられた。 それと同時に、カウンター席で雑談をしていた者達もこちらを向いた。 時刻は十九時。 働いている者は仕事を終えて……よく見ている面子は、皆この店にて既に揃っていた。 「やまちゃんなのぜーっ!」 俺が最後に入店をすると、決まって一人の少女が挨拶代わりにこちらに来てハグしようとしてくる。 その時が来る度に、俺はミサイルを受け止めて彼女の頭を撫でてやる。 「こんばんは瀬名さん……今日もお元気ですね……」 「えへへ〜っ」 今日も沢山動いて汗をかいた。 今の臭いを桃色のツインテールが揺れている彼女に嗅がれたくないので、肩を掴んで俺から身体を離させる。 そのまま俺は、残りの三人の友人達が座っている一番端の空いている席に着席した。 「よう仁藤、今日も冴えない面をしているな」 ……ここで俺の、世間一般的に物騒なイメージしかない歌舞伎町を生きていく中で、貴重となる友人達を紹介しよう。 まず最初に、開口一番に俺の顔面に対してディスってきた、俺のすぐ左隣に座っている銀髪ストラトスヘアーの彼女。 名は帝真緒さん……歌舞伎町を仕切るもう一つの組、帝組を仕切る組長の娘でありながら……同時にマル暴の警察でもある。 彼女とは一度……歌舞伎町にはびこる新勢力を制圧する為に共同戦線を組んだ事があった。 それ以来の真緒さんは、歳上として現代社会で生き抜くコツを色々と教えてくれる、俺の良い姉貴分である。 俺と目が合うと、真緒さんは肘をつきながら細い真紅の瞳でふふっと微笑んできた。 「真緒さん……疲れているので仕方が無いですよ」 「そのようね。 お疲れ様」 「……こんばんは飯田さん」 「はいこんばんは」 そして真緒さんの隣に座っている、俺の挨拶に対して手を振った事で返事をした、紺髪のボブの髪型をしている彼女。 飯田凪奈子さん……天鳳大学二年生の法学部所属。 この街では有名なキャバレークラブ『ロイヤルメイデン』という店でアルバイトとして働いている、自称人気のあるキャバ嬢だ。 彼女には高校生である、二人の双子の妹がいて、両親が家にいない状況で金を稼いでおり、頑張って妹達を養っているのだ。 「凪奈子ちゃんも、眠たそう……」 「ま、まぁね……でもこれ飲んでれば目が覚めるわ」 「無理しないで……」 「こんばんは……長内さん」 「こんばんは、仁藤くん……」 シンデレラというノンアルコールカクテルを、ストローを使って飲んでいる飯田さんの隣の席で、俺からの挨拶に飯田さんと同じような挨拶で返してきた、緑の髪色でふわふわとした髪型をしている彼女。 眠たそうな真顔で目が死んでおり、話し方もゆっくりであるが、別に元気が無い訳では無い、彼女の名前は長内千夜さん……。 一年半前まではアメリカに住んでおり、生まれた時からアメリカで過ごしていたという、所謂帰国子女だ。 ……そしてこの店で従業員として、住み込みで働いているアルバイトでもある。 「やまちゃんこんばんはなのぜっ!」 「はい瀬名さん……取り敢えず席にお座りになっては……?」 「えへへ……」 ……そして最後に俺の右隣の席に座った、先程入口にて俺に抱きついてきた、桜色髪のツインテールの彼女が瀬名ひとみさんという名前だ。 なのぜという不思議な口癖で話し、八重歯がチャームポイントである彼女は……元々は京都府出身の関西人であり、数年前に歌舞伎町へとやって来た事で俺と同じ境遇を持っている。 初対面当時は住む場所が無いホームレス、パーカーの上からパーカーを羽織り、多摩川のような臭いを纏わせていた彼女であったが…… 俺が長内さん達の黒百合を紹介した事で雇って貰い、纏まった金を稼ぐ事で……今ではインターネット喫茶で寝泊まりをしながら俺のように日雇い生活を続けて、生きる為に必要最低限な生活を送り続ける事が出来ている。 ……以上が歌舞伎町でこれまでに出会ってきた、俺の女友達たちだ。 「お疲れ様やまちゃ〜ん、はいこれえ」 「え……まだ頼んでないですよ?」 「いいのよぉ〜、あたしからのサービス♡」 「……ありがとうございます」 更に身長百九十センチメートルの巨体にして、スキンヘッドの髪型が伴った、厳つい見た目と口調が合っていない、俺の好物であるシャーリーテンプルを差し出してきたこの男性。 ブルヘッドさん……本名牛沢剛さん。 この黒百合の使徒のマスターであり、俺にとっては近所のお兄さん的なポジションであり……かつてアメリカの軍隊に所属していた経歴も持っている。 彼女は常に、俺達が仕事を終えて疲れを癒す為の溜まり場を提供してくれているのだ。 「ふぅ……」 ……シンデレラを飲み干して、溶けていく氷を見つめながら溜息をついた飯田さん。 長内さんも心配していた通り、本当にお疲れのようで、彼女の顔が徐々にカウンターの方へと下がっていっている。 「……本当に大丈夫ですか?」 「大丈夫? シンデレラもう一杯飲む?」 ブルヘッドさんは、そんな飯田さんの顔の前にあったグラスを取ってシンデレラを作り始めた。 「あぁありがとうございます……大丈夫だけど、二年生になった途端に授業の難易度が爆上がりしてね〜」 「ああ……そうですか、飯田さん二年生になったのですね。おめでとうございます」 「ふむ、一応は二年生に進級する事が出来たのだな」 「おめでとう……凪奈子ちゃん……」 「おめでとうなのぜ!」 「ありがとう仁藤くん、千夜、ひとみ……まぁギリギリセーフだったんだけどね」 「授業の方……そんなに難しいんですか?」 「うん……やっぱり調子に乗らずに、最初から一般人のレベルに合った、普通の大学に行っとけば良かったかしら」 飯田さんとは去年の春終わりに、期末テストを乗り切る為に、皆で何度か勉強会をして、皆で飯田さんと共に学力をつけていた時期があった……。 その結果は合格……それからは何度もテストに挑んで合格をし続けているのだろうが、現時点では大きなイベントで合格するよりも、通常の授業で単位を取る事に苦戦をしていたようであった。 ……それに加えて飯田さんは勉学だけでは無く、妹達の面倒を見る為にキャバ嬢の仕事もしている。 偉いという言葉だけで片付けてしまうのは失礼だと思う程に……彼女は本当に強い。 「なんだ、私にも礼を言わんか貴様」 「あんたからは進級出来るのは当然だって感じがして、ムカついたからやだ」 「ふん……素直に礼を言えばいいモノを」 「あんたこそ、素直におめでとうって言えばいいんじゃない?」 「ははは……」 ……しかし、そんな飯田さんが頑張れるのは、やはり俺が感じているように、仕事終わりにこうして皆で黒百合にて過ごせるからであろう。 その中で特に真緒さん……彼女は、俺達と知り合う前からロイヤルメイデンに通い、よく飯田さんを指名していた常連客であった。 彼女達の絆は、俺達が思っているよりもきっと強く……よく言い争ってはいるが、お互いにいつも満更でも無さそうな笑みを浮かべている。 ……飯田さんの方も、とても楽しそうだ。 「ふっ……二人共ケンカはダメなのぜな〜!」 「大丈夫よひとみ、ケンカしてる訳じゃないから」 「そうですよ瀬名さん……イチャイチャしているだけですから」 「ちょっ、イチャイチャでも無いわよ!」 「その通りだ。 こんな強気な女とイチャイチャしている暇があるならば、ツンデレカフェに行ってメイド達の相手をする方がマシだ」 「へぇ〜……じゃあ私もメイドさんじゃないけどキャバ嬢として、今ここで改めて相手をしてあげましょうか……!?」 「ほう、相手になるの意味が物理的なのだが、お前さえその気なら望む所だぞ……!!」 「ひええっ……本当にケンカしてる訳じゃないのぜな〜っ……?」 それからお互いに席から半立ちになり、ぐぬぬと力みながら両手を押し付けあっている真緒さんと飯田さん…… そして双方の間に立ち、止めようか迷ってアワアワとしている瀬名さん…… 「……」 ……そんな彼女達を、長内さんはどこか羨ましそうな目でじっと見つめていた。 「長内さん……?」 「あ……仁藤くん……?」 「どうかされましたか?」 「うん……私も、凪奈子ちゃんみたいに頑張らなきゃって……」 「長内さん……独り立ちをする為の夢は、今も持ち続けていますか?」 「仁藤くん……ここではしーっ……ブルちゃんには、独り立ちする事……まだお話していないの……」 「え……」 実は夏に、皆で伊豆のブルヘッドさんの実家の旅館にリゾートバイトをしに行った時……ブルヘッドさんに、彼女のその夢を俺から打ち明けてしまった事があった。 まさか内緒にするつもりで今まで話していなかったのか…… いつかは自分から打ち明けようとタイミングを伺っていたのか…… 気持ちがリラックスしている時とは一転、一瞬にして顔から血の気が引くのを感じる。 「仁藤くん……?」 「……いえ、その、すみません……分かりました」 「……勿論、今も……そうしようと、思い続けているわ……」 「……そうですか」 「夢を叶える為には、何をすればいいのか……何をお勉強すればいいか、分からないけれど……」 「とりあえず今は……お料理を作りながら、お料理のお勉強もして……あとお小遣いも、貯めているわ……」 「なるほど……そういう事で行動を起こすからにはまず、お金が一番必要ですからね」 「うん……」 相も変わらず、ゆっくりとした口調で言葉を話す長内さん。 しかし夢を叶える為の努力をしっかりと行っており……絶対にそれを叶えるのだという信念を感じた。 今はただ、それを貫いていくだけ……いざ夢を達成出来るとなって、皆とお別れする時に寂しく思う気持ちを考えるのは、もう少し後の話になるのであろうか。 「ふぅ……随分と無駄な汗をかいてしまった。千夜、クリームソーダを頼む」 「はぁ……何でこんな事で体力を使わなきゃいけないのかしら……私はコーラフロートをお願い……」 「ソフトクリームで被せてくるのをやめて貰おうか」 「何を頼もうが私の勝手でしょ!」 「あっ、あたいは普通のソフトクリームをお願いするのぜな〜!」 「かしこまり……」 「俺は……シャーリーテンプルをもう一杯頂けますか、長内さん」 「分かったわ……」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ……それから俺達は、それぞれのグループに別れて、それぞれで時間を過ごすようになった。 「……そしたらね〜、機械が壊れてめっちゃお客さん混んじゃって大変だったのぜ!」 「あー……肝心な時に限って壊れると焦るわよね〜」 ……瀬名さんはグラスに入っている氷をかき混ぜている飯田さんとで、お互いに仕事の愚痴を話し合っている。 「……それでねぇ、このコが一年前から雇ってる新人さんなのお〜」 「こんばんは……」 「おお〜っ、ブルさん結構なべっぴんさんを捕まえてきたな〜」 長内さんはブルヘッドさんと一緒に、ブルヘッドさんの顔馴染みでありそうな中年な客と会話をしている……。 「にとう〜?」 ……そして今、俺の隣にいるのはすっかりと酔っ払っている真緒さん。 いつも頼まれているエルディアブロを、まだ一杯しか飲んでいない筈なのに……彼女の顔は真っ赤で、テーブルに項垂れながら俺の頬をつついている。 「……何ですか?」 「顔が死んでいるぞ〜……」 「生きていますよ……それにそう見えるのは、いつもの事だと思いますが」 「ほんとか〜? いつもに増して疲れているように見えるのだがー?」 「……」 ……もしかしたら真緒さんは揶揄っているのでは無く、真剣に俺の事を心配してくれているのかもしれない。 ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべたり、随時吃逆をしたりと……真緒さんに対して信じたい俺の気持ちが、何もかも台無しである。 ……ここはダメ元でもいいから、一応は話してみるとするか。 「実は……今日初めて、あるお仕事をしたのです」 「……ほう」 「それが……今までの日雇いなんて物では無く、組から直接言い渡されたお仕事で……」 「……」 「……あの、組からのお仕事とは言われても法に触れるような事は何もしていませんからね?」 「では何だと言うのだ」 「ただの集金です……しかし多額のお金を取り扱ったのは今回が初めてで、他人の目を気にしながら運んでいたりしていたので……正直疲れました」 「ふむ……」 何とか組の情報を漏らさずに、一応警察である真緒さんに連行されてしまうような事は何もしていないとアピールしつつ、伝える事が出来た……。 俺の話を聞き終えて体を起こし、ぼーっとした表情で前を見つめている真緒さん……。 何か俺がおかしな事を言っていなかったか思い出しているのか……彼女はそれから正面を向くと、何かを考えるようにして顎に親指を当てて考え始めた。 「ふむ……」 「っ……」 そして俺も正面を向いて彼女からの返事を待っていると…… 真緒さんの手が、俺の頭に触れられた感触に気がつく。 「日雇いの仕事しかしていなかったお前が、いつの間にかそれ程の大役を任せられる程に出世をしていたとはな」 「えっ……」 「日雇いの仕事であろうが、コツコツと働いてきた成果を姐さんに認められたのだな……その調子でもっと上を目指すといい」 「真緒さん……」 そうして真緒さんは優しそうな笑顔を浮かべながら、俺の頭を撫でた。 指摘か何かをされるのかと思いきや、ただ純粋に俺が今日してきた功績を讃えてくれた真緒さん。 今俺の頭を撫でている手からも優しさが伝わってくる……それを感じ取って、歳上であり姉のような立場である真緒さんに、もっと甘えたくなってしまう。 「ありがとうございます……ですが今回はお試しだったので、まだ完全に出世をした訳ではないのです」 「ふむ、そうか……」 「はい……なので明日からはまた、元の日雇い生活に……」 「……すーっ、すーっ」 「……ええっ」 ……しかし真緒さんは俺が話をしている途中で、いつの間にかテーブルに項垂れて寝落ちしてしまった。 とても気持ちよさそうな寝顔……俺の話を聞いてくれてはいたが、結構極限な状態であったという事か。 「真緒さん……」 「ついにこいつもくたばったわね」 「まおまお、お顔が真っ赤だったのぜな〜」 「……はい」 そんな力尽きた真緒さんを見て、飯田さんと瀬名さんが俺達の側へと寄ってきた。 「いつになったらお酒に慣れるのかしら。 一杯飲んだぐらいでノックアウトとかまだまだね」 「お酒って飲んだらそんなに眠くなるものなのぜか〜」 「その言い方だと飯田さん……自分はお酒に強いと仰っているような言い方ですね」 「ええっ!? まさかなーなお酒を……」 「飲んでないわよ! ただうちの店に来るお客さんの殆どは、一杯ぐらいじゃ酔わないからそれが普通だって思ってるだけ」 「あっ、なるほどなのぜな〜」 「それだから一杯で寝落ちしちゃうこの人は、相当にお酒に弱い人だってこと」 「いつも格好つけて飲んでる割には、いつも最後にはぐっすり寝てるわよね」 「あはは……」 真緒さんが寝ているのをいい事に、彼女を見下ろしながら言いたい放題言っている飯田さん。 ……その刹那、真緒さんの身体がピクっと動く。 「……それが寝ていなかったんだな!」 「ちょっ!」 テーブルから起き上がり、全てを聞いていた様子の真緒さんは、そのまま飯田さんに飛びかかった。 そして二人はまた両手を押し付けあったり、相手の腕を掴んだりしながら言い争いを始めたのだった。 「まおまおとなーな……本当に仲良しなのぜな」 その様子を見ていた瀬名さんは……俺の隣に立って、優しくふふっと笑っていた。 「ええ……流石に俺達の中で、一番古くからのお友達同士であるお二人です」 「喧嘩するほど仲がいいってやつなのぜな……あたいも初めて会った時よりは、今の方が皆と仲良くなれてるのかな?」 「瀬名さん?」 真緒さんと飯田さんの声にかき消されそうになった瀬名さんの声……彼女の方に視線を移すと、瀬名さんは俯きながら不安そうな表情を浮かべていた。 「……」 「……どうかされたんですか?」 「……ううん、何でも無いのぜ! ただあたいって、時々元気すぎるんじゃないかって思う時があって、それで皆にウザったく思われてないか心配になる時があって……」 「……元気すぎる、ですか」 「うん……あたい、空気が読めないところがあるから……」 確かに瀬名さんは元気ではあるが……それに対して羨ましいと思った事はあっても、ウザいと思った事は一度も無い。 むしろ瀬名さんの元気な姿に、癒しを貰っているぐらいだ……どうやら本人はその事に気がついておらず、自分が楽しむ事よりも他人からの気持ちについて考えてしまっているみたいだ。 「……ウザくなんか無いですよ」 「……え?」 「元気すぎるぐらいが、瀬名さんには丁度いいんです……俺はそんな瀬名さんを見て、いつも元気を分けて頂いているので」 「そうなのぜ……?」 「はい、皆さんも同じくそう思っていると思いますよ……瀬名さんは、俺達にとっての妹のような存在なので」 「妹……なのぜか……」 「はい……なので例え元気すぎてウザったく感じてしまっても、瀬名さんは妹みたいで可愛いからと、皆さん許して頂けると思います」 「要するに瀬名さんは今のままで大丈夫だという事です……皆さんとも、去年会った時よりも仲良しになっていますよ」 「本当なのぜ!?」 「はい……瀬名さんといる時の皆さんは楽しそうな顔をしていますし、何よりも瀬名さんも楽しそうなお顔をされています」 「良かったのぜ……」 「勿論俺も、毎日瀬名さんに会えて楽しいですよ」 「やまちゃん……えへへ……」 握り合った両手を胸に当てて、いつもの無邪気な笑顔とは違う、目を細めて女らしい笑顔を見せる瀬名さん。 その彼女が笑い続けていける環境を作っていく為に……俺達歳上組が、瀬名さんの事を守っていかければいけないと思った。 「ふぅ……やっと終わった……」 「おおちーちー! 何してたのぜ?」 「ブルちゃんと一緒に……違うお客さんとお話してた……楽しかったけど、疲れた……」 「そのお客さんも随分とお酒を飲まれていたようで……大丈夫でしたか?」 「大丈夫……お酒を飲んでるお客さんと……お話するのは慣れてるから……」 「慣れると結構楽しいもんよね、お客さんってやっぱり大人だから色んな事教えてくれるし」 「ふっ、それ程でも無いさ」 「あんたの場合、お酒飲み始めてからは殆ど寝ちゃってるけど」 ……しかし俺の場合は男として、真緒さん達女性陣を守っていかなければならない。 歌舞伎町に潜む闇に怯む事なく……皆がそれぞれで叶えようとしている夢を達成させる為に。 これからも今日のようなやり取りが出来るように、皆で黒百合に揃える毎日を作る為に……俺はそのように誓うのであった。 「……?」 ……その時。 黒百合にドアベルを鳴らしながら、新しい客が入店をしてきた。 「いらっしゃ……」 あんな禍々しい看板にも怯まずに入店してきたのかと思っていると、真っ先に入口の方を見ていたブルヘッドさんは、豆鉄砲を食らったような顔をしている。 それを見て、俺を含む店内にいる者達も入口の方を見た。 「……!」 入口にいたのは、無地で真っ黒なダボダボのパーカーに、ジーンズのホットパンツを履いていた少女。 髪型はボサボサとした黒髪のセミロングで、右側の揉み上げは三つ編みで結んでいる……のだが、何よりも外見が若すぎる。 高校生……下手をしたら中学生かもしれない。 「……?」 確実に他所から来たのであろうが、少女はこの時間の歌舞伎町にいる事に、何の違和感も思っていないような不思議そうな顔をして、丸くて大きく黒い目で俺達の事を見つめていた。 「いらっしゃいなのぜ!」 呆然と立ち尽くしている少女に、瀬名さんは持ち前のコミュニケーション能力を持ち合わせて彼女へと近付いて行った。 飯田さんと真緒さんは互いに顔を見合わせて、首を傾げながら少女の元へと向かい、長内さんも恐る恐るその場所へと向かった。 「こんばんはなのぜっ!」 「こ、こんばんは……」 手始めに挨拶をした瀬名さん。 少女の方も、瀬名さんのフレンドリーさに戸惑いながらも挨拶を返した。 「貴方、ここら辺りじゃ見ない顔ね……この時間の歌舞伎町は危ないから、さっさとお家に帰った方がいいわよ」 「えっと、その……」 「そうだぞ。 今の時間帯だと変な奴等に連れ去られて、あんな事やこんな事をされてしまうかもしれないのだからな」 「やめなさいよ」 何か言いたげな様子の少女に、忠告をした飯田さん。 真緒さんは割と冗談になっていない言葉を少女に投げ掛けて、飯田さんから手を弾く事で止めさせられていた。 「ごめんね……夜の街は本当に危ないから……女の子が一人で、お店に入ってきちゃいけないわ……」 そして長内さんは、真緒さんと飯田さんの後ろに隠れて、人見知りを全開に発揮しながらも、少女に注意をしていた。 「違うんです、あの……!」 何かを話そうとしている少女に、少女を囲んでいる女達は沈黙した。 「どうしたのかしらねぇ〜、あの子」 「……」 その光景を、俺はブルヘッドさんや他の客達と共に眺めていた。 「人探しを、していて……」 「人探し……?」 「誰を探してるのぜ?」 瀬名さんからの質問に、少女は重そうな口を開いた。 「……仁藤大和って人を、知りませんか?」 「えっ……」 自分の名が呼ばれて耳が反応したと同時に、一斉にこちらを向いた皆。 シャーリーテンプルを飲み干し、俺も少女の元へと向かう。 「あー……仁藤大和は俺ですが……」 近づいてみると、身長は俺の顔半分の高さより少し小さい、俺達の中で一番身長が低い瀬名さんよりも、更に小さかった。 しかしパーカー越しでも分かる通り、少女は胸が大きかった。 失礼であるが、もしかしたら瀬名さんではなく、俺や飯田さん達と同じぐらいの年齢なのかもしれない。 「えっ……」 少女に俺が仁藤大和である事を伝えると、少女は俺の爪先から顔の方まで舐め回すように見た後、こちらを見上げて目を丸くさせていた。 「俺に……何か御用ですか?」 ……そしてこの後に少女が答えた言葉により、今後の俺の歌舞伎町での生活が、大きく変わる事になるのであった。 「……初めまして、お兄ちゃん」 「……は?」 「あたしは仁藤渚……」 「……一応、あなたの妹です」
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