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「……えっ、ええっ!?」
……渚と名乗った少女が放った言葉をしっかりと耳にしていた飯田さんと瀬名さんは、声と動作を合わせながら、俺達の間に立って交互に見つめていた。
「ほう、仁藤……妹がいたのか。知らなかったぞ」
手を顎に当てながら……渚に近付いて、この街では珍しい中学生ぐらいの彼女をじっくりと観察していた真緒さん。
渚の方は恥ずかしそうに頬を染めながらも、悲しそうな顔をしながらこちらを注目していた。
「……」
……一方の長内さんは何か話しかけようと試みるも、話題を見つける事が出来ないのか、俺の後ろに隠れて未だに人見知りを発揮していた。
そんな彼女達の所に、カウンターから様子を見ていたブルヘッドさんもやってきた。
「こんばんはぁ〜、お嬢ちゃん」
「あっ……こんばんは!」
女口調を話す屈強な男を目の前にして、明らかに驚愕していた渚であったがしっかりと挨拶は返した。
「立ち話も何だし……あっちで座ってお話しない? ドリンク一杯ぐらいなら、サービスするわよぉ」
「あっ……頂きます」
店の中に居続けてもいいという許可を貰った渚。
しかしどうしていいのか分からないのか遠慮をしているのか、俺の方に助けを求めるような顔をしながら、その場から動こうとしない。
「こっちなのぜ!」
「わっ」
それから店内の客達が徐々にテーブルの方へと向き始めている中……
瀬名さんは、そんな彼女の手を取ってカウンター席へと案内し、彼女達に続いて残りの俺達もその場所に戻った。
「どうぞ……」
ブルヘッドさんよりも先にカウンター席に入り、渚に氷水を差し出した長内さん。
「ありがとうございます」
「ん……」
渚から礼を返されて、相変わらず無表情ではあるが、頬を染めて嬉しそうにしていた。
真緒さんと飯田さんの二人はそれぞれ渚の隣に座り、瀬名さんは飯田さんの隣に座り……俺は彼女達から一番遠い、端の席に着席した。
「貴女、どこから来たの?」
「えっと……千葉です」
「一応、そんなに遠くない所から来たのね」
飯田さんからの質問に答えを返した渚。
「今何歳なのぜ?」
次に質問をしたのは瀬名さん。
「えっと……十四歳です」
「はえ〜……若いのぜなぁ……」
「という事は中学三年生辺りか」
瀬名さんの質問に合わせて、真緒さんも年齢関連の質問を渚に投げかけた。
「そうです」
「ふむ……」
「歌舞伎町に来るのは初めて?」
「はい」
「そう……来るのはいいけど、もっと明るい時間帯においで。 夜に来るのは危ないわ」
「すみません……分かりました」
ブルヘッドさんも渚に質問をして、それと同時に大人として、彼女に対して当たり前の注意喚起を促していた。
「ここまでは、どうやって来たの……?」
「電車です……」
「あ……そうよね……」
普段は見ない余所者の渚は、質問をする話題を間違えた様子の長内さんを含み、皆から質問攻めになっている。
皆に対して笑顔で答えを返す渚であったが、それでもやはり俺の事が気になるのか、チラチラとこちらの方を伺っていた。
……俺の方は彼女達の会話に直接は介入しない物の、渚についての大体の情報を集めていた。
渚は千葉県館山市出身の中学三年生。
館山市という街は、千葉県の一番南に位置する場所にあるらしい。
「にしてもこの二人が兄妹ねぇ……」
……それから再び、俺と渚を交互に見比べている飯田さん。
「全然似ていないな」
「あっ! でも髪型は何となく似ているのぜ!」
「それは血が繋がっているのかどうかと、あまり関係が無いのではないか?」
「そーかな〜」
真緒さんと瀬名さんも俺達を見比べて、真緒さんは瀬名さんの他人同士でも有り得る事に対してツッコミを入れていた。
「仁藤くんに、妹がいたなんて……知らなかったわ……」
そして長内さんは、カウンターにある空になった複数のグラスをシンクに下げた後に、真緒さんの隣に腰掛けた。
「……俺に妹はいないですよ」
「えっ……」
俺が久し振りに口にした言葉により……急にホラーチックで変な空気が流れ始める店内。
そう……俺は生まれた時から独りっ子であり、妹などいる筈も無いのだ。
実はいたとしても、少なくとも俺が実家に住んでいた時には、この少女の顔は一度も見た事が無かった。
……とにかくこの少女は誰だ。
もしかしたら妹でも何でもない、全くの赤の他人では無いのか?
しかし、だとしたら妹だと自称して、俺に近づいてきた意味が分からない。
本人に直接聞かなければ一生分かる事の無い真相に頭が締め付けられる。
なので俺からも渚に対して質問したい事が山ほどあるのだが……この場に皆が集まっている状況で話すにはそぐわない、仁藤家の家庭の事情を伴った重い話になる事に間違いない。
「……ちょっと来てください」
「わっ……」
渚の手を取り、彼女と共に入口へと向かう。
「どこ行くのぜ?」
「少しこの人と……二人きりでお話してきます」
「そうね……それがいいわ」
そうしてブルヘッドさんに手を振られて、皆に見送られたまま俺達は外に出て、黒百合の裏口まで彼女を連れてきた。
「痛いよお兄ちゃん」
まだ彼女が俺の妹だと決まった訳では無いのに、遠慮なくお兄ちゃん呼ばわりしてくる渚。
「はぁ……誰なんですか貴女は」
「だから、あたしはお兄ちゃんの妹だって」
「……実家にいる間、俺はずっと独りっ子だったのですが」
「そっちの方はそうかもしれないけど……とにかくあたしはお兄ちゃんの妹だもん……」
……言いたい事は分かった。
こうなれば仁藤家にしか分からない質問をして、本当にこの小娘が仁藤家の人間なのかを確かめるまでだ。
「……俺達の親父の名前は?」
「孝司……」
「……」
合っている。
口にしたくも耳にしたくも無い、俺と病気の母親を捨てた親父の名だ。
……次はその、病気の母親の名前を尋ねる必要がある。
「……では母親の名前は?」
「恵美……」
「……」
違う。
聞き覚えの無い女の名前に、新たなる考察が脳内で灯り始める。
「……俺の母親の名前は真由美なのですが」
「それはそうだよ」
「……?」
「だってあたしはお兄ちゃんのお父さんと、お父さんの新しい奥さんとの間に生まれた子供だもん」
「……」
……彼女の放った言葉の中に底知れない闇を感じる。
やはりこの話は、俺達二人きりでしか話す事が出来ない。
しかし渚は、悲しくも何とも思っていない、何気無い感じで俺に真相を伝えた。
「つまり俺達は……腹違いの兄妹って事ですか」
「……そういうこと」
やっと一番大切な内容を伝えられた事が出来たような、安心している表情を浮かべながら前で手を組んだ渚。
……しかし俺にとって、もう一つ重要な事を彼女から聞き出せていない。
……それはどのような方法で、狭いようで広い日本列島の中で、俺の居場所を突き止めたかだ。
だが義理の妹が俺に会いに来たという事実以上の衝撃を……今日は受け止め切れるメンタルが残されていない。
その事は……また後で聞けばいいだろう。
「……とりあえず、貴女が俺の妹だって事は信じます」
「……!」
「……中、戻りましょう」
「うん!」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「あっ、帰ってきた」
「どうだったのぜ?」
皆のいる店内のカウンター席に戻り、今度は俺が渚の隣に座った。
「確かに……この方は俺の妹でした」
「おおっ!」
俺が皆にそれを伝えた事で疑惑は事実へと変わり、再び渚の周りに皆が集まった。
「わわわ……」
まるで学校のホームルームが終わり、転校生の周りに生徒達が群がっているような光景だ。
「良かったわねぇ貴女、仁藤くんに妹だって認めて貰えて」
渚の隣に座った飯田さんはそう言いながら、彼女のボサボサになっている頭を撫でた。
「はい、良かったです……」
飯田さんに頭を撫でられて満更でも無い様子の渚だが……緊張しているのか苦笑いを浮かべて、初対面の俺達の輪に入っている事に慣れていないようであった。
「改めて紹介します……この方達は、俺のお友達です」
「友達……?」
「そうなのぜ!」
「わっ」
俺が一人一人を紹介しようとすると、渚の後ろにいた瀬名さんが彼女に抱きついてきた。
「あたいは瀬名ひとみって言うのぜ! 宜しくなのぜ、なぎさん!」
「な、なぎさん?」
「帝真緒だ」
「飯田凪奈子っていうの」
「長内……千夜……」
瀬名さんに、急に距離感が近くなった渾名で呼ばれて驚く暇も無く、渚は彼女達からそれぞれの自分の名前を名乗られた。
「そして私がブルヘッドっていうの! この店の店長をしているわ、宜しくね〜」
「あっ、宜しくお願いします……皆さん」
最初に入ってきた時よりも大分落ち着いたのか、渚が微笑んだ事で皆も彼女の事を優しい眼差しで見ていた。
「しかし……この二人は本当に似ていないな」
「ええ、兄貴の方は目付きが悪いけど、この子の方は可愛い顔してるわ」
「うるさいですよ飯田さん……」
「えへへ……そうですかね」
「お水……もう一杯飲む……?」
「ありがとうございます……えっと、長内さん?」
「普通に呼び捨てでも、大丈夫よ……」
「……じゃあ、千夜ちゃん」
「千夜ちゃん……」
渚に名前を呼ばれて頬を染めている長内さんも、彼女に対して大分慣れてきているようであった。
「この千夜っていうお姉さんは、ちーちーとも呼ばれているのぜ!」
「ちーちー……?」
「いえ呼んでるの貴女とブルヘッドさんだけですよ……」
「じゃあちーちーで……」
「それで呼んで貰っても、平気よ……」
「因みにあたいは、皆からとみーって呼ばれているのぜ!」
「と、とみー……?」
「いやそれに関してはブルヘッドさんにしか呼ばれてないですよ」
「……じゃあひとみんで」
「おおお……」
渚に渾名で呼んでもらい、瀬名さんは嬉しそうに目を輝かせている。
「いいなー、私も渾名で呼んでくれないかしら」
シンデレラを飲みながら、嫉妬しているのかと思いきや別にそうでも無い、冗談交じりに半笑いをしながらその言葉を漏らした飯田さん。
「じゃあ飯田さんは……なーなで」
「あら、それってひとみが私を呼んでる呼び方と一緒よ」
「えっ? そうなの?」
「うん! なーなって呼びやすいのぜな!」
「ふふっ……」
眠そうだった目を見開いて、飯田さんも頬を染めている一方……今度は真緒さんの方を見た渚。
「……私は別に何と呼んでもよいぞ、まおまおとかな」
「まっ、まおまお……」
「それはあんたがそう呼んで欲しいだけじゃない?」
「えへへ……あたいがつけた渾名をそんなに気に入ってくれたのぜか〜」
「そういう訳では無いが……ただまおまおというのは例であって、どんな渾名をつけても良いと言いたかっただけだ」
彼女の場合は酒の影響だという事もあると思うが……真緒さんも頬を染めて、否定をしながら目を逸らしても、図星のような表情を浮かべていた。
「……じゃあ、まおちで」
「まっ、まおち……」
「まさかのひとみちゃんとは……違う呼び方……」
「可愛いのぜな……!」
「ふむ……まぁいいだろう」
「あら可愛いじゃないまおち、私も今度からそう呼ぼうかしらまおち」
「お前は黙っていろ」
「あはは……」
……とにかく本人のお構い無しに渾名で呼ぶ程のコミュニケーション能力を持っていそうな渚であれば、上手く皆との輪に溶け込めそうだと思った瞬間であった。
……その時、楽しい時間が経つのは本当にあっという間で、二十三時を知らせる壁時計の鐘が店内で鳴り響いた。
「あっ……そろそろ帰らなきゃ」
時計を見て、その場から立ち上がる飯田さん。
飯田さんは俺達の中で歌舞伎町から一番遠い、神奈川県は厚木市に住んでおり、今の内から帰らなければ終電に間に合わなくなってしまうのだ。
「ごめんね渚ちゃん、本当はもっとお話したかったけど……うちにいる妹共の為に、ご飯を作らなくちゃいけないの」
「なーなの方も、妹がいるの?」
「そうよ、双子なの。貴女と妹同士、すぐに仲良くなれると思うわ」
「ではいつものように駅まで送ってやるとするか」
そうしてエルディアブロを飲み干すと真緒さんは起立して、俺達も外に出る支度をした。
「じゃあブルちゃん……行ってくる……」
「はい行ってらっしゃい、なーなも皆も気をつけてね」
「うん……」
「ありがとうございます!」
そうしてブルヘッドさんに見送られて、俺達は黒百合から出てきた。
いつもと同じくお祭り騒ぎであるような歌舞伎町……深夜を回っても尚、大人達は社会で溜め込んだ疲れを癒す為に酒を飲んで顔を赤くしている。
「……」
そのように東京の新宿区は様々な人が集まる。
渚にとっては故郷から北の方に行かなければ見れない、珍しい光景だからなのか……大きな建物や沢山の人達をキョロキョロと見回していた。
「東京は人が多いでしょう」
その様子を、飯田さんは微笑みながら渚に話しかけた。
「うん、新宿駅も凄い人だったし……駅も広いから迷子になりそうだったよ」
「てかお前も、そろそろ電車に乗らなければ、家に帰れなくなってしまうのでは無いか?」
俺達は喧騒や都会の灯りに囲まれながら新宿駅を目指し、真緒さんは渚にそのような質問を投げかけた。
「あたしは大丈夫だよ。 こっちの方で暫く泊まるつもりだし」
「おおっ!……でも学校の方は大丈夫なのぜ?」
「うん、暫くの間は春休みだしね……二泊ぐらいはしていくつもりだよ」
「そう……何か困った事があったら、いつでもうちにおいで……」
「ありがとう、ちーちー」
見慣れた顔ぶれの中に、初対面の妹が紛れて、彼女達と並んで話しているという新鮮な光景。
そもそも色々と制度が厳しそうな新宿で、中学生が泊まれる宿など存在するのか……?
そのような事を考えながら、俺は皆と楽しそうに会話をしている渚の笑顔をぼうっと見ていた。
……そんなこんなで辿り着いた小田急新宿駅。
仕事を終えた社会人達は皆……新宿区から逃げるようにして、様々な路線に乗って、それぞれの自宅へと帰って行く。
「それじゃあ今日も、ここでお別れね」
改札機から少しずれた鉄フェンスの手前で、飯田さんはこちらを振り返ると俺達の顔を見た。
彼女はこれから小田急線に乗って、真っ直ぐ本厚木駅へと帰っていくのだ。
「ばいばいなのぜ〜!」
瀬名さんに続いて俺達は飯田さんに手を振り、彼女も改札機を抜けながら手を振り返し、小田原行きのホームへ向かう人混みの中へと消えて行った。
……飯田さんが見えなくなった所で、俺達は来た道を引き返した。
「じゃああたいはここら辺りで失礼するのぜ!」
歌舞伎町に戻り、一番街のゲートを横切る途中で瀬名さんはゲートの中へと入って行った。
家が無い瀬名さんが日頃歌舞伎町にいる時に暮らしている、インターネット喫茶がその通りにあるのだ。
「おやすみなさい〜」
俺達は瀬名さんに元気良く手を振り、渚にも集中して手を振って歌舞伎町の奥へと消えていく彼女。
一番街とドン・キホーテを横切れば、長内さんが暮らす黒百合のあるあずま通りまですぐだ。
「じゃあ二人とも……渚ちゃん、今日もおつかれさま……」
「はい、お疲れ様でした」
「黒百合はすぐそこでも、中に入るまでの間は油断しないようにな」
「ありがとう、真緒ちゃん……」
「ちーちーばいばい」
「うん……ばいばい渚ちゃん……みんな……」
それから長内さんと別れた後……歌舞伎町とゴールデン街から外れた辺りの交差点で、最後に真緒さんとお別れする。
「ふぅ……では私はいつも通りここまでだ」
「はい……お疲れ様でした真緒さん」
「まおちお疲れ」
「う、うむ……夜の東京は本当に危ないからな、いざという時は兄貴だけでは無く私の事も頼るといい」
「うん、ありがとう」
「お前も兄貴としてしっかりと面倒を見てやるのだぞ」
「分かっていますよ」
二十三時になると、飯田さんを新宿駅まで送り、瀬名さんと一番街前で別れ、長内さんを黒百合まで送って、真緒さんとゴールデン街外れの交差点で別れる。
それが俺がいつも過ごしている、深夜になった時の彼女達との別れ方だ。
仕事が少しだけでも変わったとしても……それだけは一年前から変わらない。
「ではさらばだ」
「おやすみ〜」
……しかし、唯一変わっている事は四人がいなくなっても……独りには戻らず、俺の隣には渚が立っているという事だ。
「……」
俺と渚の二人だけとなり、靖国通りのど真ん中で立ち止まったまま、お互いに沈黙している時間が数秒の間流れた……
「それで……貴女これからどうするんですか?」
「だから泊まるよ。 ホテルかどっかに」
「ここら辺は高いですよ……今いくらお持ちなんですか?」
「二千円」
「ええ……」
やはりそうだ。
アルバイトも出来ないような年齢である彼女が、東京で一泊二泊を過ごせるだけのお金を持っている訳が無い。
「貴女……それだけのお金で東京の夜を過ごせると思っているんですか?」
「家の近くのカラオケは、千五百円で朝まで泊まれる所があるよ」
「……あのですね、東京と千葉とでカラオケの値段が同じな訳が無いでしょう」
「あ……」
「それに青少年法というもので、貴女ぐらいの年齢の人は、二十二時以降はお店に入れさせて貰えません」
事実を突きつけていく度に、渚の顔が暗くなっていく……と思いきや、それがどうかした? と言わんばかりの何でも無い真顔を浮かべている彼女。
「貴女……あの時飯田さんと一緒に、電車で帰れば良かったじゃないですか」
「それはそれで、館山に帰るまでの電車賃が無いもん」
「ええ……」
「それに暫くの間は……家に帰りたくないし」
「……え?」
彼女が弱々しく放った言葉を最後に、渚の顔が徐々に暗くなっていく……
千葉の方の仁藤家で、何かあったのだろうか。
「まさか……家出してきたとかですか?」
「うん……」
一瞬、図星を突かれたような顔をした後、彼女の顔が更に悲しそうな暗そうなものへと変わっていく……
ただでさえ万全では無い状態で東京で泊まるな。
……と言いたい所だが、初めて俺も歌舞伎町にやって来た時は、金が無一文であろうがそれでも構わないと無鉄砲になっていた面があった。
後の事を考えず、ただ自由になる為だけに東京にやってきた……。
今の渚は、六年前の自分自身を見ているようであった。
「……仕方が無いですね」
「……えっ」
「俺が何とかします……着いてきてください」
「うん……」
とにかくこの少女を、このまま夜の東京に野放しにしておく訳にはいかない。
そう思って俺は渚の手を取り、自分の現在の家である、花道通りの皇組事務所へと戻って行ったのであった。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
……その後、事務所の前まで戻ってきた俺達。
「お兄ちゃんのお家って、どこ?」
渚はアパートなど無い、事務所のあるビルを見上げて、俺がどの階に住んでいるかを探っていた。
「……二階です」
「あーね」
……ここで一つ大きな問題がある。
渚は俺が極道関係者だという事を知っているかどうかという事だ。
もし知っているとしたら……ヤクザに会いに行くリスクを背負ってでも、家出をするまでの深刻な状態なのだろうか。
「これから貴女に……俺の育ての親である人を会わせます」
「そうなの?」
「はい、こちらです」
渚を連れて階段から二階へと上がる。
そして事務所の入口前まで辿り着き、その場所へと訪れた人の最年少記録が達成されようとしていた。
中から人の気配がしないのと話し声が聞こえてこない。
兄貴達はまだ仕事から帰って来ていないのか。
「とりあえず貴女は、ここで待っていてください」
「うん」
小声で渚にそう伝えて、扉を開けて素早く中へと入る。
「おかえり〜」
中では斬江がレザーソファに横になりながら、週刊女性の雑誌を読んでいた。
「誰連れてきたの〜?」
「……!!」
俺がただいまと言うよりも早く、俺と目を合わせるよりも早く、そう質問した事で俺の心をがっしりと掴んだ斬江。
……そう、彼女の前では、とある理由で俺の隠し事やら何やらも全てお見通しなのである。
「その事について、今から話そうと思っていた所なのですが……会わせたい人がいるんです」
「……いいわよ」
ソファから起き上がりながら、こちらを注目している斬江。
俺は扉を開けて、すかさず渚を中に入れようとした。
「……入っていいですよ」
「お……お邪魔します」
事務所へと入り、スーツの裾を掴んで俺の後ろにちょこんと隠れている渚。
極道の事務所にはまず来る事の無い、中学生ぐらいの彼女を見て、斬江は口が半開きになっているのと同時に、垂れ目の方も徐々に見開かせていた。
「あら……あらあらあら!」
ソファから立つと、斬江は渚に近づいて彼女を抱きしめた。
実はこの斬江、大の子供好きなのである。
「わぷっ」
抱き締められたまま、何をしていいか分からない様子の渚は、斬江の胸に顔を埋められて苦しそうにしていた。
「ところで誰この子、ここら辺じゃ見ない顔だけど……大和の新しいお友達?」
「その人は……俺の妹です」
「妹!?」
黒百合で飯田さんや瀬名さんと同じようなリアクションを取り、俺と渚の顔を交互に見ている斬江。
「どういう事なの」
「……」
……説明しろと言われると大変ややこしい内容なのだが、それから俺は今の渚は金を持っていない事と、家庭環境が嫌で家出してきた事などを全て彼女に離した。
「家出ねぇ……正しく六年前の貴方そのものじゃない」
「……はい」
六年前に神奈川の俺の家で何があったのか……それを知るはずも無い渚は、俺の事を不思議そうな表情で見つめていた。
「とにかく来ちゃったものは仕方無いわよね〜」
そう言いながら斬江は、渚を自身の胸から解放すると、彼女の頭を撫でながらこのような結論を導き出した。
「……いいわぁ、暫くの間は近くのアパートに泊めてあげる」
優しい眼差しに照らされていた渚の顔が、ぱぁっと明るくなる。
「……宜しいのですか?」
「ええ、でもご両親とかから電話が掛かってきたら、電車賃をあげてでも千葉に返してあげるのよ?」
「……分かりました」
しかし、深夜になった今も尚、渚のスマートフォンに電話が掛かってくる様子が無い。
本人が親からの着信を拒否しているのか、それともただ単に両親が渚を心配していないのか……再度俺の裾を掴んでくる渚の姿が可哀想に思えてくる。
「……しかし、アパートというのは?」
「ああ、うちの人達がお仕事の為に使っていた物よ……もう撤退させる所だったんだけど、丁度いいからこの子に貸してあげるわ」
「ありがとう……ございます」
斬江と直接目を合わせる事が出来なくても、しっかりとお礼を言った渚に彼女は微笑んだ。
「そして大和……今日から貴方も、渚ちゃんと暮らしなさい」
「……えっ」
「その代わり家賃、水道光熱費、渚ちゃんへの食費は貴方に負担してもらうわ……てか渚ちゃんも、お兄ちゃんと一緒にいた方が安心でしょう?」
渚の方を見ると、斬江の質問に頷きながら、俺の方を申し訳なさそうな顔をして上目遣いで見ていた。
突然やって来て色々と迷惑をかけさせられる、六年前に俺を拾った当時の斬江もこのような気持ちだったのだろうか。
……だが今日まで送ってきた、兄貴達と一緒に寝ていた共同生活に終止符を打てるというのであれば、これ以上の贅沢は無い。
「……了解しました」
「それじゃあ早速、そのアパートまで案内するわね」
「お願いします」
「……おねがいします」
俺の真似をして、斬江に頭を下げる渚。
「やっぱり貴方達って兄妹よ」
そう言ってふふっと笑われながら、着替えなどを鞄に入れて簡単な支度をした後、俺達は外へと出た。
斬江が誰かに電話をした後、暫くしてから黒いクラウンが俺達の前にやってきた。
「どうぞ乗って〜」
「……失礼します」
「失礼……します」
そうして斬江と渚と俺を乗せ、クラウンは歌舞伎町から出て……着いた先は早稲田大学が近い大久保までやってきた。
そしてアパートの手前でクラウンが止まり、俺達は車から降ろされた。
○○荘と書かれたそのアパートは……昭和時代から建てられた物なのかとても古そうだが、都心内にあるアパートという事で、家賃はそれなりにかかりそうである。
「はいこれ鍵」
後部座席の窓が空き、そこから部屋の鍵を斬江から手渡された。
「部屋は一階の一番奥よ。 あと明日の予定は分かってるわよね?」
「はい……八時に事務所で集合ですよね」
「そうよ、遅れないようにね。 それじゃあ私はマンションに戻るから。 渚ちゃん、ゆっくり休んでね」
「ありがとうございました……」
こうして渚のぺこりとしたお辞儀に手を振った事を最後に、斬江は後部座席の窓を閉めると、クラウンを組員に運転させて歌舞伎町へと帰って行った。
渚は手前の曲がり角でクラウンが見えなくなっていく様子をいつまでも眺めていた。
「優しそうなおばさんだったね……」
「そうですね……あとそのおばさんというのは、本人の前では絶対に言わない方がいいです」
「ふふっ、分かったよ」
「……とりあえず中に入りましょう」
「うん」
……今日から唐突に始まろうとしていた、今日で初めて出会った渚との二人暮らし。
実質それは、将来起こり得る俺と彼女との二人暮らしの為の、練習になる機会とも言えるであろう。
とりあえず事務所の冷蔵庫から拝借してきた材料で、渚に飯でも作ってやるか。
マグナも後で事務所から取りに行かなければ……それらを思いながら俺は、渚と共に一階の一番奥の部屋へと向かったのであった。
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