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「あら、嫌だ。雨が降ってきたわ」
高級レストラン「ド・ロレッタ」で食事をしていた二人は、デザートに差し掛かるところで窓を叩く雨に気が付いた。
その音は急激に強くなってくる。窓にも水滴が流れ始めた。
「大雨だな」
頷いたジュリアは少し不安そうな顔をしながら、ワイングラスを手に取って口に運んだ。
最後の紅茶を終えても雨は止まなかったが、そのまま馬車でジュリアを送ることにした。
ますます雨脚は強まり、屋敷に着く頃には土砂降りになった。
横殴りの雨に、傘を傾けてジュリアを抱えるように屋敷の門を潜ると、玄関に着いた時にはロメオはびしょびしょだった。
なんだかそれが可笑しくなってしまって二人で笑い合う。
「ロメオ、このまま帰ったら風邪をひいてしまうわ。少し暖まって、乾かして帰ってちょうだい」
仕事相手でもあるジュリアの父も出てきて、ロメオに暖炉のある部屋を勧めた。
ロメオはありがたくその申し出を受け、コートを脱いで暖炉の前で乾かす。
炎の前の椅子で一息つくと、ジュリアがカップを乗せたトレーを手に入ってきた。
濡れた服を着替えた彼女はシンプルなワンピースで無防備だ。
「少しは暖まった? ホットミルクをいかが?」
「眠くなって帰りたくなくなりそうだ」
苦笑しながらジュリアからカップを受け取り、そのまま彼女を腕の中に閉じ込める。
膝の上に座らせると、彼女のワンピースのパフスリーブが頬を撫でた。
「柔らかくて気持ち良い生地だな」
「ふふ。亡くなった母のものなの。母は着心地が良いものを好んでいたから。素敵でしょう?」
「うん」
ロメオはジュリアの首元に顔をずらし、息を吸い込んだ。コロンなのか、甘い匂いがする。
魅力的で、扇情的で、頭が痺れる。
くすぐったいのか、ジュリアはくすくす笑い出した。
幸福を感じ、ロメオは目を閉じた。
このまま、仇探しなどやめてしまおうか。やめてしまえば良い。
この三年間、捕まえられなかったのだ。今後も難しいだろう。
観劇を見た時に感じたではないか。
復讐などせず、前を向き、生きれば良い、と。
このままジュリアと結婚し、子どもを育て、幸せな家庭を築く。幸せが、目の前にある。
それでいいだろう。
柔らかな身体をより深く知りたくなり、ロメオはジュリアの背中を強く撫でた。
ジュリアはびくりと震え、悪戯をしたロメオの手を止める。欲望に、気付いたらしい。
「だめよ。もうじき結婚なんだから。神に誓うまでは」
「……分かっているよ」
ジュリアの肩をポンと叩き、帰ることを告げたロメオは、椅子に掛けておいたコートを手に取った。
びしょ濡れだったが、もうおおむね乾いてきている。
玄関まで送ってもらい、名残惜しげに頬に唇を落とした。
「ジュリア、風邪をひかないように。おやすみ、良い夢を」
「ありがとう、ロメオ、あなたもね。おやすみなさい」
雨はまだ降っている。
手を振って、ゆっくりと扉が閉まった。
馬車が動き出した音を確かめて、ジュリアは扉に背を向けた。
大きく身体を伸ばしてよじる。背中から、ぱき、と音がした。
それから右脇腹を強く撫でる。
傷跡を、押さえるように。
傷跡を、確かめるように。
「……ああ、痛い……」
──こんな大雨の日は、特に。
Fin.
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