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 センチュリオンの神、それは選ばれた5つの家の一族が受け継ぐことになっている。  決められた一族の子供だけなので、年齢で対象の子供がいない場合は、その期間その家の神の椅子は空席となる。  今は4人の神がいるけどと聞いていた。  自然の事象から、火・水・土・風・光、そのどれかの神と呼ばれるそうだ。  ルザラザの兄は、砂漠の国サイードの王子であり、正妃の子供であることから継承権が高く、今後王になる可能性があるらしい。  サイードの一族は土の神と呼ばれている。世界に流通する石油のほとんどを占めると言われているサイード王国の次期国王候補、弟のコネで天国行きの切符はもらえても、彼に天使として選ばれるかは難しいと思っていた。  サイード国は一夫多妻制で、たくさんの妃をもつことが男らしく優秀なリーダーであるとされる。  恋愛もかなり自由でなんと男の妃までいると聞いた。いくらただの小間使いでも、とても文化が違いすぎて、付いていけないだろうと考えていた。  聖堂内はたくさんの生徒でひしめき合っていた。遥か遠くに祭壇が見えて、そこで神達が祈るらしいが、何をしているか遠すぎて見えないくらいの位置った。  周りから興奮状態の熱気を感じながら小一時間立ちっぱなしで神達の登場を待たされていたら、呼吸が苦しくなって眩暈がしてきた。 「ルザラザ、ちょっと外の空気を吸いに行ってくるわ」 「大丈夫?レイ、真っ青だよ…」 「ああ、大丈夫。よくある事だからすぐ治る」  広い空間とはいえ、周りを人で固められて逃げ道がないというのは、密室に近かった。  俺は閉所恐怖症で、日本を出るときは薬に頼ってなんとか飛行機に乗り込んだほどだった。  付いていくというルザラザを、大丈夫だからと言って残して俺はやっと外に出ることができた。  激しい動悸と震え、何年経っても俺の体に刻まれた恐怖は消えない。  こういう時は一人で静かに落ち着くまで耐えるしかない。ずっとそうやって生きてきた。  これからもずっとそうだ。  一生付き合わなければいけない恐怖は、対処法を間違わなければどうってことはない。  荒い呼吸をしながら、ゆっくりと歩いて聖堂の裏手にまでやって来た。  鳥の囀る声が聞こえる長閑な空気の中、ひとり重い体を引きずって水道のあるところまでたどり着いた。  こんな事なら薬を飲んでおけばよかったと今さら後悔していた。普段の生活には問題がないので時々忘れてしまいそうになる。  だが、あの男との生活は俺の根幹に深く根付いて一生剥がれてはくれないだろうと感じていた。  親戚中たらい回しになっていた俺を最後に引き取ったのは、遠縁の男だった。  その男はオジサンと呼ばれていたが、独身の40過ぎの男に子供を任せるなど、ありえない話だ。よほど困っていたのだろう。それなら施設に預ければいいのに、本家が世間体を気にしてそれは許可が下りなかった。  男は9歳の俺を預かる代わりに、本家からの金を手に入れた。  オジサンはもともと何をしていたのか分からない男だった。いわゆるチンピラというやつで、一族からも厄介者として疎まれていた。  昼間からパチンコに出かけて、夜遅くに帰ってきてはたいてい飲んでいて暴れた。  寝ている俺を叩き起こして散々殴った後、吐いて眠ってしまう。毎日その繰り返しだった。  当然学校になど通わせてもらえず、男が食べ残した残飯などをあさって飢えをしのいでいた。  家の裏手が学校だったので、日中は窓から外を眺めながら楽しそうに遊ぶ子供達の声を聞いて過ごし、夜はオジサンの暴力に耐えながらなんとか生きていた状態だった。  天井に穴が空いた安アパート、壁は薄く周りにも声が聞こえていたが、オジサンは強面で体もデカく、誰も文句を言ってくる人間はいなかった。  ある時、オジサンに女ができた。  スナックで働いていた女をオジサンはママと呼んで夢中になった。  ゴミの散乱する家に女を呼んで昼間から情事に耽った。  その時俺はいつも押し入れに押し込まれて、ひたすら息を殺してそれが終わるまで耐えた。  学校にも通わせてもらえない痩せ細った俺を見て女は不憫に思ったのだろう。  ある時、オジサンがいない隙にやって来た女は俺にお菓子を渡してきた。  親戚の家で一度だけ食べたことがあるチョコレートだった。渡されたお菓子を夢中で食べる俺を見て女は微笑んだ。  玲くんって…可愛いわね。  真っ赤な唇がグッと高く持ち上げられて、鼻につく強い香水の匂いがした。  水道の蛇口を勢いよくひねって水を出した。そこに頭を突っ込んで頭の先から冷やした。  ジメジメした日本の気候と違い、こちらは濡れていても気にならないくらいの時間で乾く。  ぼたぼたと髪から水が垂れていたが、眩暈を感じていた頭に冷たい水は心地良かった。  聖堂からは歓声が聞こえて来た。きっと神達が現れたのだろう。ずいぶんと待たせたが、当たり前のような顔をしてご登場していそうだ。  戻ろうかと思ったが、どうせ小指の先くらいしか見ることができないだろう。  正直なところ、足にも力が入らなかったのでその場に座り込んだ。  誰も来なそうだししばらく横になろうと、近くに敷かれた芝生の上まで這って行き寝転んだ。  太陽の光がジリジリと肌を焦がしていくように強かったが、濡れた頭にはちょうど良かった。  儀式が始まったのだろうか、聖堂から聞こえる音楽はスローテンポで眠りを誘うものだったので、片手を目の上に乗せたまま俺は眠りの世界に入ってしまった。 「きみ……」  どれくらい経ったのだろうか、太陽の光が熱すぎてのぼせそうだと思いながら、意識がゆっくり戻ってくるのを感じた。 「死んでるの?」  そういえば自分は草の上に寝転んでいたなと気が付いた。この学校でそんな事をするやつがいると思えないだろうから、死人と間違えられてもおかしくない。  しかし寝覚めが悪い俺は目が覚めてもしばらく動きたくない男だった。  見回りをしている教師か学校関係者だろう。実際その通りであるし、調子が悪かったと言えばやり過ごせるとまだ寝ている方を選んだ。 「死んでない」  とりあえず聞かれたことだけは答えて眠気に体を任せていたら、頬を押される感触がして、何事かと顔に乗せていた手を外して飛び起きた。  俺は虫に刺されたのかと思って頬を確認したが何も付いていなかったので、ほっと胸を撫で下ろした。  その時、目の前に太陽を背にして、俺と同じように座り込んでいる人が目に入った。  シルバーに近い白金色の髪がふわりと風になびいていた、アメジスト色の瞳は大きく開かれて本物の宝石のように輝いて見えた。  少し垂れ気味の目は甘い印象だが、キリッとした眉と高い鼻梁に薄い唇が男らしさを醸し出していた。  長い髪は女性のように編み込まれて胸の下まで伸びていた。  神々しいまでの透明感のある美しさに、同じ制服を着ているが、本当に同じ人間なのかと思わず見惚れてしまった。 「びっくりした?ごめんね。美味しそうな頬っぺただったから、ツンツンしちゃった」  高すぎず低すぎず、耳触りの良い声に聞き入ってしまいそうになったが、よく見るとその男は人差し指をちょんと俺の顔の前に持ってきた。それがツンツンを意味しているのだと、呆けていた俺は遅れてやっと理解できた。 「…ああ……そうか」  気の抜けたような返事しかできなかったが、男は目を開けたばかりの俺の瞳を覗き込むと、ぐっと顔を近づけてきた。 「わぁー、綺麗なブラック。黒曜石みたいだね」 「は?…なっ……」 「髪の毛濡れてるけど水浴びでもした?黒い髪が濡れてるところがセクシーだね。こんな所で何していたの?まさか堂々と道で昼寝?」  矢継ぎに質問されて頭がこんがらがってしまいそうだった。どうやらよく喋る男らしい。ルザラザも陽気なタイプだが、この男は陽気というよりは単純な好奇心のかたまりに思えた。一見透明に見えるが中が見えないという不安定な印象を受ける。つまり何を考えているか分からない苦手なタイプだと感じた。  それに初対面で距離を詰めてくるなんて、失礼なやつだと俺は後ろに引いて距離をとった。 「気分が悪くなって頭を冷やしただけだ。体調が戻るまでそこで横になっていた。邪魔になっていたなら謝る」 「そうだったんだ。起こしちゃってごめんね。あまりにも無防備だったからさ。体調は大丈夫?医務室へ連れて行こうか?抱っこしてあげるよ」 「……いや結構。気遣いはありがたいが、もう回復したし、変な助けはいらない」 「いいね、ガードが固くて君みたいな子は新鮮!俺は最上級生のアルメンティス、アルティって呼んでくれると嬉しいな」  この学校にはよく分からないが、初対面でぐいぐい押してくるやつが多い。しかもこいつは、ちょいちょいセクハラじみた発言を感じるし、関わりたくないと俺はまた後ろに一歩引いた。 「どうも、アルティさん。じゃ俺はこれで。良い一日を」  さっさと逃げるために立ち上がった。踵を返そうとしたら腕をぐっと掴まれた。  軟そうな男に見えたが、意外とかなりの握力があった。しかも背は俺の頭一つ分くらい大きくて、立ち上がると見下ろされることで威圧感を感じた。  ただの威圧感ではない。この男、アルメンティスからは普通の人間とは明らかに違う、従わなくてはいけないような圧力を感じて、思わず手を振り払うことができなかった。 「逃げないでよ。俺の猫ちゃん。君は俺が見つけたんだから…」 「っつ……!!」  ふざけた事を言われて頭にきたのに、足が石のように固まって動かなかった。  それはアルメンティスの瞳の奥に燃えるようなナニカを見てしまい心臓が鷲掴みにされたようにぎゅっと音が鳴ったからだ。  軟派な雰囲気を出しながら、掴んできた力は強く、その目は鋭く射抜かれるような強さがある。  一体何者なのかと背中に冷たい汗が流れ出したところに、バタバタと走ってくる足音が聞こえた。 「いたーーー!!こんなところに!アルメンティス様!もういい加減にしてください!」  チッと舌打ちの音が聞こえて掴まれていた手が離された。  聖堂の中から黒い制服の男が出てきた。薄茶の髪を短く切り揃えて、丸くて大きな眼鏡をかけた人が良さそうな、そして苦労していそうな顔をした男だった。 「今日は出ないと伝えたはずだが、お前もしつこいな」 「確かに担当じゃないですけど、とりあえず座っているだけでも必要なんです!我慢してください!」  アルメンティスが少し前のおどけた顔に戻って、何やら二人で揉め出したので今が好機と俺は静かに二人から離れて走り出した。  少し離れたところから振り返ると、まだギャーギャーと揉める声が聞こえたので、どうやら上手く抜け出せたらしい。  あの雰囲気からどう見ても天国区画の生徒だろう。ルザラザのコネを使って、もし入れることになっても、お近づきにはなりたくない部類だ。  どうも腹の中が読めないし、軽そうなやつと見せかけて、俺の手を掴んだ時の態度が別人で恐ろしかった。  聖堂の中からは歓声と拍手の音が溢れてきた。今中に戻ったら、熱気にあてられてまた気分が悪くなりそうだと思った。  入り口に教員が立っていたので、体調不良だと伝えて、寮へ戻る道を開けてもらった。この学校はどこへ移動する時も格子がついた門で閉じられていて、いちいち許可を取らなくてはいけない。  出入りも厳しくチェックされていると聞いてますます嫌気がさした。  結局、ルザラザの兄を確認することができなかった。あまり会う機会もないと聞いていたので、チャンスがあったら挨拶くらいはしておきたいと考えていたのに、全く擦りもしなかった。  昔の事を思い出してまた発作が起きるし、よく分からない変なやつとだけ話しただけでなんの収穫もなかった。  ひどい一日だったと肩を落としながら、俺は一人寮に向かって重足を引き摺るように歩いたのだった。  □□□
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