一 ~禰床島へ

12/12
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/18ページ
 もう目の前いっぱいに、『虹橋楼』の建物が見えていた。  四階建てと聞いていたし、楼閣の意味や絵は書物で見て知っていたが──マナオにとっては、未曾有の巨大さだった。  あと五、六歩で、その玄関に着く。……そういうところまで来ていた。 「この中に入ったら──相手がどんな人間か、わかりきるまで、何の感情も出すな。思ったことをそのまま口にするな。……怒り、泣くだとかは論外だ」  ──そんな……  あと二歩……といったところで、マナオは足を止める。   「こんなところ……入りたくない。大体、どうして、こんなところまで来なきゃならないの……俺は、立島の観音崎へ行くだけだったのに」  先に禰床島へ行く舟に乗ってしまった、からだ。確認しなかった自分が悪い。   「──間違って、禰床に来る舟に乗ったのは、俺が悪かったです。……ちゃんと舟賃を払います。だから……」  マナオは、虹、橋、楼、と文字が白抜きに染められた暖簾を目前に、身を真っ直ぐにして、ぐっと立ち尽くそうとした──が、イサミの引き締まった胸や腕に、包まれるだけだった。    イサミに、だらりと下げた手の先を握られ、自分の指が小刻みに震えていることに初めて気づく。 「……そういうのは、楼主に言え。──これから出てくるのは、おそらく、ショウという若頭の男だ。何があっても、この男は信用するな」  本当に最後、イサミに、右手を上からギュッと握られた。  物凄い握力で──潰されるかとマナオは思った。  それと、心臓をも、……掴まれた様な感覚がした。  最後にイサミがそうしたのは──何があっても生きる覚悟を決めろと、でも、言いたかったのか──…    禰床島きっての男娼館、『虹橋楼』──そこにマナオが踏み入った時……この世を変える歯車も、回り始めた……。  
/18ページ

最初のコメントを投稿しよう!