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『もしもし、急に悪い。えーと、須藤君?』
「あ、はい。ども」
先ほど聞こえた穏やかな声の男だ。こいつが坂内の兄らしい。柔らかい話し方で、清巳のイメージしていた人物像とかけ離れている。
『和也の兄です。俺らの悪ふざけが原因で迷惑かけたみたいで、悪かったな』
「いえ、部活動のついででしたから」
『ああ、オカ聞部だっけ? 中学の時よく読んでたよ』
朗らかに会話を続けられてしまった。
(坂内から最初に聞いていた感じとだいぶ違うな……全然気性が荒い感じしないぞ)
話をどう切り上げようか悩みつつ、清巳は首を傾げている。
『一緒に山に行った奴の兄貴も、オカ聞だったんだよな。懐かしい。今もオカルトな内容なの?』
「オカルト新聞部ですからね。」
『はは、そうだよな。……っと、悪い。謝ろうと思っただけなんだ。話し込んで悪いな』
「いえ、気にしないでください」
『和也に代わるよ』
声が離れ、再び坂内が出る。
『ごめん、僕がビビりすぎて学校さぼってたこととか、須藤がそれで山に行ってくれたこととか話したら、原因は自分らだし、申し訳ないから謝るってうるさくて』
うるさいってなんだよ、と坂内の後ろから声がする。ごめんってと笑って返す坂内は、どう見ても仲の良い兄弟だ。
「……なんか、良い兄ちゃんだね」
『うん』
即答だった。『優しいよ』
「……ふーん」
『あ、ごめん話し込んで。……そんなわけで、怖いこともなくなったし、明日から普通に学校行くよ。それじゃ』
「うん、それがいいよ。じゃあ……、あ、悪い、ちょっと待って」
ふと思いつき、通話を切ろうとする坂内を慌てて止める。
『うん? なに?』
「大したことじゃないんだけどさ。さっき坂内の兄ちゃんが、一緒に山に行った人の兄弟が新聞部のOBだって」
『ああ、佐藤さん?』
「その人。もしかしてなんだけど、その佐藤さんのお兄さんって今23歳?」
『え? えーとどうだったっけ……』
兄ちゃん、佐藤さんのお兄さんって今年で23歳? と須藤が兄に確認を取り、
「23歳だって。何で知ってんの?』
「あー……いや、昔の部誌見てたら香迦師山をテーマにしたやつあって、その担当した人が確か佐藤って名前だったなって思い出してさ。まあよくある名前だから違う佐藤さんかもしれないけど」
『へー。なんか面白いね。……そういえば、紅葉見に行こうって最初に話してたの、佐藤さんだったな。もしかして、そのテーマって紅葉がどうとかってやつ? 昔から早く紅葉する場所だったのかなあ』
「うんまあそんな感じ」
『あ、やっぱりそうなんだ。だから佐藤さん、あの場所知ってたのかな。お兄さんに聞いてたとか』
「そうかもね」
そうか、とやけに坂内が納得している。
「佐藤さんが誘ってきたのに、あの場所見て一番びっくりしてたの佐藤さんだったから、どうしたんだろうと思ってたんだ。お兄さんから話に聞いてただけで、半信半疑だったのに本当に紅葉があってびっくりしたのかな」
「そうかもね。……結局全部兄貴たちのいたずらだったんなら、あんなすごい紅葉をまた見に行ったりしないの?」
「行かない」
何となくの問いかけだった。清巳は泣くほど怖い思いをしたから二度と行かないと心に誓っているが、何やら諸々が解決したような須藤ならまたあの景色を見に行きたいのではないかと、そう思っただけ。そんな軽い問いかけに即答されて、思わず口ごもる。
「綺麗だったけど、登山はやっぱ疲れるよ。僕インドア派だし、それに」
兄ちゃんはお勤めを終えたばかりだしね。
「……え?」
「あ、ごめん母さんが呼んでる。そろそろ切るね」
「あ、うん。それじゃ」
電話を切って、そのままずるずると床に寝そべる。小さな声で呟いていた、須藤の言葉の意味が分からない。わからないことばかりだ。なんだかひどく混乱して、清巳は床に突っ伏した。
○
「それではまず清巳くん。お疲れさまでした」
喫茶プラトンというのが、学校外で清巳と遠野が落ち合う際によく訪れる喫茶店だ。窓から明るい日差しが入る席を陣取った二人の前には、苺パフェとチーズケーキ、そしてコーラが二つ並んでいる。
「労いの気持ちを込めて、約束のコーラは二杯に奮発しました」
「日を分けて一本ずつって発想はなかったんですかね?」
まあまあと笑う先輩に溜息をつき、清巳はチーズケーキをフォークでつついた。
「まあ、ありがたくいただきます」
「どうぞ」
しばらく無言で甘味を味わう。もぐもぐと咀嚼している目の前の遠野の髪が、窓からの陽が当たってきらきらと光っていた。
「……そういえば、前にここで髪の毛の力の話しましたよね」
ふと思い出して言うと「ああ」と遠野が頷いた。
「ふくふくたる長い髪には力が宿るってやつ」
「それです」
「その力を清巳くんは実際に目の当たりにしたわけだね」
「え?」
クリームの上で赤く輝く苺をフォークで刺し、「お守りだよ」と遠野が言う。
「あのお守りの中、そういう力のある髪の毛が入っていたんだ」
「えっ」
「私のじゃないけどね」
じゃあ誰の。
艶やかな黒髪を凝視する清巳にそう言って「それにしても」と遠野が続けるので、仕方なく清巳は言葉を飲み込んだ。
「人形じゃ力足らずで、お守りで効果があったわけか。なかなか相手は強敵だったんだねえ」
「強敵……」
考えるのが面倒になって、清巳はコーラを一気飲みした。
「ぷは、」
「おおすごい、一気に飲んじゃった」
目を丸くする遠野をじとりと見る。誰もかれも意味深なことばかり言うのだ。もっとストレートにわかりやすく言ってくれる奴はいないのか。
「なんか今回、本当にいろんなところからいろんなよくわからないこと言われて、俺はもう何が何なのかさっぱりなんですけど」
「おや、いろんなとこって?」
「先輩とか坂内とか坂内兄とかうちのアパートの隣の人とか」
「隣の人」
きょとんとする遠野に、かいつまんで説明する。
榎本の、「須藤でも坂内でもどっちでもいいから捕まえたかった」「修行が必要」という言葉。
坂内の躁的な明るさと、やたらと良さそうな兄弟仲。
新聞部OBである佐藤さんの兄と、自分が言いだしたのに紅葉を見て驚愕した佐藤さん。
坂内の話で感じる矛盾点。たかが数人の高校生の悪ふざけだけで、あれほど怯えるものだろうか。そもそも悪ふざけというにはあまりに無理があるのではないか。
そして何より、「お勤めが終わった」とは?
一気に話して乾いたのどをコーラで潤す清巳の前で、「そういうことか」と遠野が呟いた。
「え、なんかわかったんですか?」
「わかったというか、ただの私の妄想だけどね。ていうか清巳くんの隣人謎すぎるね」
「妄想でも何でもいいです。みんな自分ばっかりわかったような顔しやがって」
「おや、なんか拗ねてる?」
「拗ねてないです。いいから、その妄想を教えてくださいよ」
水を一口飲んで、「えっとね」と遠野が言う。
「うまく話せるかわからないけど、それじゃちょっと聞いてくれるかな」
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