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地蔵とは、人を救う神様らしい。だからすべては救おうとしているのではないかとと遠野は言った。
「香迦師山だけどね、一説には香迦師様っていう修行僧がその山で亡くなったから、香迦師山って呼ばれるようになったらしいんだ。その香迦師様は修行として各地を訪れながら、心の歪んだもの――まあ不良とかやくざ者とか、そういう人たちを救済と称して改心させていたらしいのよね」
「不良の改心?」
「なんか、あれって思わない?」
少しでも素行に問題ある人は絶対近寄るべきじゃない。霊感があるといわれていた昔の部長は、そう言って新聞部員を山から離そうとしていた。
「もしかして、ちょっとでもやましいところがある人が山に入ったら、その香迦師様に改心させられる?」
「多分、最初はそうだったんじゃないかな。本当に徳のあるお坊さんだったらしくて、彼が亡くなってからも、救いを求めてそういった人たちが山に入ってたらしいよ。だけどやっぱり救いようのない人っているじゃない。救われたいけど変われない人。自分をクズだと思って居て、クズじゃなくなりたいと思っていて、でも変われない人たち。そういう人たちが絶望して、八つ当たりみたいにそこで死んだり、人を攫ってきて殺したりした」
「そんな無茶苦茶な」
そうして時が経つにつれ、何かが歪んでいった。
「六地蔵がいたって言ってたよね。新しいのと古いのと」
「はい」
「ここから本当に妄想爆発って感じだから、鵜呑みにはしないでほしいんだけどね」
人が多く死んだり、恨みや憎しみの感情が染みついた土地はやがて穢れる。亡くなった後、信仰され、神様になっていった香迦師様。穢れた場所にいる神様も、やがては歪んでいく。
「そうして、問題がある人間、言ってしまえば“悪い人”を強制的に改心させるようになった」
救われるためには修行をしなければいけない。無理やりにでもしばりつけて、改心をさせる。
「私たちの先輩の、新聞部の佐藤さんも、坂内君のお兄さんたちも、みんな修行をさせられたんだ」
「どうやって?」
「地蔵になって」
歪んだ神として力を強めてしまった香迦師様は、山を訪れた“悪い人”を改心させるために、地蔵の姿を与えた。
「元に戻るには、香迦師様が認めるような優しい良い人間にならなくてはいけない。そうやって、その六地蔵さんたちは、悪い人が地蔵になって、良い人間に改心してって、ぐるぐるとやってきたんじゃないかな。だから山から帰ってきた人たちは、みんな“良い人”になっていた。まあ清巳くんの言う親分地蔵っていうのが、その香迦師様ご本人な気もするけど」
「その“悪い人”判定、ガバガバすぎません?」
「ガバガバになっていったんじゃない?」
そうやって、香迦師様が判断する“悪い人”たちは、けれど次第に巡りが鈍くなっていった。
「まあ単純に時代の流れじゃないかな。今は山登りする人たち自体少なくなっているし、そもそも帰れるとしても、行方不明になるかもしれない山を上ろうとする人がいなくなった。極めつけは立入禁止になってしまったことだ。そしたらどうなる? お地蔵さんたちは、いつになったら修行を終える?」
「いつまでも終わらない……」
「そりゃ必死にもなるだろうよ。六地蔵の内、四尊は新しくて、二尊は古いんだったよね? 古い方の一尊が香迦師様だとすれば、みんな修行を終えられたのに、一人だけ取り残された人がいるってことでしょ? 紛い物の身代わり人形なんて見向きもしないで、そりゃ全力で清巳くんのこと追ってくるよね。お守りには勝てなかったわけだけど」
あれなら二人を守るくらいわけないだろうしね、と遠野が肩をすくめた。
お守りを投げつけたときの、悲しげな声を思い出す。もう少しで修行を終えられたのに、あと一歩で届かなかったが故の。
「一度山から返してしまったのはきっと、引き留めるだけの力がなかったんじゃないかな? 修行中のお地蔵さんだもの、最初は坂内君の方を狙ってたんだろうけど、一日一階分の階段を上るので精いっぱいだったんだろうね」
一口水を飲んで、遠野はふと窓の外を見る。つられて同じ方を向くと、仲良さげにじゃれ合う兄弟らしき子供たちが走っていった。
(坂内があんなに明るくて、兄弟仲がよさそうだったのは)
気性が激しくていつ爆発するかわからない兄が、穏やかで優しい人間になって戻ってきたら。それは喜ぶだろう。前の兄などいらないと、そう思ってもおかしくない。
(お勤めを終えたっていうのは、そういうことか)
なにをどこまでわかっているかは知らないが、坂内があの兄を好いて、守ろうとしているのは明白だった。
「最初に紅葉の話を持ってきた佐藤さんだけど、新聞部OBの佐藤さんの兄弟だとしたら、多分紅葉の話はでまかせだったんだろうね。年も離れているし、もしかしたら佐藤兄弟は仲が良かったのかも。香迦師山から戻ってきた兄がどんなに優しいいい人だとしても、認められなかったのかな。本当のお兄さんを取り戻すために、香迦師山に行きたかったけど、一人で行く勇気はなかった。でまかせで友達の気を引くことを話して、香迦師山に行ったんだ。行方不明になるかもしれないから、保険として坂内くんを連れて行って」
「要は坂内は囮ですか」
だから荷物持ちという役割を与えられたのに、ほとんど荷物も持たされなかったわけか。
「平たく言うとそうかな。それで、だから本当に紅葉があって、佐藤さん心底びっくりしたんじゃないかな……とまあ、そんなことを考えていたわけだけども。何か質問は?」
「いえ、めちゃくちゃな話ですけど、全部に説明がついたわけですし」
何より、清巳がその考えに納得してしまった。
「あれだけわけわからんことを体験したわけですから、非現実的だとは思わないです」
ほっとしたように遠野が微笑む。
「何言ってんだこいつって思われたらどうしようと思ってた。そう言ってくれてうれしいよ」
「先輩相手にそこまで思いませんよ」
「あはは、ありがと」
コーラまた頼む? と聞かれて結構ですと返す。飲みすぎた腹からたぷたぷと音が聞こえそうだ。
午後の日差しは強く、窓の外から見える木は艶々とした緑だ。まだまだ紅葉には遠い。
いつだって夜が近づいたら、隣にいる人の顔もよく見えなくなる。坂内にとって、目の前にいる人に違和感があっても、本物だろうが、本物のふりをしている偽物だろうが、優しい方が良いのだろう、
「何にせよ、無事に帰ってこれたし、締め切りも間に合ったし。いろんなことの説明もついたし。俺としてはもうこれハッピーエンドでいいですね」
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