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○
「禁域に入ったんだろうね」
話を聞き終えた遠野の第一声はそれだった。
「人間がうかつには行っちゃダメな場所。大方その紅葉狩りに行った所も、そもそも立入禁止だったんじゃない?」
「ご名答です」
「なーんで入っちゃうのかなあ……それで学校にも来れなくなるくらい怖くなってしまったってわけか」
ふぅと息を吐く遠野の表情はいたって冷静で、呆れているようだった。その気持ちは清巳もよくわかる。坂内にその紅葉の場所はどこかと聞き、返ってきた地名に「そりゃ呪われるだろ」と呟いたのは清巳自身だ。
「ちなみにその山、香伽師山っていうんですけど」
「えっ……嘘でしょ?」
遠野の顔が盛大に引き攣った。
香伽師山。
別名、お返し山。オカルトネタを求めて東奔西走した過去の新聞部部員たちが残した取材禁止リスト――遠野曰く、「ここだけはやめとけリスト」に燦然と名を連ねる場所だ。締め切りに追われた現新聞部委員からすれば「いいネタくれてありがとう」と「よりによってそこ?」の間で感情が揺れ動く。
「あの山かぁ……。いやでももう締め切りまで余裕ないし……」
額に手をやってぶつぶつ呟く遠野を見ながら、まあ悩むよなと清巳も溜息を吐いた。
新聞を書くには取材が必須だが、しかしあくまで中学の部活動だ。危険な目に遭ってまでやらなければならないことかと言えばそうではない。
(とはいえ、先輩も一緒ならそこまで危険な目に遭わないだろうし。香迦師山はやばそうだけど、まあ何とかなるよな)
呑気にそんなことを考えていた清巳の耳に、遠野の深いため息が届いた
「うーん、だめだな。ごめん清巳君、悪いんだけど、取材は一人で行ってもらえないかな」
「えっ」
思わず素の声が出た清巳に、遠野が申し訳なさそうに手を合わせた。
「本当は私も一緒に行きたいんだけど、というか行かないとやばいとは思うんだけど。ちょうど修学旅行なんだよ。私を待っていたら締め切りすぎちゃうし」
「修学旅行って……夏休め明けすぐでしたっけ」
「そう。スケジュールがひどすぎるって各所からブーイングあったらしいんだけどね。強行されちゃってさ」
これでは話が違う。坂内の話を意気揚々と持ってきたのは、遠野が取材に同行すると思っていたからだ。遠野がいないならいっそ、適当なネタをどこかからもってきて、香迦師山の紅葉の話などなかったことにしてしまいたい。いや、なかったことにしよう。そうしよう。
「先輩、」やっぱりこの話なかったことにしましょう。
続けようとした言葉は、目の前でぺこりと下げられた頭に遮られた。
「君が山に行っている間、ずっと連絡はとれるようにしておくし、お守りも大量に持たせるから」
「え、いや」
「それにこのままじゃ間違いなく君のクラスの子も危ないと思うし、頼むよ」
「ええー……」
心底嫌な声が出た。心底嫌な表情になっているだろう。けれど遠野にここまでされて「嫌です」とも言いにくい。深い溜息がこぼれた。
「……コーラじゃ足りないですよ」
不承不承の意を込めたらふて腐れた声になった。
投げやりな気持ちで窓を見ると、景色はいつの間にか夕日に赤く染まっていた。坂内の見た紅葉も、こんなふうに赤い世界だったのだろうか。清巳は想像しようとしてみたが、イメージがつかなかったので考えるのをやめた。
何にしろ、運が良ければ――清巳からしたら運が悪ければ、実際にその景色も見られるかもしれないのだ。
○
新聞部活動日誌 №8
平成21年8月11日 筆記者:田島康弘
テーマ対象:香伽師山(かがしやま)について
・観音市東部の夕映区と陽海区にまたがる標高1300メートルの山。我らが夕映中学校からは徒歩30分ほどの位置。
・「お返し山」とも呼ばれている。由来は二通り。
①「かがし」の音が濁って「かえし」になった。
②昔から行方不明者が出ては日を置いて帰ってくるという噂があるので、「迷い人を山が返してくれる」、故に「お返し山」なのではないかという説もある。(近隣住人より聞き込み結果)
・疑問点:行方不明者が帰るまでに1日~1週間ほど日を置く。なお、行方不明者が姿を消した時刻、戻ってきた時刻等に共通点は見られない。
・そもそも山に入る人があまりいないということもあり、行方不明の件数は多くない。数年に一人二人、特に近年においてはほぼ発生しておらず、前回の事例が二十年前で、その人も無事戻ってきたとのこと。なお、すでに県外に引越してしまい後追いは不可能。
・今回は、先月山で行方不明になり、1週間後に戻ってきた3年1組の井上孝文の幼馴染(※彼女ではない)和田さんからの依頼。山で何かしら手掛かりがつかめないか確認。ちなみに井上が山に入った理由はただの散歩のつもりだったようだ。
・フィールドワークとして:田島・佐藤のペアで次の土曜日に山の散策。
錦田部長へ
ばっちりネタ集めてくるんで石田の弱み教えてくださいね!(田島)
僕はそれより保健室で寝るの許してほしいです。あれさぼりじゃなくて瞑想なんで。(佐藤)
田島&佐藤へ
使用できるネタがあれば考えます。田島は石田先生を呼び捨てるのはやめなさい。(にしきだ)
平成21年10月3日 筆記者:錦田冬実
先々月8月に2年の田島・佐藤の二名が行った香迦師山フィールドワークについて。
今後何があろうとも夕映中学新聞部部員が香迦師山に立ち入ることを禁じます。部内ルールとしての決定事項です。破った部員は退部処理とします。また、理由について田島・佐藤他関係者に確認を取ることは許可しません。 以上。
平成25年6月12日 筆記者:浜野結
香迦師山が観音市立入禁止区域として指定されました。同所は本日をもって取材禁止リストへ追加します。
◆取材禁止リスト◆その4
H25.6.12 香迦師山 筆記者:浜野結
○通称お返し山。観音市指定立入禁止地域。新聞部での取材は「新聞部活動日誌 №8」にて記載。この時取材した部員二名が発端である生徒同様に異変が見られた。
○異変について:サボりや教師への反抗といった問題行動がなくなった。その他変化なし。親密に付き合っていた人達からはどうしても違和感があったとのこと。山に行き、何かあって改心した? 当時の部長曰く、「改心とかではない。近寄らない方が無難、というか少しでも素行に問題ある人は絶対近寄るべきじゃない。新聞部員は全員アウト」とのこと。霊感のあると噂されていた部長の鶴の一声にて、お返し山への取材は禁止となった。
※今回、市の指定立入禁止区域になったのは単純に先日(6/1)の大雨で土砂崩れが起き、地盤が緩んで危険だからである。
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