永遠が見える女

1/1
前へ
/1ページ
次へ

永遠が見える女

「ねぇ、覚えてる?」  1DKの俺の自宅アパートに招いて、インテリアにも凝った自慢のリビングで少しだけ酒を飲み直し、そういう行為をする予感が匂いたち始めた頃。数時間前に合コンで知り合った女――狩野朝香は俺に突然そう切り出した。 「何を?」  彼女のブラウスのボタンを一つずつ外しながら尋ねる。「ん、大したことじゃない」吐息を混ぜた艶っぽい声で、俺の首に抱きつきながら朝香は答えた。 「なら、なんでそんなこと聞くの?」  前面から俺の体に巻きつく朝香を剥がしながら、俺は後ろからその体を抱きしめ、第3ボタンまで外したブラウスの残りのボタンを手探りで外しにかかる。  それから俺はリビングに隣接した寝室のドアを開けて、彼女を抱き込むように引き込んだ。嫌がる素振りもなしに、朝香は俺のベッドルームへとなだれこみ、そのままの勢いで俺たちは一つになった。  結ばれる直前、もどかしいけれど厄介ごとを避けるために付けようとした薄いラテックスの避妊具を、彼女は俺の手から取り上げて悪戯っぽく笑いながらベッドの下に落とした。 「今日、いい日だから」と微笑む姿が眩しく見えて、そしてそれ以上に自身の放つ熱が普段の性行為の時とは比べものにならないくらいに滾っている気がして、彼女の言葉をありがたく受け取り、俺たちは最も人間らしい形で交尾をした。  行為が終わった後、彼女は一息ついた程度の時間を置いて、すぐに寝室に散らばった服をかき集め始めた。その姿が、絶頂に達した後は急速に冷めていく男の生態のようで、俺は彼女に浸る余韻も与えられなかったのかと自信を喪失しそうになる。 「よくなかった?」  想像よりも不機嫌な声が口から放たれた。  俺の質問に朝香は鼻で笑って「そんなことは気にするんだ」と答えて、俺が苦労して脱がせたブラウスを羽織り、容易くボタンを留めていく。 「なんか、朝香ちゃん。イメージ違うね」  こちらを見下したような彼女の態度に、棘を隠せずに俺は続けた。見下されたから、見下し返す。馬鹿みたいだとわかってはいるが、男のプライドが俺にだってある。 「そっちはイメージのままだね」  朝香は下に履いていたショコラブラウンのふわふわしたスカートもひょいと拾い上げて、ブラウスの上でベルトで留め、形を整えていく。  そして部屋の入り口あたりに置いていたポシェットをヒョイと肩にかけ直した。 「えっ、なに、帰るの?」 「帰るよ。そろそろ終電でしょ?」  こんなことは初めてだ。自慢じゃないが、俺は顔も体もいいし、スペックも決して低くない。今まで俺の部屋に来た女は、誰も帰りたがったりなどしなかったし、競うように自己PRを始めて、俺の恋人になろうと画策していた。  俺は彼女から侮辱を受けた気分になった。 「待てよ。泊まっていけよ」  そう言って下着だけを履いた姿で、鍛えた体を彼女の背中に押し付けるように抱きしめる。男の余裕を醸すことも忘れない。 「うーん、でも目的は果たしたから」  朝香が要領を得ない答えを返してきた。 「目的?」 「うん。あなたの遺伝子」  真顔で放たれた言葉にゾワリと背中に悪寒が走った。本能的な恐怖で彼女を抱きしめていた腕をほどき、一歩後ろに下がり距離を取る。  開け放たれた寝室のドアに、リビングの間接照明を浴びた朝香のシルエットがくっきりと浮かび上がる。逆光で、表情はよく見えない。 「あなたのこと、私たくさん知ってるよ。小学校の出席番号も、小6で最初に付き合った女の子の名前も」 「待って。君……誰?」 「私は狩野朝香。合コンの時も名乗ったよね?」  朝香が一歩前に踏み出し、俺が取った距離を一気に縮めてくる。 「あなたと小中学校で同じクラスで、地味でブスだってあなたに笑われてた狩野朝香。でも私、あなたのこと好きだった。高校生になっても、短大でも、働き始めても、いつもあなたの影が私の胸のどこかにあるの。だから困っちゃってね。どうすればあなたを手に入れられるかなって、ずっと考えてた。だからあなたの遺伝子が欲しかったの。赤ちゃんができれば、あなたの面影をそこに見つけられるし、もしかしたら責任感じて結婚してくれるかもしれないし」  俺はもう一度一歩後ずさった。ベッドの角が膝の裏を直撃し、ボスンッと音を立ててマットレスの上に座りこんだ。 「ボーっとしてるね。ネットで買った媚薬、効きすぎたかな」 「キモ……」 「あはっ、その目だよ。あなたが私を見る時の目。ちょっとくらい美人に化けたからって、私以外の誰かを見るような顔して私に触れたりするから、不安になっちゃった」  ほら、私って、ずっとあなたのこと目で追ってたじゃない? だから、あなたによく言われたよね、キモいって。あと、こんなこともあったね……あと、あんなことも……  彼女の言葉は俺の耳を通り過ぎていく。  呆然と宙を見る俺の顔を覗き込んで、一通り俺の過去をぶちまけた彼女は微笑むを浮かべ言った。 「ねぇ……覚えてる?」  話はまだ終わりではないらしい。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加