花と蕾

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「それにしても茉央。あんた本当よくやったね!今をときめく砂野悠理を射止めるとは…我が弟ながら誇りに思うわ」 ピンと張り詰めた空気を壊したのは姉の花音だった。 先程まで猫をかぶっていたくせに、いつの間にかいつもの調子で話し出す。 茉央とは違い、いつもハイテンションで明るい姉は昔から良くも悪くも空気をあまり読まないが、茉央もこの時ばかりは感謝した。 姉の言葉に便乗するかのように、父も母も頷いている。 「花音さん、それはこっちの台詞ですよ。茉央みたいな綺麗で素敵な人が俺と付き合ってくれて、本当に夢みたいです」 「謙遜しなくていいのよ?まあ確かに茉央は、凄く綺麗で美人だと思うけど」 「そうなんですよ!本当に美人すぎて綺麗すぎてもう毎日堪らない気持ちでいっぱいです。茉央は可愛いし料理上手だし優しいし気が利くし、もはや天使なんじゃないかなって、」 「ちょ……っ!!悠理!!ストップ!!姉さんも恥ずかしいからやめて…ほんと」 まだ先程の余韻に涙を浮かべていた茉央だったが、花音と悠理の会話を聞いて慌てて止めに入り、感激の涙も引っ込んでしまった。 悠理はいつも茉央の話をしだすと止まらなくなるが、花音もブラコンといっても差し支えない人間なので、この2人の会話は茉央にとって果てしなく恐ろしい。 褒めてもらえる事は素直に嬉しいが、限度がある。ここまでくると嬉しさよりも羞恥心が勝ってしまう。 「あはは。2人共、本当に茉央を溺愛しているんだね」 「茉央は幸せ者ねぇ。でも、私も是非混ざりたいわ。茉央ったら生まれた時から凄く可愛くてね〜。あ、悠理くん!良かったら茉央の小さい時のアルバム見る?」 「……っえ?!いいんですか?!是非拝見したいです!」 「えー!お母さん、私も久しぶりに見たいー」 「どれ。僕も久しぶりに見たくなってきたなあ」 「あら。じゃあ折角だし、珈琲淹れ直してから皆で見ましょうか。今持ってくるからちょっと待っててね」 唖然とする茉央の前で繰り広げられる会話に完全に置き去りにされている。 結局皆、茉央の事が可愛くて仕方が無いのだ。 皆が茉央の幼少期のアルバムを見て昔話に花を咲かせている中、茉央は久しぶりに2階にある自分の部屋へ訪れていた。 約1年ぶりに入る部屋は、母のおかげで相変わらず清潔に保たれていてほっとする。 年季の入った勉強机。木枠のシングルベッド。小さなローテーブルに、クッションや幼い頃にお気に入りだったぬいぐるみ。 数年前までこの部屋で何気無く過ごしていたというのに、懐かしく感じてしまう。 ここを出ていった頃は、都内でひとり暮らしをするという緊張と高揚感を持ちつつも、芸能界で成功する事なんて無理なのではないかというネガティブな気持ちも持ち合わせていた。自分はきっと蕾のまま、花を咲かせるの事なく散っていくのだと半ば諦めにも近い感情を抱いていたように思う。 「……まさか、今こんなふうになっているとは思ってなかったな」 映画の主要キャストに選ばれて、それを引き金に雑誌やバラエティ、それからCMの仕事までさせてもらう事ができた。 そして、恋愛に対して淡白すぎるくらいだった自分が今や実家に恋人を連れてきているだなんて。 あの頃の自分が知ったら、卒倒してしまうかもしれない。 そう思ってしまう程に、茉央の人生は様変わりした。 大切な家族に大切な恋人、大切な友人。それから仕事も貰えて、自分は本当に幸せ者だなと茉央は思う。 まだ茉央の蕾は芽吹いたばかりだが、いつか大輪の花を咲かせたい。そう、決意を新たに心に刻む。 「…茉央ー?弥生さんが、お昼にしようって」 控えめにドアをノックされて、外から悠理に声をかけられた。 別に気にせず入って来てくれて構わないのに、律儀な彼にクスッと笑う。 「はーい!今行く」 次にこの部屋に来る時は、きっと今よりも成長して帰ってくる事を心に決めて部屋を後にした。
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